bar silentは、変わらず静かに嘘をつく
コンビニ一軒ない、時代に取り残されたようなこの商店街。
でも、この『bar silent』の重い扉を開ける時だけは、自分が何者でもなくていい気がする。
昨日と同じ、明日もきっと同じ、温度の低い、心地よい拒絶。
地元の私鉄駅で電車を降り、商店街を歩く。
―――――――――――――――――――――――
月明かりの無い晩。仕事帰りの発見。
この時間、どこの店も閉まっていて、人通りも少ない。
週末はほんと、シンドイ。
金曜くらい、スーツスカートじゃなくて、もっとラフな格好で出社すればよかった。
疲労のあまり、食欲もそんなにない。
帰ってごはんをつくるのもめんどいし。
しかもなんと、この商店街、コンビニが無い!
駅の反対側にいけば二店もあるのに。
bar silent ↑
トボトボと暗い商店街を歩いていくと道の脇に、そう描かれた白い電飾スタンド。
こんなところに、こんなお店があったんだ。
今夜は一杯いただいて、シャワーして寝てしまおう。
矢印に従って、階段を上がり、木製の扉を開ける。
店内は意外に広く、暗めの木材(オーク?)の長いカウンターに色のトーンが統一されている。
琥珀色の酒瓶が、磨き抜かれたカウンターに鏡のように映り込んでいる。
カウンターの向こうには老練なチーフバーテンダーらしき方と、若い男女のスタッフ。
黒髪短髪のなかなかのイケメンが、いらっしゃいませと軽くお辞儀をし、左端のカウンター席を勧めた。
彼は、いい匂いのする熱いお絞りを無言で手渡し、紙製のメニューを置き、私より少し離れて直立した。
そのあと、何か声をかけてくれるのを待っていたが、一向にその気配がない。
ちょっとしびれを切らし、すみません、と手を上げる。
彼は目の端にそれをとらえ、スーッと寄ってきた。
「あの、注文いいですか?」
若きバーテンダーが無表情でうなずく。
「ミントジュレップと、カナッペをください」
再びうなずくと、スッと離れ、仕事にとりかかった。
店内には薄くジャズのBGMが流れている。
静かだ。
カウンターにナッツの小皿が置かれ、コースターの上にミントジュレップが供された。
いただきます、とグラスに口をつける。
甘味が上品で、ミントの香りが際立ち、クラッシュアイスの感触も心地いい。
喉を通る瞬間の清涼感が、一週間分の窮屈なヒールとスーツの重みを、すっと脱がせてくれるようだった。
「すっきりしていて美味しいです」
「……」
目の前のバーテンダーに感想を伝えたが、軽くうなずくだけで、ポーカーフェイスを崩さない。
バーとは、もともと静かにお酒を飲むところだと思うが、もうちょっとコミュニケーションがあってもいいのではないだろうか?
客商売としてどうなのか? この店大丈夫なのか?
とも思うが、店内を見渡すとカウンターもテーブル席も、男女半々くらいの客でそこそこ埋まっている。
でも、会話はあまり聞こえてこない。
カウンター内では、バーテンダーの三人が黙々とカクテルを作ったり、氷を削っていたりする。
どうやらこのバーテンダーの振る舞いが店の雰囲気を創り出しているようだ。
必要最低限、いや、必要以上に言葉を発せず、どっちかというと無愛想。
お客も注文する時以外、余計な口はきかない。
だんだんと、この寡黙な空間、放っとかれ感が心地よくなってきたような気もする。
コロナが明けて、職場は原則出社となった。
毎日の通勤に加え、社内外の人々との会話が戻った。
在宅勤務中は、話し相手がそばにいないのでちょっと寂しかったが、
いざ、「元の世界」に戻ってしまうと、周りの人も会話もうっとおしい。
この店に来ている人たちも、そう思っているのかも。
クリームチーズと生ハム、アボカドとサーモン、ツナマヨがトッピングされたカナッペもなかなか美味しく、お酒も進む。
サイドカーを追加で注文し、楽しんだ。
ごちそうさまでした、とカウンターでお会計を済ませる。
お釣りを渡された時、ついつい言ってしまった。
「スタッフのみなさん、無口なんですね」
男子は、少し眉を上げたが、すぐにポーカーフェイスに戻った。余計な一言だったか?
「お店の方針ですので」
彼はそれだけ答えて軽くお辞儀した。
翌日、土曜。
遅く起きて、いつものごとく、「女王様のブランチ」をぼーっと見る。
グルメのコーナーで飲食店グループが紹介されていた。
“スマイルレス ¥0? 放置感がたまらない!”
