ワケあり、モトカレ先輩
「…奏多先輩?」
着心地の悪い、ネイビーのスーツを纏って大学の門をくぐった4月。
私の目の前で、オカルト研究サークルの看板が揺れた。
そこには、でかでかと“新入生よ、ぜひオカ研へ”と書かれている。
看板を持っていたその人は、一瞬固まったあと、すぐにニコッと笑った。
その頬のエクボを、忘れるはずなかった。
ーーなのに
「どちらさん、だっけ」
その瞬間、息がうまく吸えなかった。
「あ…」
そっか。
忘れられちゃったんだ。
中学の頃…だもん。
私だけが、覚えていた。
一緒に帰ったのも、
手を繋いだのも、私服でデートしたのも。
全部、奏多先輩が初めてだった。
「あ…いや…えっと、」
何も言葉が出てこなくて、一歩、後ずさる。
「オカ研はやめときな?あ。あっちに文芸部とかあるよ」
奏多先輩は、笑顔を貼り付けたまま私の背中を押す。
その手が、微かに震えていた気がした。
「おい奏多、何で貴重な新入生を他所にやるんだよ」
奥から誰かがそう声を掛ける。
咄嗟に、奏多先輩が私の腕を引いた。
思わず見上げると、その真っ黒な瞳に、私が映った。
心臓が、うるさいくらいに音を立てる。
先輩の袖を掴み、ごくりと唾を飲んだ私を見て、奏多先輩がふっと笑った。
「ほんと昔から瞬きしないよね。こういう時」
世界が一瞬、止まった気がした。
ーー“こういう時”
その意味を考えて、カッと顔が熱くなる。
「…やっぱり、奏多先輩、ですよね」
私はもう、目を逸らせない。
奏多先輩は一瞬視線を外し、もう一度私を見る。
「うん。……でも、」
すっと、頬のエクボが消えた。
「あの頃の“奏多先輩”じゃないよ」
袖を掴んでいた手の力が抜ける。
腕が、ゆっくりと下がった。
ーーどういう意味ですか?
聞くより先に、奏多先輩が続けた。
「だからもう、関わんないで」
その瞬間、横を通り過ぎた学生が一瞬こっちを見たのがわかった。
私は開きかけた唇を、ぎゅっと結ぶ。
「…今の俺、知らない方がいい」
そう言って奏多先輩は私に背を向けた。
その懐かしい背中を追いかけようとして、やめる。
先輩の瞳が、泣きそうなくらい揺れていたから。


