10年越しの溺愛——御曹司は私を逃さない
「井口、大丈夫?吐きそう?」
心配になって顔を覗き込もうとしたそのとき、井口は繋いだままの手を少し強く握り直して、ゆっくりと振り向いた。その表情に、一瞬息が詰まる。
「好きだよ、白石」
「……え?」
今、なんて言ったの。
頭が理解するまでに、数秒かかる。
好き、って。井口が、私に?
「勝ち目がないってこと、最初から分かってた。あの人が来てから、お前変わったから」
ドクン、と心臓が重く鳴る。「あの人」——それが誰を指しているのか、聞かなくても分かってしまう。社長のことだ。否定できない。自分でも分かっていた。あの人と出会ってから、自分が変わってしまったことくらい。
「でも、好きなんだよ。ちょっとでいいから、俺のことも見て」
真っ直ぐな声だった。ごまかしも、冗談もない、本気の言葉。
そのまま井口は、私の肩にそっと頭を預ける。突然の距離の近さに、体が固まる。
井口が、私のことを好き?そんなふうに思われていたなんて、今まで一度も気づかなかった。どうして、何も気づけなかったんだろう。何も、見えていなかったのかもしれない。自分のことでいっぱいいっぱいで、周りの気持ちなんて、ちゃんと見ようとしていなかったのかもしれない。
しばらくして、井口は静かに顔を上げた。
「ごめん。今日は帰るわ。気を付けて帰れよ」
それだけ言うと、何事もなかったかのように手を離して、そのまま背を向けて歩き出す。呼び止めることもできず、ただその背中を見送ることしかできなかった。
足が動かない。頭の中がぐちゃぐちゃで、何から考えればいいのか分からない。社長のこと、自分の気持ち、そして今の井口の言葉。いろんなことが一気に押し寄せてきて、処理しきれない。
胸の奥が落ち着かなくて、呼吸が浅くなる。
どうしたらいいの。何が正解なの。紗耶香に言われた言葉が、ふいに蘇る。
——ちゃんと、自分で選べてるか。
その問いが、今の私に重くのしかかる。