というコーナータイトル。
番組レポーターが、次々とその外食グループの店を回り、食べ歩きする。
どの店も共通しているのは、店主もスタッフもみんな無口で無愛想。
ラーメン店、ヤキトリ屋とかならまだわかるが、イタリアンやカフェも同様な雰囲気。
でも、紹介されるどの店もお客がいっぱいで繁盛しているようだ。
そしてなんと。
夕べ利用したあの店、「bar silent」にもレポーターが訪問し、カウンターで静かにお酒を飲んでいるではないか。
その外食ビジネスの会社名は、「黙々グループ」。
会社のモットーは、「余計な口は利かず、黙々と美味しいものをつくり、提供する」ことだそうだ。
世の中、わからん……いや、わからんこともないかな。
その日は冷蔵庫の中にあるもので食事を済ませ、一日中ゴロゴロしていた。
夕方、「ボンキシャ!」で、ある外食グループの経営危機のニュースを報じていた。
心づくしの接客サービスが評判となってコロナ禍を乗り切った会社だ。
系列のファミレスや和食居酒屋、弁当屋などが繁盛していたが、最近は閑古鳥が鳴いているという。
その会社の名前は「溺愛グループ」。
カリスマ経営者は「お客様を溺愛し、奉仕せよ」とのモットーを社員に徹底的にたたき込んでいたそうだ。
でも、料理自体がいまいちだったらしい。ニュースの解説者が「サービスが溺愛なのはよかったんですが、味も『出来合い』だったんですよねー」と、わざわざフリップを用意して揶揄していた。
あれから私は、ちょくちょく「bar silent」を利用している。
で、担当のバーテンダーさんと無理やり会話をし、親しくなった。
で、おつきあいを始めてわかったことだが、実は彼、ベタベタの「溺愛タイプ」で、私を十分に甘やかしてくれる。
料理も得意で、彼の部屋を訪ねると「出来合い」ではなく、手作り料理でもてなしてくれる。
バーでのあの寡黙な態度は、演出だったのだ。
会社の友人にこのエピソードを自慢げに話すと、無茶苦茶羨ましがり(どうだ、いいだろ!)、
「じゃあもう、バーのお店に行く必要はなくなったわね」と言われたが、そんなことはない。
一人の男性を相手に、黙々放置プレーとベタベタ溺愛プレー、そしてそのギャップを楽しめるチャンスはそうそうない。
静寂を纏う彼も、私を抱きしめる彼も、どちらも嘘じゃない。
その矛盾の真ん中で、私は幸せを感じながら揺れている。
当分バー通いと彼の部屋通いを続ける予定だ。
おしまい。
でも、この『bar silent』の重い扉を開ける時だけは、自分が何者でもなくていい気がする。
昨日と同じ、明日もきっと同じ、温度の低い、心地よい拒絶。
地元の私鉄駅で電車を降り、商店街を歩く。
―――――――――――――――――――――――
月明かりの無い晩。仕事帰りの発見。
この時間、どこの店も閉まっていて、人通りも少ない。
週末はほんと、シンドイ。
金曜くらい、スーツスカートじゃなくて、もっとラフな格好で出社すればよかった。
疲労のあまり、食欲もそんなにない。
帰ってごはんをつくるのもめんどいし。
しかもなんと、この商店街、コンビニが無い!
駅の反対側にいけば二店もあるのに。
bar silent ↑
トボトボと暗い商店街を歩いていくと道の脇に、そう描かれた白い電飾スタンド。
こんなところに、こんなお店があったんだ。
今夜は一杯いただいて、シャワーして寝てしまおう。
矢印に従って、階段を上がり、木製の扉を開ける。
店内は意外に広く、暗めの木材(オーク?)の長いカウンターに色のトーンが統一されている。
琥珀色の酒瓶が、磨き抜かれたカウンターに鏡のように映り込んでいる。
カウンターの向こうには老練なチーフバーテンダーらしき方と、若い男女のスタッフ。
黒髪短髪のなかなかのイケメンが、いらっしゃいませと軽くお辞儀をし、左端のカウンター席を勧めた。
彼は、いい匂いのする熱いお絞りを無言で手渡し、紙製のメニューを置き、私より少し離れて直立した。
そのあと、何か声をかけてくれるのを待っていたが、一向にその気配がない。
ちょっとしびれを切らし、すみません、と手を上げる。
彼は目の端にそれをとらえ、スーッと寄ってきた。
「あの、注文いいですか?」
若きバーテンダーが無表情でうなずく。
「ミントジュレップと、カナッペをください」
再びうなずくと、スッと離れ、仕事にとりかかった。
店内には薄くジャズのBGMが流れている。
静かだ。
カウンターにナッツの小皿が置かれ、コースターの上にミントジュレップが供された。
いただきます、とグラスに口をつける。
甘味が上品で、ミントの香りが際立ち、クラッシュアイスの感触も心地いい。
喉を通る瞬間の清涼感が、一週間分の窮屈なヒールとスーツの重みを、すっと脱がせてくれるようだった。
「すっきりしていて美味しいです」
「……」
目の前のバーテンダーに感想を伝えたが、軽くうなずくだけで、ポーカーフェイスを崩さない。
バーとは、もともと静かにお酒を飲むところだと思うが、もうちょっとコミュニケーションがあってもいいのではないだろうか?
