ひとつの秩序

 
 
 
 
黒のノーカラーコートに、ちらりと見える中のニットも黒。
白のフレアスカートがふわりと揺れる度に、パッと映える。
足元はショートブーツで、差し色で青のマフラーがアクセントになっている。

後頭部の真ん中あたりで結ばれたポニーテールの根本からは、黒のベロアのリボンが垂れていて、ボリューミーな服でもスッキリ見せている。

いつの間に、こんなに、綺麗に成長していたんだろう。
見ないふりなんか、しなければ良かった。
そうすれば、もっと早く手に入っていたのかもしれないのに。


「そろそろ、出る?ショップでも見ようか?」
「ショップ見たいです!」

莉子が動くたびに、ポケットの中で指がぶつかる。
その度に軽く擦ったり、握ったりしてみる。
思ったより、慣れるのが早い。でも、それならそれでいい。

木目の棚には紙とインク、布の新品の匂いが混ざっている。
図録が平積みされていて、壁際にはポスターやトート、意味が分かる人にしか刺さらなさそうなオブジェが並んでいる。

「見終わった後だと、全部欲しくなりますねー!」
「そうだね」

片倉は笑いながら、手を離した。図録を一冊手に取り、パラパラとページを追う。

「これ、さっきの模型の別カット載ってる」
「ほんとだ。展示ではなかったですね」
「意図的に隠してたのかもね。全部見せない方が、想像させられるから」

莉子は隣から覗き込む。
距離が近いのはもう当たり前みたいになっている。
肩が触れても気にしない。元々、距離は近い方ではあったが、俺が、その距離感を武器にしていることなんて思いもしないだろう。

「先輩ってこういう、見せない設計みたいなの、好きですよね」
「うん。全部説明するの、あんまり好きじゃない」
「知ってます」

莉子は即答し、それに自分で気付いたようだった。
照れが分かりやすくて、それがとても、自分の中でも自覚していない、いじめたくなるような気持ちがゆらゆらと蠢かせる。

「南は、俺のことよく知ってるね」
「…ずっと一緒に仕事してきましたし」

そう、俺も、南の感性は把握してる。
ゆらりとポニーテールが揺れる。もっと、赤くなって、俺を意識して、俺の中に、引き込んでしまいたい。

「南、この感じ好きそう」
「あ、好きです」

隣の棚のポストカードが目について、莉子に差し出す。

「じゃあこれ、今日の記念に買おっか」
「え、いいんですか」
「うん、どっかに飾ったりしてね」
「はい!じゃあお家のテレビ台に飾ろうかなあ」

そうすれば、いつでも今日のことが思い出せるね。
レジまで行って、袋に包んでもらったそれを渡すと嬉しそうに莉子はお礼を言った。

「…そろそろ行く?」
「そうですね」
「夜ご飯、食べに行こっか」
「…はい」

あ、また身構えたね。今更構えたって、もう何も変わらないのに。
また手を取って、絡めて、ポケットの中に押し込んだ。何度目かの熱がそこに入って、ずしりと重みが増して、心地良い。





「今日はちゃんと予約したよ」
「…」

片倉です、と店員に言うと、お待ちしておりましたと丁寧な言葉と笑みで迎えてくれる。ポケットの中の手が少し固まった。それだけで南の気持ちが伝わる。

窓一面に夜景。
ビルの光が、規則的に、無関心に瞬いていて、それを見るためだけに設計されたような横並びの席。

「東京カレンダーみたいだね」
「…そうですね」

背後は背の高い仕切りで、他の客の姿は見えない。
店内には、控えめな話し声と、ピアノの音色、食器が置かれる乾いた音がする。

「飲み物、何飲む?」
「…ジュースありますかね」
「うんあるよ、この赤ぶどうジュースってやつとか美味しそう」
「じゃあそれで…」

コートを店員に預けて、隣に座っている莉子の姿勢はまっすぐだ。
ポニーテールの毛先は、マフラーで押さえつけられてか、ぴよりと跳ねていて、それに触れたくなって理性を戻す。

テーブルを白すぎない、でも料理の温かみが映えるような光が柔らかく照らしている。
照らしてあればなんでもいいと思えるようなこの間の居酒屋とは大違いだな、と片倉は思う。全て計算されて設計されている。空間が、この場所を格上げしている。

