クロスケと呼ぶには
力
「またいる…。」
ぽつりと、突然クロスケが言った。
「え?」
夕方だった。私が仕事から帰ってきて、玄関で靴を脱いでいた時だ。
クロスケはリビングから窓のほうを見ている。
カーテン越しに、外をじっと。
「いるって、なにが?」
「昨日の奴。」
「…っ!」
心臓が、どくんと鳴る。昨日の男って…。
「見えるの?」
「見えるっていうか…わかる。」
「わかるって…なにそれ怖い。」
「なんか、いるって感じるだけ。」
曖昧な言い方だけど、冗談じゃないのはすぐにわかった。クロスケの耳がぴんと立っている。
尻尾も、わずかに逆立っていた。
完全に警戒モードだ。
「…ちょっと見てくる、部屋にいて!」
「だめ!」
クロスケは大声をあげた。
いつも大人しい彼が発するには充分なほど。
「ありさ、行ったらだめ。」
「でも外にいるんでしょ?」
「だからだめ。」
いつもより少し強い声、珍しい。
少しだけ考えて、私は頷いた。
「じゃあ一緒に見てるね。」
「…。」
クロスケは少しだけ迷ったあと、小さく頷く。
「…そばにいて。」
「いるよ、大丈夫。」
並んで、ゆっくりカーテンの隙間から外を見る。
街灯の下。
――いた。
本当に昨日の男だ。
同じ場所に、まるで待っているみたいにそこに立っていた。
「ほんとにいるじゃん…。」
ぞくりと背中が冷える。なぜ…?
どうしてまたいるの。
「…来る。」
「え?」
次の瞬間だった。
男が、こちらを見た。
「っ!?」
目が、合った気がした。
距離があるはずなのに。
なのに、確実に――“気づかれた”。
「やばっ……!」
慌ててカーテンを閉める。心臓がうるさい。
「クロスケ、大丈夫!?」
「…ありさ。」
「なに!?」
「下がって。」
「え?」
そう言われた瞬間だった。
――ドンッ
鈍い音が、ドアのほうから響いた。
玄関から叩くような音が聞こえた。それも普通じゃない強さで。誰かがいる。
その誰かは、悩む必要はなかった。
「開けてください。」
低い声。間違いない、あの男だ。
「無理です…。」
思わず小さく呟く。怖いし、状況も含めて明らかに普通じゃない。
でも――
「クロスケ…?」
隣を見ればクロスケは、じっとドアのほうを見ていた。さっきまでの甘えんぼな空気は、どこにもない。
鋭い、完全に“別の顔”だった。
「下がって。」
「でも――」
「ありさ」
名前を呼ばれる。
それだけで、自然に体が動いた。
一歩、私が後ろに下がり、その前にクロスケが立つ。
「…大丈夫だから。」
「ほんとに…?」
「うん。」
その声は、不思議と落ち着いていた。
そして、
クロスケの耳が、ぴくりと動く。
だがこれは初めてのことではない。
服を初めて着せるときも、照れたようなときも、この短い間で何度も見てきた仕草だ。
それなのに、今は違った。
次の瞬間――
空気が変わった。見えない何かが広がる。
静かに、でも確実に。
部屋全体を包み込むように。
「なに、これ…。」
音が、遠くなり、外の気配が薄れる。
さっきまで感じていた“怖さ”が、嘘みたいにふっと軽くなる。
「…これでいい。」
クロスケが、小さく呟いた。
その瞬間、ドアの向こうの気配がぴたりと消えた。
「え…?」
数秒の沈黙。
もう一度、外の気配を感じ取ろうとしても――
何もいない、そう思った。
「いなくなった…?」
「うん。」
クロスケは振り返る。
さっきまでの鋭い目じゃない。
いつもの、少し眠たそうな顔に戻っていた。
「今、なにしたの…?」
「わかんない。」
「わかんない!?」
「なんか、やばそうだったから。」
「それでできるの!?」
「…できた。」
あまりにもあっさりしすぎではないか?
