恋の雨が降るとき 〜クールな外科医は甘く囁く~
その頃、受付ではようやく人の流れが落ち着き始めていた。

幸子は、手元の書類を整理しながら、ゆっくりと息を整える。
忙しさに紛れている間だけは、余計なことを考えずに済む。
けれど、手が止まった瞬間に、またあの感覚が戻ってくる。

胸の奥に残った、言葉にならない違和感。

それを振り払うように、次の書類へと手を伸ばした、そのとき。
ポケットの中で、スマートフォンが震えた。
びくりと肩が跳ねる。

反射的に取り出して画面を見る。
表示された名前に、呼吸が止まりそうになった。

――松澤克樹。

ほんの一瞬、躊躇する。
開くべきか、どうか。
けれど、見ないままでいることのほうが、怖かった。

指先で画面を開く。

『今日、終わるの何時だ』

短い一文。
それだけなのに、胸の奥が強く揺れる。

いつも通りの、簡潔な言葉。
さっきのやり取りが、頭をよぎる。

――何かあったか。

そう聞かれたとき、自分は何もないと答えた。
嘘ではない。
けれど、本当でもない。

画面を見つめたまま、指が動かない。
返事をすれば、また会うことになる。
会えば、きっと、何もなかったことには、できなくなる。

胸の奥に、迷いが広がる。
逃げたい気持ちと、逃げたくない気持ちが、ぶつかり合う。
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