「いかにもっていう店でごめんね」
「お高そうな…私こんなところ初めてです…」
「それは良かった」

丁寧に置かれた水のグラスには、夜景の光が映り込んで、揺れている。

「…私なにも考えてなくて」
「俺が考えてたからいいじゃん」
「…先輩はこういうところ、よく来るんですか」
「来るわけないじゃん、今回は特別」

ごめんね、俺、経験値が高くて、そういうのも利用させてもらうからね。

「好きな子、落としたいからさ」
「…うぅ」

莉子は顔を覆った。崩れない姿勢がまだ緊張が解けてないのが伝わる。
ドリンクが運ばれてきて、軽くグラスを合わせる仕草をした。
頼んでおいたコースの前菜も運ばれてきて、ぽつりぽつりと話しながら食事をする。

「先輩って、…なんていうか…」
「ずるい?」

片倉は笑みを浮かべる。莉子はこちらを向いて、少しだけ困ったような顔をして頷いた。

「後学のために教えてあげるけどさ」


ずるいのは、俺が一番よく分かってるよ。


「集合を午後にしたのは、夜ご飯を一緒に食べようと思ったから。日曜に誘ったのは、混雑してるから」
「混雑…?」
「手が繋げるかなって」

どこかのテーブルで、箸が器に触れる音だけが、やけに近くに聞こえる。

「ついでに、この美術館は高層階でしょ」
「?はい…」
「こういうところには、夜景を売りにした店がたくさんあるんだよ。こういう席もね」

コースは、皿と皿の間が長い。食べ切るまで、店を出ることはできない。
合間に口説くのに、ちょうどいいね。
そこまでは、教えてあげないけど。

「…先輩、どれだけモテてきたんですか…」
「え?それなりだよ。モテてきたって言うか…」

体を少し寄せた。
莉子の白いスカートは、照らしてくれるライトを失ってグレーへと影を落としている。
くしゃり、とスカートが捩れて、莉子の小指と片倉の小指が重なった。

「南を、落とすのに必死なだけだよ」
「っもう、やめて、ください」

そう、大の男が必死になっているだけだよ。


仕事の話を、好きな建築やデザインの話をしている時だけ、無防備になることが分かってる。

防衛本能が麻痺したところを利用して、俺は、それをわざと踏み込んで、狙っている。


「…南、可愛いね」
「か、かおが、近いです」

君の憧れを利用して、それは何よりも信頼の証なはずなのに、一番の君の聖域に、

手に入れたいからだと言う、自身の欲望のままに、制圧するために利用している。

君の純粋な向上心を、自分への依存に向くようにコントロールしている。


「…キスでもしてみる?」
「えっ、」
「…そういうのから、好きになることもあるんじゃない?」
「せ、んぱ、」

尊敬を向けられて、情欲で返す。

なんて浅ましくて、狡猾で、滑稽なんだろう。


「…冗談だよ。さすがに後輩だし、付き合ってないのにそこまで手出しません」
「び、っくり、しました」
「ごめんね。可愛くて、動揺させたくなっちゃっただけだよ」


その落差さえ丸ごと受け入れて、それでも笑顔を向けてくれる君が、どこまでも愛おしくて、

俺は、君が、どうしても欲しい。


「…わたし、」
「いいよごめん、急かしたつもりはなくて、ゆっくり考えてくれていいから」
「はい…」


南の頬が赤い。
自分のことで、彼女の感情を乱していることがたまらなく嬉しくて、庇護欲と支配欲に駆られる。

どこまでも自分が、底のない海に落ちていく気がする。
俺は、大切に育てた花を、そこに引っ張りこもうとしている。


そっと手を取った。
次の皿が運ばれてきたら、離されてしまうだろうか。

「たとえ俺を選ばなくても、先輩では居させてね。ちゃんと、無かったように振る舞えるから」


大きな目が、こちらを見つめる。
その瞳の中が、ずっとそうだったらいいのにね。
そのうなじも、頬も、ふわりと揺れるベロアのリボンも、ほどいてしまいたいと思っていることなど、知る由もない。

「…嫌いになったらごめんね」
「……嫌いになんて、ならないです…」


俺は俺が好きじゃないけど、そう言ってくれる君に救われているのに。

ごめんね、それでも俺は、南が欲しい。



 
 
 
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