客商売としてどうなのか? この店大丈夫なのか?
とも思うが、店内を見渡すとカウンターもテーブル席も、男女半々くらいの客でそこそこ埋まっている。
でも、会話はあまり聞こえてこない。
カウンター内では、バーテンダーの三人が黙々とカクテルを作ったり、氷を削っていたりする。
どうやらこのバーテンダーの振る舞いが店の雰囲気を創り出しているようだ。
必要最低限、いや、必要以上に言葉を発せず、どっちかというと無愛想。
お客も注文する時以外、余計な口はきかない。
だんだんと、この寡黙な空間、放っとかれ感が心地よくなってきたような気もする。
コロナが明けて、職場は原則出社となった。
毎日の通勤に加え、社内外の人々との会話が戻った。
在宅勤務中は、話し相手がそばにいないのでちょっと寂しかったが、
いざ、「元の世界」に戻ってしまうと、周りの人も会話もうっとおしい。
この店に来ている人たちも、そう思っているのかも。
クリームチーズと生ハム、アボカドとサーモン、ツナマヨがトッピングされたカナッペもなかなか美味しく、お酒も進む。
サイドカーを追加で注文し、楽しんだ。
ごちそうさまでした、とカウンターでお会計を済ませる。
お釣りを渡された時、ついつい言ってしまった。
「スタッフのみなさん、無口なんですね」
男子は、少し眉を上げたが、すぐにポーカーフェイスに戻った。余計な一言だったか?
「お店の方針ですので」
彼はそれだけ答えて軽くお辞儀した。
翌日、土曜。
遅く起きて、いつものごとく、「女王様のブランチ」をぼーっと見る。
グルメのコーナーで飲食店グループが紹介されていた。
“スマイルレス ¥0? 放置感がたまらない!”
というコーナータイトル。
番組レポーターが、次々とその外食グループの店を回り、食べ歩きする。
どの店も共通しているのは、店主もスタッフもみんな無口で無愛想。
ラーメン店、ヤキトリ屋とかならまだわかるが、イタリアンやカフェも同様な雰囲気。
でも、紹介されるどの店もお客がいっぱいで繁盛しているようだ。
そしてなんと。
夕べ利用したあの店、「bar silent」にもレポーターが訪問し、カウンターで静かにお酒を飲んでいるではないか。
その外食ビジネスの会社名は、「黙々グループ」。
会社のモットーは、「余計な口は利かず、黙々と美味しいものをつくり、提供する」ことだそうだ。
世の中、わからん……いや、わからんこともないかな。
その日は冷蔵庫の中にあるもので食事を済ませ、一日中ゴロゴロしていた。
夕方、「ボンキシャ!」で、ある外食グループの経営危機のニュースを報じていた。
心づくしの接客サービスが評判となってコロナ禍を乗り切った会社だ。
系列のファミレスや和食居酒屋、弁当屋などが繁盛していたが、最近は閑古鳥が鳴いているという。
その会社の名前は「溺愛グループ」。
カリスマ経営者は「お客様を溺愛し、奉仕せよ」とのモットーを社員に徹底的にたたき込んでいたそうだ。
でも、料理自体がいまいちだったらしい。ニュースの解説者が「サービスが溺愛なのはよかったんですが、味も『出来合い』だったんですよねー」と、わざわざフリップを用意して揶揄していた。
あれから私は、ちょくちょく「bar silent」を利用している。
で、担当のバーテンダーさんと無理やり会話をし、親しくなった。
で、おつきあいを始めてわかったことだが、実は彼、ベタベタの「溺愛タイプ」で、私を十分に甘やかしてくれる。
料理も得意で、彼の部屋を訪ねると「出来合い」ではなく、手作り料理でもてなしてくれる。
バーでのあの寡黙な態度は、演出だったのだ。
会社の友人にこのエピソードを自慢げに話すと、無茶苦茶羨ましがり(どうだ、いいだろ!)、
「じゃあもう、バーのお店に行く必要はなくなったわね」と言われたが、そんなことはない。
一人の男性を相手に、黙々放置プレーとベタベタ溺愛プレー、そしてそのギャップを楽しめるチャンスはそうそうない。
静寂を纏う彼も、私を抱きしめる彼も、どちらも嘘じゃない。
その矛盾の真ん中で、私は幸せを感じながら揺れている。
当分バー通いと彼の部屋通いを続ける予定だ。
おしまい。


