ひとつの秩序
 
 
 
 
 



「けっこん、って言った?」
「…言った」

目の前の加瀬が、そう言ってゆっくりとベッドから身体を起こした。
その瞳は真っ直ぐに見下ろされていて、何が起こったか分からないという顔をしていた。

「……」
「…嫌?結婚」
「いやとか…そんなんじゃないけど…」

何かを考えていたわけではなく、ぽろりと口からこぼれ落ちた。
でも不思議と言葉にした後も、その言葉に違和感は感じていなかった。
呆然とする加瀬の顔を見たくなって、莉子も身体を起こして、加瀬の正面に顔を向けた。

「…透真?」
「……莉子こそ、嫌じゃねーの…」
「嫌だったら言わなくない?」
「なんで?」
「なんでって…付き合ってるのに、結婚はしたくないとか、ある?」
「こういうのって、何年かは付き合うもんだろ…」
「…確かにそうかもしれない」

莉子の答えを聞いてなお、ますます混乱したような表情を見せる加瀬は、事態が全く飲み込めていないみたいで、なんだか面白い。

すぐ外の道路で、車が一台走り去る音が小さく聞こえた。

結婚なんて、漠然とまだ先かな、なんていうイメージだった。
でも、加瀬の顔を見ていたら、その思いを聞いていたら、自分の中にぽっかりとその文字が浮かんだ。加瀬の気持ちを受け止めたいと思った。
こんなに思ってくれている加瀬が不安にならないためなら、そうしたいとすら思って、口から、こぼれ落ちた。

「同棲とか、生活の感じ見たりするもんじゃねーの…」
「でもお泊まりたくさんしてるじゃん」
「それとは違くね…?相性とか性格とか?価値観とか…そういうの、なんか見るもんじゃねーの…?」
「ずっと友達だったんだから、相性とか性格は分かってるよ」

自分でも突拍子もないことを言っていることくらい、理解している。
目の前の加瀬の混乱も理解できる。
けれど、自分の中で口に出してみると、それが驚くほどストンと落ちてきて、不思議と冷静だった。

「…なんで?」

信じられない表情のまま、布団に視線を下ろしていた加瀬が、再びそう言って莉子を見た。

なんで?なんでって、なんでだろう?え?だって、加瀬は酸素みたいな感じで、いないなんて考えられなくて、一緒にいたくて、顔を見るだけで安心して、加瀬の匂いも好きだし、ぎゅってされると落ち着くし、

「なんでって、好きだから?」

それ以外ないんだけど、それだけじゃダメなんだろうか。

そう言うと、加瀬が勢いよく抱きついてきた。
身体が後ろに倒れそうになっていたのを見越していたかのように、莉子の後ろの壁に加瀬が手をついた。その腕が莉子の頭を囲うように力が入る。

「はぁー…莉子って、本当にさ…」
「…ため息って失礼じゃん」
「や、ごめん、そういうんじゃなくて、なんかもう、敵わねーなって、ほんとに」
「なによ」

はは、と笑いながら加瀬が言った。
そのまま頭をゆっくりと撫でられる。

「…俺は、多分さ、これからもずっと莉子が好きなんだよね。しぶとく」
「…」
「今までずっと好きだったからさ、莉子以外を好きになるとか、想像つかない」
「…うん」
「だから、独占欲も、嫉妬も、執着も、すごいよ?いいの?」
「うん、どんと来い」

加瀬はさっきよりも大きな声で笑って、そのまま莉子をゆっくりとベッドに押し倒した。顔の傍に両手を置かれ、見下ろされるようにする加瀬の視線を感じて、気づく。

「…すっぴんだった、私」
「は?」
「記念すべきプロポーズなのに」
「プロ……え、俺は今プロポーズされたの?」
「え?違うの?」
「違わ…ないかも」

そう言うと、真顔になっていた加瀬が、「ハァァァ…」と長いため息を吐きながら、力が抜けたかのように莉子の身体の上に項垂れる。

「…プロポーズは、俺がする」
「え?」

莉子のお腹の上に顔を埋めて、くぐもった声で加瀬がぼそりと言った。

「俺が、色々用意して、色々準備してから、ちゃんとしたとこで、ちゃんとする」
「ふふ、そうなの?」
「うん。だから今のは…雑談ってことにして」
「ひどい、雑談にしないでよ!私のプロポーズ!」
「嫌だ、俺がするからプロポーズは」

