恋の雨が降るとき 〜クールな外科医は甘く囁く~
午後の診察がひと段落したあと、松澤はカルテを閉じたまま、しばらく動かなかった。
視線は落ちているのに、意識は別のところにある。
いつもなら、次の症例のことを考えている時間だった。

だが今日は違う。
頭の中に浮かんでいるのは、さっきのやり取りだった。

――倉田。

呼びかけたときの、あの反応。
ほんの一瞬だけ視線を合わせて、すぐに逸らした。

あからさまではない。
けれど、確かに距離を取られた。

あれが偶然でないことくらい、松澤にはわかる。
わずかな変化を見逃さないのが、普段の仕事だからだ。

呼吸の乱れや、声の震え。
そういう小さな違和感から、状態を見極めてきた。
だからこそ、わかる。

あれは意図的なものだった。
理由はわからない。

だが、何かがあった。
それだけは、はっきりしている。

松澤はゆっくりと立ち上がる。
白衣のポケットに手を入れ、スマートフォンを取り出した。

一瞬、画面を見つめる。
連絡先の中にある名前。

――倉田幸子。

指が、わずかに止まる。
仕事中に私的な連絡を入れることは、これまでほとんどなかった。
必要がなかったからだ。

だが今回は違う。
放っておく理由がない。

むしろ、このままにしておくほうが、気持ちが悪い。

短く息を吐き、迷いなく画面を操作した。
< 79 / 134 >

この作品をシェア

pagetop