野いちご源氏物語 五三 手習(てならい)
九月になって、尼君(あまぎみ)は長谷(はせ)寺(でら)へお参りすることになさった。
「亡くなった姫君(ひめぎみ)の代わりにかわいがる人がほしい」と長年願っていらっしゃったから、それが叶(かな)ってお礼(れい)参(まい)りをなさるの。
「あなたも一緒に行きましょう。人目(ひとめ)を気になさっているのでしょうが、そんなに心配しなくても誰にも気づかれませんよ。お寺なんてどこでも同じとはいえ、やはり有名なお寺の仏様にお願いした方が、ご利益(りやく)はあるものです」

尼君のお誘(さそ)いを浮舟(うきふね)の君(きみ)は断りたい。
<母君(ははぎみ)や乳母(めのと)もそう言っていたから何度もお参りしたけれど、ご利益などなかったではないか。死にたいという願いさえ叶わず、これほどつらい目を味わっているというのに。それに半年近くお世話になっているとはいえ、私はまだ尼君を信用しきっていない。そういう人と一緒に遠くまで出かけるのは>
と、なんとなく恐ろしい。

そのままはっきりとは言えないので、
「近ごろ気分がすぐれず、道中(どうちゅう)が心配ですから」
とだけ言った。
<宇治(うじ)の院(いん)でのことを思い出してしまわれるのだろう。また妖怪(ようかい)に憑(と)りつかれたらと恐れていらっしゃるのだ>
尼君はそう思って、無理にはお誘いにならない。

「長谷寺の二本(にほん)杉(すぎ)なんて見たくない。自分の頼りない境遇(きょうぐう)が悲しくなるばかりだもの」
と紙に書いてあったのを尼君は見つけなさった。
「根元がつながっためずらしい二本の杉のことですね。あの杉のように、一度お別れになったけれどまた会いたい人がいらっしゃるのね」
冗談めかしておっしゃると、浮舟の君はびっくりして顔を赤くする。
それがまた愛らしい。
「あなたの昔のことは分かりませんけれど、私はあなたを娘だと思っていますよ」
何度も言い聞かせていることを、尼君はまた優しくおっしゃった。
< 20 / 47 >

この作品をシェア

pagetop