だけど、さっきの“何か”は確かに感じた。
クロスケはただの猫じゃない。
人間の姿になっていたクロスケと出会ったあの日から思っていたことだったが、それはもう、私の中で確信に変わっていた。
「クロスケは…何者なの…?」
「……。」
少しだけ、間があく。
そして。
「…クロスケ。」
「それは知ってるって!」
思わず叫ぶとクロスケは少しだけ笑った。
でも、その目の奥にはまだ少しだけわからないものが残っていた。
「だけど…」
「だけど?」
「ありさ、守るのはできる。」
胸が、ぎゅっとなった。不安はあるし、わからないことが何より多すぎる。それでも…。
「…私も。」
「…?」
「クロスケのこと、守るから。」
「…!」
一瞬、目を見開いた。
それから、ほんの少しだけ頬が赤くなった。
「…ありさ。」
「な、なに?」
「近い。」
「どっちが!?」
気づけば、また距離が近くなっていた。
さっきの緊張感はどこへやら。
でも――
(守る…か。)
その言葉が、心の中に残る。
クロスケの力、そして、あの男。
きっとこれは――
ただの同居生活じゃ、終わらない。
ぽつりと、突然クロスケが言った。
「え?」
夕方だった。私が仕事から帰ってきて、玄関で靴を脱いでいた時だ。
クロスケはリビングから窓のほうを見ている。
カーテン越しに、外をじっと。
「いるって、なにが?」
「昨日の奴。」
「…っ!」
心臓が、どくんと鳴る。昨日の男って…。
「見えるの?」
「見えるっていうか…わかる。」
「わかるって…なにそれ怖い。」
「なんか、いるって感じるだけ。」
曖昧な言い方だけど、冗談じゃないのはすぐにわかった。クロスケの耳がぴんと立っている。
尻尾も、わずかに逆立っていた。
完全に警戒モードだ。
「…ちょっと見てくる、部屋にいて!」
「だめ!」
クロスケは大声をあげた。
いつも大人しい彼が発するには充分なほど。
「ありさ、行ったらだめ。」
「でも外にいるんでしょ?」
「だからだめ。」
いつもより少し強い声、珍しい。
少しだけ考えて、私は頷いた。
「じゃあ一緒に見てるね。」
「…。」
クロスケは少しだけ迷ったあと、小さく頷く。
「…そばにいて。」
「いるよ、大丈夫。」
並んで、ゆっくりカーテンの隙間から外を見る。
街灯の下。
――いた。
本当に昨日の男だ。
同じ場所に、まるで待っているみたいにそこに立っていた。
「ほんとにいるじゃん…。」
ぞくりと背中が冷える。なぜ…?
どうしてまたいるの。
「…来る。」
「え?」
次の瞬間だった。
男が、こちらを見た。
「っ!?」
目が、合った気がした。
距離があるはずなのに。
なのに、確実に――“気づかれた”。
「やばっ……!」
慌ててカーテンを閉める。心臓がうるさい。
「クロスケ、大丈夫!?」
「…ありさ。」
「なに!?」
「下がって。」
「え?」
そう言われた瞬間だった。
――ドンッ
鈍い音が、ドアのほうから響いた。
玄関から叩くような音が聞こえた。それも普通じゃない強さで。誰かがいる。
その誰かは、悩む必要はなかった。
「開けてください。」
低い声。間違いない、あの男だ。
「無理です…。」
思わず小さく呟く。怖いし、状況も含めて明らかに普通じゃない。
でも――
「クロスケ…?」
隣を見ればクロスケは、じっとドアのほうを見ていた。さっきまでの甘えんぼな空気は、どこにもない。
鋭い、完全に“別の顔”だった。
「下がって。」
「でも――」
「ありさ」
名前を呼ばれる。
それだけで、自然に体が動いた。
一歩、私が後ろに下がり、その前にクロスケが立つ。
「…大丈夫だから。」
「ほんとに…?」
「うん。」
その声は、不思議と落ち着いていた。
そして、
クロスケの耳が、ぴくりと動く。
だがこれは初めてのことではない。
服を初めて着せるときも、照れたようなときも、この短い間で何度も見てきた仕草だ。
それなのに、今は違った。
次の瞬間――
空気が変わった。見えない何かが広がる。
静かに、でも確実に。
部屋全体を包み込むように。
「なに、これ…。」
音が、遠くなり、外の気配が薄れる。
さっきまで感じていた“怖さ”が、嘘みたいにふっと軽くなる。
「…これでいい。」
クロスケが、小さく呟いた。
その瞬間、ドアの向こうの気配がぴたりと消えた。
「え…?」
数秒の沈黙。
もう一度、外の気配を感じ取ろうとしても――
何もいない、そう思った。
「いなくなった…?」
「うん。」
クロスケは振り返る。
さっきまでの鋭い目じゃない。
いつもの、少し眠たそうな顔に戻っていた。
「今、なにしたの…?」
「わかんない。」
「わかんない!?」
「なんか、やばそうだったから。」
「それでできるの!?」
「…できた。」
あまりにもあっさりしすぎではないか?
だけど、さっきの“何か”は確かに感じた。
クロスケはただの猫じゃない。
人間の姿になっていたクロスケと出会ったあの日から思っていたことだったが、それはもう、私の中で確信に変わっていた。
「クロスケは…何者なの…?」
「……。」
少しだけ、間があく。
そして。
「…クロスケ。」
「それは知ってるって!」
思わず叫ぶとクロスケは少しだけ笑った。
でも、その目の奥にはまだ少しだけわからないものが残っていた。
「だけど…」
「だけど?」
「ありさ、守るのはできる。」
胸が、ぎゅっとなった。不安はあるし、わからないことが何より多すぎる。それでも…。
「…私も。」
「…?」
「クロスケのこと、守るから。」
「…!」
一瞬、目を見開いた。
それから、ほんの少しだけ頬が赤くなった。
「…ありさ。」
「な、なに?」
「近い。」
「どっちが!?」
気づけば、また距離が近くなっていた。
さっきの緊張感はどこへやら。
でも――
(守る…か。)
その言葉が、心の中に残る。
クロスケの力、そして、あの男。
きっとこれは――
ただの同居生活じゃ、終わらない。