恋煩いの処方箋
 十五分程経った頃、突然スマートフォンの着信音が鳴った。ディスプレイには大和の名前が表示されている。全身に緊張が走る。どうか、いい知らせでありますようにと願いながら電話に出る。
「もしもし、大和⁉︎」
『のんちゃん、見つかったよ! ちゃんと無事だから、安心して』
「あぁ、よかった……」
安堵した途端、堪えていた涙が溢れ出す。無事でいてくれてよかった。本当によかった。
『のんちゃん連れてこれからそっちに向かうよ。亜子、大丈夫?』
「……ごめん、大丈夫。ありがとう、待ってる」
 遠くから黒い外国産のSUVが近づいてくるのが見えた。待ちきれずに駆け寄ると、後部座席には和花の姿が見える。
「のん、のんちゃん!」
大和は車を停め、ドアを開けてくれる。
「ママ泣いてたの?」
 和花は泣き腫らした私の顔を心配そうに見つめる。そして、「ごめんなさい」と言いながら私に抱きついてワンワンと泣き出す。ひとしきり泣いたあと、疲れたのかそのまま眠ってしまった。
 大和は和花を抱いて、アパートの部屋まで運んでくれる。同時に、保育園へ電話を掛けた。和花は保育園を抜け出した後、アパートで自転車に乗り大和のいる総合病院まで行こうとしていたようだ。病院まで数キロの所で、大和に見つけてもらい保護することができた。
迷惑をかけて申し訳ないと謝罪する。園長先生は「無事でよかったです」と何度も何度も言ってくれた。そして、今後二度と離園するような事がないよう、対策を立てるという。
「ご心配とご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした」
電話の相手に深く頭を下げる私を大和は黙ってみている。
「大和も、本当にありがとう。仕事は大丈夫なの?」
「あと少ししたら戻るよ」
「じゃあ、お茶淹れるね」
立ち上がり、キッチンでコーヒーを淹れる。お茶菓子にチョコレートを添えて。
「よかったら」
「ありがとう、いただきます」
 大和はコーヒーをズズッと啜り、昼寝用のマットで寝息を立てている和花を見つめる。
「のんちゃんさ、俺を亜子に会わせたかったんだって」
「どういうこと? 私はのんが会いたがっているんだとばかり……」
 だって、和花はそんなこと一度も口にしてはいない。
「ママが嬉しそうだったからって。またにこにこしてほしいんだって。だから、俺に会いに行こうと思ったんだって」
「……のんがそう言ったの?」
 驚きを隠さずに言う。
「あぁ、そうだよ。だから、今回のことは叱らないであげて」
 大和と再開して、戸惑いの方が大きかったけれど、嬉しくないはずがなかった。そんな心の機微まで子供は感じ取っているというのか。
「私ってそんなに不幸そうだったのかな?」
「そんなことない」
 大和は激しく首を横に振った。
「でも、 この子にあんなことまでさせて、母親失格だよね」
 娘の真意など考えもせず、大和に会わせないまま誤魔化し続けてきた。そんな私の態度が彼女を危険な行動に走らせてしまったのだから。
「そうじゃない。そんなことは誰も言ってない。亜子は良くやってる。俺の分までのんちゃんの事を立派に育ててくれたんだから、だから、失格だなんて言うな!」
「気付いてたの?」
 問いかけに、深く頷く。大和の目には涙が滲んでいる。
「いままでごめん、ひとりで背負わせて、苦労させてごめん。許してほしい」
 静かに頭を下げる大和に、私はにじり寄る。
「あやまらないで。幸せだったから。好きな人の子供を産んで苦労だなんて思ったことなかったよ」
 それが本心。心細さに泣きたくなることもあったけれど、そんな事すら忘れるくらい和花がいる生活は充実していて毎日が宝物のようだったから。
「……ありがとう、亜子」
 涙声の大和を私は遠慮がちに抱きしめる。病院ではじめて和花を見た時、どんな気持ちだったろう。きっととても混乱したに違いない。それでも彼なりに私たち親子に寄り添おうとしてくれた。
「ありがとう、大和」
「許してくれるのか?」
顔を上げた大和と鼻先が触れる。お互い涙でぐちゃぐちゃになっていて、「フハッ」と吹き出してしまう。
「笑わないでよ」
「亜子が笑うからだろ」
「大和、鼻水出てる……」
「これはただの生理現象だ」
はい、とティッシュを渡すと鼻をかんで、私の涙も拭いてくれる。
「ありがとう……なんか、恥ずかしいかも」
娘にはよくしていることなのに、自分がしてもらうのは抵抗がある。
「大丈夫、誰にもみられてない」
「そういうことじゃなくて」
つい、声が大きくなる。すると大和が、「しーっ!」と人差し指を私の唇に押し当てる。不意にそうされてかぁっと頬が熱くなる。意識してはいけないと考えるほどに熱を帯びていく。
「ごめん」
 大和も、気まずそうにするから余計に意識してしまう。
「びっくりしちゃったぁ」
「そうだよな、嫌だった?」
「ううん、嫌なわけじゃなくて……」
「それならよかった」
大和がもう一度、私の唇に触れる。真剣な眼差しが私を見つめる。
「亜子」
大和が私を呼ぶ。あの雪の日の夜を思い出す。決して過ちなどではなかった。だから大切に繋いできた私と和花の人生の物語。
 
 
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