社長、その溺愛は計算外です
顔を上げると、桐原さんが正面を見つめていた。
表情は変わっていない。ただ、空気だけが、一度だけ鋭く張り詰めた。
「申し訳ございません。時間の関係で、次の議題に移らせていただけますでしょうか」
いつもより、低い声だった。
まさか、あれは──いや、考えすぎだ。
仕事の場で感情を持ち込むのは、私のルールに反する。そう言い聞かせながらも、口元がわずかに緩んでいた。
会議は滞りなく進み、予定通り正午前に終了した。
「本日はありがとうございました。次回の打ち合わせは、来週の火曜日でよろしいでしょうか」
私が確認すると、桐原さんは頷いた。
「はい。それでは、またご連絡させていただきます」
彼は立ち上がり、会議室を出る前に私へ目を向けた。何か言いたげな表情。だが、周囲に人がいる手前、何も言えない様子。
エレベーターのドアが閉まり、彼の姿が見えなくなった。
──言いたかったこと、何だったんだろう。
小さな疑問が、胸の中に残った。
◇
「お疲れ様でした、新谷さん。今日の提案、クライアントの反応も良好でしたね」
中島主任が声をかけてくる。
「お疲れ様です。そうですね、来週も……」
ブルルルル。
ポケットの中で、スマホが激しく振動した。部下の西田くんからの着信だった。
何の用だろう。
「失礼します」
廊下の隅に移動して、私は電話に出た。
「はい、新谷です」
『新谷さん、大変です!』
西田くんの切羽詰まった声が、スマホから飛び出してくる。