野いちご源氏物語 五三 手習(てならい)
雨の降る静かな夜、薫(かおる)の君(きみ)は中宮(ちゅうぐう)様のところへ参上(さんじょう)なさった。
女房(にょうぼう)が少なくのんびりしたときだったので、世間話をなさるついでに、宇治(うじ)での悲しい恋のことも少しお話しになる。
「もう何年も昔、宇治の山里(やまざと)に恋人がおりました。世間体(せけんてい)がよくないと知りながらときどき通っていたのですが、その人とは夫婦になれないまま死に別れてしまいました。その土地のことが嫌になり、都からわざわざ出かけるのも億劫(おっくう)になったのですが、一昨年(おととし)、また宇治に恋人を置いたのです。

しかし去年、その恋人も亡くなってしまいました。どちらも亡き八(はち)の宮(みや)様の山荘(さんそう)でのことです。八の宮様は尊(とうと)い僧侶(そうりょ)のような方でしたから、わざと私をつらい目に遭(あ)わせて、出家(しゅっけ)したいという気持ちを起こさせようとなさっているのでしょう」

中宮様は僧都(そうづ)から聞いた話を思い出される。
あれは去年の秋、女(おんな)一(いち)の宮(みや)様がご病気になられたときのこと。
お祈りのために参内(さんだい)した僧都が、「春に宇治(うじ)の院(いん)で素性(すじょう)の分からない美しい女性を助けた」というお話をなさった。
<やはり僧都が助けた女性は薫の君の恋人だったのだろう。薫の君は今も忘れられずにいらっしゃるようだから、生きていることを教えてあげたい>

中宮様はお気の毒になって、薫の君に確認しようとなさる。
「きっと宇治には恐ろしい妖怪(ようかい)が棲(す)んでいるのですね。その恋人はどのようにお亡くなりになったのですか」
「そうかもしれません。ああいう人気(ひとけ)の少ないところには、よくない妖怪が必ず棲みつくものですから。亡くなり方もふつうではありませんでした」
まさか中宮様が恋人の死について知りたがっていらっしゃるとは思わないので、詳しくはお答えにならない。

<薫の君からすれば私に知られているというのは気まずいだろう。それにその恋人が姿を消したころ、匂宮(におうのみや)もふさぎこんで病気になっていた。きっと事件に関係しているのだ。女房(にょうぼう)もそういう噂(うわさ)があると言っていた。女君(おんなぎみ)は薫の君と匂宮の板(いた)挟(ばさ)みになって宇治(うじ)川(がわ)に身を投げた、とか>
中宮様は匂宮様の母君(ははぎみ)で、薫の君にとっては異母姉(あね)君(ぎみ)であられる。
どちらに対しても心苦しくて、女君のことは誰にも言えずにいらっしゃる。
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