そう言って加瀬は、寝転がる莉子を見下ろした。
その顔は眉がしかめられていて、なんだかバツが悪そうだ。

でも確かに、これからプロポーズはどちらからしたんですかなんて聞かれた時に、風邪のときにすっぴんで、自宅のベッドで寝転がりながらしました、では格好がつかない気がする。そんな想像をして、笑みが漏れた。


「…じゃあ、ちゃんと雑談に返事してよ」


莉子がそういうと、加瀬は一瞬キョトンとした後、眉を寄せて吹き出した。


「するに決まってんじゃん、結婚」


ああ、このくしゃりと笑う顔を、ずっと見ていたい。
透真が私にくれる全てを、今まで気づけなかった分も、受け止めていきたい。
別に私も、結婚なんていつでもいいんだ。

でも、ずっと透真にそばにいて欲しいから、結局それって変わらないかなって。
きっとたくさん傷ついて、不安になって、しんどくて、それでもずっと諦めないでいてくれたおかげで、今私は、こんなにも幸せな気持ちになっている。

でも私は言葉に上手くできないから、きっとずっと、私も透真が好きだよって、それを分かってもらえれば、安心してもらえれば、それで充分なの。


ふわりと、加瀬が莉子の隣に寝転んだ。
ごつごつとした腕が頭の下に置かれ、そこに頭を乗せる。

「…結婚指輪は、ハリーウィンストンでよろしく」
「いいよ、一番高いの買うよ」
「ふっ、透真、知らないでしょ?値段見たらびっくりするよ」

なんだか急に自分のプロポーズが恥ずかしくなってきて、それを誤魔化すための提案をしたらとんでもない答えが返ってきて、思わず莉子は吹き出す。

「いい、もうなんでもいいよ。今の俺は無敵だ」
「ふ、何それ」
「莉子が俺と、一緒にいてくれんなら、なんでも」

全然こだわりもないし憧れもないから、本当になんでもいいし、ハリーウィンストンなんて言ってみただけなんだけれど、今の加瀬なら本当に買ってしまいそうだ。

手始めに、Webサイトでも見せてみようか?
それともまずは、コンビニであの有名な結婚雑誌でも買って置いておいたら、きっと莉子がいないうちにそれをこっそり読んで、値段にびっくりするんだろう。

「まだ夢みたい?」

笑いながら言った莉子の言葉に、加瀬は気まずそうな、恥ずかしそうな顔をして視線を逸らした。
ネタにすんなよ、ときっと思っているんだろう。

「…夢じゃないって実感させて」

少しだけ甘えるような声でそう言った加瀬に、莉子はゆっくりと口付けた。
顔が近づくとゆっくりとその目が伏せられて、少しだけ乾燥した唇が、回数を重ねるごとに湿っていく。

まずは、ベッドを大きいものにしよう。
休みの日に、ゆっくりと二人でごろごろできるものにして。

「ん、」
「莉子、かわいい」

指輪は、その後からでも遅くない。

「とうま」
「好き、好きだ、莉子、ほんとに、俺」
「っうん」

とりあえずは、私の家で良さそう?でも物件を見に行くのも楽しいかもしれない。
一緒に住むとしたら、きっとオートロック必須とか、道が暗くないところとか、加瀬の条件は厳しそうだ。


「ありがとう、かわいい、好きだ…っ」


そして、そうやって日常を増やしていって、いつかドレス姿の私を見た時に、夢じゃないって、実感してくれるだろうか。






 
 
《 完結 》

ありがとうございました!
この後のお話も番外編でちょこちょこ更新していく予定です!

この続きのお話(R18)は「エブリスタ」というサイトにて公開しています。
あと「もしも」のお話として、片倉と付き合っていたらのお話も書きたいと目論んでいます…(嫌な方がいたらごめんなさい)


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