社長、その溺愛は計算外です
電車の揺れに身を任せながら、私は窓の外を見つめていた。
さっき、彼の一人称が変わった。
「僕」から「俺」へ。
感情が高ぶった瞬間に、本音が漏れた。
『俺には──』
聞けば良かった、と思う。
でも聞いてしまったら、答えを保留できなかった。
麗華さんの声が、耳の奥で蘇る。
『十二月第一週に、婚約発表の場が設けられます』
『桐原会長が動いていらっしゃいます』
二ヶ月も、ない。
圭佑さんは「すべてを解決する」と言った。でも、桐原会長が動いている婚約を、本当に解決できるのだろうか。
愛しているから怖い。失いたくないから、先に傷つく前に遠ざかりたくなる。
圭佑さんは、そんな私の強さを魅力だと言った。弱いところも見せていいと、言ってくれた。
それなのに今、私は逃げている。
家に帰り着いて、ベッドに倒れ込んだ。
スマホを見ると、圭佑さんからメッセージが届いていた。
【梓さん
今日は、本当にすまない。
でも、諦めない。
必ず君のところに戻る。
少しだけ、時間をください。
圭佑】
返信したいのに、何を書けばいいのか分からない。
結局、私はスマホを置いた。
布団に包まれながら、ゆっくりと目を閉じた。
圭佑さんの顔が、瞼の裏に浮かぶ。
歪なハートを描いたときの、赤い耳。雨の中で黙って私を庇い続けた肩。孤独な一年間を、初めて誰かに打ち明けた時の、低い声。
『俺には──』
あの言葉の続きを、いつか聞ける日が来るだろうか。
答えはまだ出ない。でも一つだけ、はっきりと分かっていることがある。
彼を、好きになってしまった。
もう、婚活パーティーにいた頃の私には戻れないくらいに。
だから私は、圭佑さんを失いたくない。
失いたくないのに──今の私は、彼を信じ切ることもできない。
それが、苦しかった。