ちょっと天然の女子はきらきらでピカピカになる

第3話 いけない女

 川のひとところに、人だかりができています。

「ほら! あれ!」

 リクちゃんが川のほうを指さしました。

 畳石と呼ばれる、川からちょっと顔を覗かせている平たい石の上に、大きな犬のような、やや茶色がかった黒い生き物がいます。

 水に濡れたその体は、日の光を浴びて艶やかに光っていました。

「オットセイ! ゴマちゃん!」

「……、リクちゃん。ごめんなさい。私、かんちがいしてた」

「俺も、変だなあとは思ったんだ」

 リクちゃんがそう言って笑って、私も一緒に笑いました。

 お父さんは、ホテルに遅刻しないと思います、たぶん。
 
「ゴマちゃんって、俺が勝手につけた名前だよ」

「そうだったのね」

 私は、リクちゃんがやっぱりいいリクちゃんでよかったぁ、と思いました。

 でも、いいえ、違うんだわ、とすぐに思い直しました。
 リクちゃんはいつものいいリクちゃんだったわけで、それを勝手にかんちがいして、リクちゃんを悪いリクちゃんにしてしまっていたのは、私です。

 私、いけない女だわ……。

「ゴマちゃん、かっこいい!」

 リクちゃんは、私がいけない女であることなど知るはずもなく、まぶしいくらいの笑顔です。

 オットセイは、上半身を起こし、左の前ひれを掲げていました。

 ポーズ、です!
 
 歓声と拍手がわきおこります。

「ゴマちゃん、かっこいいなぁ!」

 リクちゃんも拍手して、私も拍手しました。

 私には、ゴマちゃんはかっこいいというより、かわいいと思えたのですが、リクちゃんがそう思っているなら、と大きくうなずきました。

「うん! かっこいいね!」

 かっこいいゴマちゃんは、左の前ひれをおろすと、今度は、右の前ひれを掲げました。

 また、ポーズ、です!

 その時、私はようやく気づきました。
 さっき、お父さんが指さして笑っていたのも、このオットセイだったんだ、と。

「かっこいい……」

 リクちゃんは、かっこいいをくりかえします。
 本当に、ゴマちゃんをかっこいいと思っているんです。

「うん! かっこいいね! かっこいい!」

 私は、リクちゃんに何度もうなずいてみせました。
 そうすることで、いけない女から抜けだしたかったんです。

 川の中では、ビーチボールを手にした二十歳くらいの女性が、畳石の上でポーズをとっているゴマちゃんに近づいていきました。

「ほら! ほら!」ボールを、ゴマちゃんに、さかんに示します。

 あっ! かっこいいゴマちゃんも、ボールに興味を持ったようです。
 ポーズを解き、女性のほうに顔をつきだしたり、ひっこめたりします。

「はーい!」女性は、ビーチボールをゴマちゃん目がけて、そっと放りました。

 すると、どうでしょう、ゴマちゃんはそのビーチボールを鼻先でピタリと受けとめたではありませんか。

 さらに大きな歓声があがりました。

 私もリクちゃんも顔を見合わせ、思いきり拍手です。

 かっこいいゴマちゃんは、ボールをしばらく鼻先にとどめていましたが、今度はそれを川の中の女性に、大きく弧を描いて返しました。

「すごーい!」
 私は思わず口にしてから、
 あ! 
「かっこいい!」と付け加えました。

 リクちゃんは拍手しながら、にっこりとうなずきます。

 確かに、あのゴマちゃん、「かっこいい」と言っていいのかもしれません。
 私もだんだんそう思えてきました。
 ひょっとしたら、心のきれいなリクちゃんの言うことは、みんな正しいのかもしれません。

「やっぱり、かっこいいなー、ゴマちゃん」

「そうね。あんなにかっこいいオットセイって、そうそういないわね」

 私はそう言ったところで、あることに気づきました。

「ねえ、リクちゃん。どうして、ゴマちゃんって名前にしたの?」

「オットセイって、だいたい、みんな、ゴマちゃんだろ?」

「……、そっ、そう?」

「うん。ゴマちゃんだよ」

「ゴマちゃんって、ゴマフアザラシだから、ゴマちゃんなんじゃないの?」

「……」

 リクちゃんは、はっとしたようでした。
 拍手の手をとめ、口を半開きにしています。

 いけない! 

 私はまたよけいなことを言ってしまったようです。

「ごめん。ごめん。オットセイがゴマちゃんでも、べつにいいよね」

 私はすぐに謝りました。
 
 でも、リクちゃんは腕組みし、首をかしげ、うーんと唸ります。
 考えこんでしまったようです。

 私は顔をひきつらせながらも、がんばって笑顔をつくり、
「ゴマちゃん、かっこいいもん。うん。ゴマちゃん、かっこいい」
 かっこいいを連発しました。
 私が口にしてしまったよけいなことを、リクちゃんに忘れてほしかったんです。

 でも、リクちゃんは、そう簡単に記憶喪失にはなってくれませんでした。
 腕を組み、首をかしげたまま、すっかり固まっています。

 と、オットセイのゴマちゃんが、両の前びれで、みんなと一緒に拍手しだしました。

「リクちゃん、ほら! 見て!」

「うわっ! かっこいい!」

 リクちゃんは、一歩前に出て、大きな声をあげました。

 私はそっとリクちゃんの横に立って、秘かに思いました。
 これでリクちゃんがうまい具合に記憶喪失になってくれればいい、と。

 なにしろ、リクちゃんが最初に気に入ってつけた名前がゴマちゃんなんです。
 私とリクちゃんとの間で通じればいいんです。
 ゴマちゃんで何も問題はないのに、まったく、私ったら、よけいなことを口にして。

 ホント、いけない女だわ……。

「やっぱり、ゴマちゃんじゃ、だめだ」

 リクちゃんは、きっぱりと言いました。

 えーっ! 

 私は、両の頬に手をあてました。

「ゴマフアザラシじゃないんだから、ゴマちゃんじゃ、本人が嫌なはずだ」

「本人って……」

「オットちゃんにしよう! オットセイなんだから、オットちゃん!」

「ああっ! オットちゃん!」

 私は胸の前で手を合わせ、飛び跳ねました。

 リクちゃんは笑顔でうなずき、かっこいいオットセイのオットちゃんに目をやります。

 オットちゃんは、またボールを鼻先に乗せていました。

 私は、とにもかくにもリクちゃんに笑顔が戻ってよかったと思いました。

 その時です、背後で笑い声がしました。

 振り返ると、モスグリーンのTシャツと短パン姿のおじさんが立っていました。
 
 今ここで水着を着用していない三人目です、たぶん。

< 3 / 3 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

公開作品はありません

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop