社長、その溺愛は計算外です

一人称が、変わった瞬間だった。

感情が溢れた瞬間に、本音が漏れた声だった。

「俺には──」

私は、その言葉の続きを聞く前に首を振った。

聞いてしまったら、立ち止まれない。答えを保留できなくなる。それが怖かった。

「ごめんなさい」

私は彼の手を振りほどき、バーを飛び出した。

冷たい空気が頬を打つ。

足が地面についている感覚がなかった。

何かが喉に詰まっていて、息の仕方が分からなかった。それでも、足だけが動き続けた。



外は、もうすっかり暗くなっていた。街灯が、寂しく道を照らしている。

後ろから、圭佑さんが追いかけてくる足音が聞こえた。

「梓さん!」

彼の声が、背中に届く。それでも私は、前だけを向いて走り続けた。

いま足を止めれば、決心が揺らいでしまう。

「待ってください!」

彼の声が背中に突き刺さり、心臓が握りつぶされそうになった。

その叫びを振り切るように、駅に着いた私は自動改札へとICカードを叩きつけた。

ゲートを通り抜けた先で、抗いきれずに首を巡らせる。

改札の向こう側に、圭佑さんが立っていた。

苦しみと、後悔と──それでも何か強いものが混じり合った目で、こちらを見つめている。

私は一度だけ彼の目を見て、ホームへ向かう階段を降りた。

電車に乗り込み、ドアが閉まる。

圭佑さんの姿は、もう見えない。

涙が、頬を伝った。
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