クロスケと呼ぶには

外出ハプニング

 今日も仕事の日だ。しかしここでとある不安がよぎり口に出す。

「いい?家の中でならって条件で耳とか出させるだけだからね?だから、絶対に!外出ないでね。」
私は絶対を強調するように言った。

「うん。」
「ほんとに?」
「うん。」
「ほんとにほんとに?」
「…うん。」

若干あやしい返事だった。
玄関の前で念押しして、私は家を出る。
ドアを閉める直前、以前と同じようにクロスケがこちらをじっと見ていた。

「…すぐ帰るから。」
「…うん。」

最近したばかりの状況と会話、でもその顔が少しだけ寂しそうで後ろ髪を引かれたけど…。
ダメダメ、甘やかしたら終わる。
心を鬼にして出勤した。


――数時間後。
 部屋の中には、静かな時間が流れていた。

……はずだった。

「…………。」

クロスケはリビングの真ん中でぼんやり座っていた。テレビはつけ方がわからない。
本は読めない。スマホは…なんか怒られそうだから触ってない。つまり、

「…暇。」

ぽつり。耳は垂れ、尻尾がだらんと床に落ちる。
しばらくそのままじっとしていたけど、やがてゆっくり立ち上がる。
とことこ、と窓のほうへ歩いて行きカーテンの隙間から外を見る。

「…外。」
昨日、ありさに拾われるまでいた場所。
風の匂い、遠くの音、どこか懐かしい感覚。

「…ちょっとだけ。」
ニット帽を被り、教わった通りにセーターを着ながらぽつりと呟く。

「すぐ戻れば、バレない。」

完全にフラグである。

玄関のドアを開けた瞬間。

「……っ」

クロスケは固まった。
外の世界は、思っていたよりずっと“うるさかった”。
車の音や人の声、足音。
本来の姿の時に感じたものとはまた違う。
いろんな匂いが一気に流れ込んでくる。

「すごい…。」

でも同時に、少しだけ楽しい。
足が勝手に前に進む。
ぺた、ぺた、と。



――数分後

商店街のど真ん中で事件は起きた。

「ちょっとあんた!その格好なに!?」
「耳!?しっぽ!?本物!?」
「コスプレ!?撮っていい!?」

完全に囲まれていた。
見渡せば人、人、人。
逃げ場がない。
バレた理由は、今日の天気はセーターとニット帽じゃ暑いと思い自ら脱いだからだった。
しっぽも窮屈で、腰部分にあったセーターを上に上げてしまったのだ。

「うるさい…。」

クロスケは耳を押さえる。
知らない人に囲まれるのも近づかれるのも、全部苦手だ。

「ちょっと動いた!本物っぽくない!?」
「え、やば可愛い。」
「写真撮っていいですか!?」

「やだ。」
「え?」
「やだって言った。」

ぴたり、と空気が止まる。
クロスケの目がほんの少しだけ鋭くなる。

次の瞬間。

「っ…!」
ひゅっと風を切る音。

「え!?速っ!?」

クロスケは一瞬で人混みを抜けた。
まさに猫の動きだった。
軽く、しなやかにすり抜ける。

「ちょ、待って!?」
「追いかけて!」
「あっちに逃げた!」

――完全に大騒ぎである。



 一方その頃。
「…はあ。」
 有紗は仕事を終え商店街を歩いていた。
今日はもう限界。さっさと帰ってクロスケの様子を見ないと。

(ちゃんと大人しくしてるかな…。)

朝感じていた不安がよぎる。
あの子、絶対に何かやらかすタイプだ。
直感でそう思った、その時。

「…ん?」

人だかりができているのが見えた。
やけに騒がしい。

「なにあれ…?」

嫌な予感しかしない。足が自然と早くなる。
人混みの隙間から、ちらりと見えたのは黒い耳。

「………。」
 その瞬間、思考が止まった。

「…クロスケ?」
名前を呼ぶと、ぴくりと反応する。
そして振り向いた。

「…ありさ、あ、どうしよう。」

ばっちり目が合った。

「………。」
「………。」

一秒。
二秒。
三秒。

「クロスケぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

商店街に、私の怒鳴るような叫び声が響いた。

「なんで外出てるの!」
「ちょっとだけ。」
「ちょっとで済んでないでしょこれ!!」

腕を掴んで、人混みから引きずり出す。
周りの視線が痛い、めちゃくちゃ痛い。

「ありさ、痛い。」
「痛くしてるの!」
「ごめん…。」

しゅん、と耳が垂れる。
……くっ。弱い。私はこの顔に弱いのだ。

「はあ…。」
深くため息をつく。

「約束したでしょ?外出ないって。」
「…外、気になった。」
「だからって!」
「…寂しかった。」
「っ」

その一言で、言葉が詰まる。
クロスケは視線を落としたまま、小さく続けた。

「ありさ、いなかった。」
「……」
「ひとり、やだった。」

ずるいよ、そんなの。
怒れなくなるに決まってる。

「…でも、勝手に出るのはダメ。」
「…うん、ごめん。」
「ちゃんと約束は守って?」
「……うん。」

しばらくの沈黙。
その後、クロスケがそっと袖をつかんできた。

「…ありさ。」
「…何?」
「帰ろ。」
「……そうだね。」

 手は、振り払わなかった。
そのまま一緒に歩き出す。
周りの視線はまだ気になるけど、それよりも…。

(ほんと、目離せない…。)

ため息をつきながらも、どこか少しだけ安心している自分がいた。
クロスケは、ちゃんと“戻ってきた”。



それだけで、少しだけ――



ほっとしてしまった。
< 4 / 6 >

この作品をシェア

pagetop