恋煩いの処方箋

「どうぞ」と言われて中へ入る。濃紺のスクラブを着た男性医師は私の顔を見てまるで懐かしむように目を細めた。少しも変わらない。いや、大人になってより男らしくなったような気がする。医者の格好をしている大和を見たのは初めてのはずなのに、見知った姿にさえ思えるのは、夢を叶えた彼の姿を何度も想像していたからなのかもしれない。
「……大和」
 驚きと懐かしさ、いろいろな感情がこみ上げてきてその場に立ち尽くす。
「ひさしぶりだな、亜子。とりあえず座れば」
 大和はとんとんと椅子を叩く。私はおずおずとそこに座る。真っ直ぐに見つめられ、隠していた秘密が暴かれてしまうのではないかという危機感に襲われる。逃げだしたい。でも、できない。
「和花ちゃん、命に別状はないから安心して」
「うん、会ってきた。診てくれてありがとう。迷惑かけてなかった?」
 泣いて暴れたりしなかっただろうか、子供とはいえ迷惑をかけたならばちゃんとお詫びをしたかった。けれど大和はしっかりと首を横に振る。
「ぜんぜん。ちゃんといい子にしてたよ。まさか亜子の子だったなんて驚いたけど……」
「……大和こそ、どうしてここにいるの? てっきり東京の病院で働いているものだと思ってたから驚いちゃった」
 東京で医者になったら、こんな田舎街には戻ってくるはずがないと、だから会えなくても仕方がないのだと自分自身に言い聞かせて来たのに。再開してしまった。しかも娘の主治医として。
「亜子には何度か連絡したんだけど、繋がらなくて」
「ごめん、スマホ替えた」
 大和に頼ってしまわないように、連絡を絶つために、私は連絡先をすべて変更していた。
「そか。実はさ、俺救急の専門医を目指してるんだ。この病院に同じ医大の先輩がいてそれで――ってごめん。俺なんかのことよりも、まずは和花ちゃんのことが先だよな」
申し訳なさそうに言いながら大和はパソコンを操作してレントゲンの画像を私に見せる。
「ここ、わかる? 左の鎖骨が骨折してる」
「折れてるの? とても元気そうだったけれど」
大和はレントゲンの一部を指さす。言われれば確かに亀裂のようなものが見えなくもない。
「小児はポッキリと折れることは少なくてこの程度なら手術は必要ない。固定して安静に過ごしていればひと月くらいで完治するはずだよ。整形外科の先生にも見てもらったから安心していい」
しばらくは専用のバンドで固定する必要があるそうで、着脱方法は看護師さんから説明があるそうだ。
「よかった」
「ただ、高いところから落ちて頭を打っているようだから数日はこまめに様子を見てあげて」
「様子をみるってどうしたらいいの?」
 不安がる私を見て大和は引机の上の引き出しからパンフレットのようなものを一枚取り出す。【あたまを打った後に注意すること】と書いてある。
「ここのパンフレットをよく読んでみて。もし、いつもと様子が違ったり気になることがあったら……」
 言いながらパンフレットの下の方にボールペンで数字を書き始める。
「これ俺の番号。いつでも電話して。仕事中だと出れないかもだけど、なるべく気にするようにするから」
「いいの? 迷惑になるんじゃ」
「いいよ、だって……」
 言いかけた時、診察室のドアがノックされる。静かに戸が開くと「お父さんも到着されました」と看護師さんが言う。杉崎さんが困り果てた様子で顔を覗かせる。きっと父親と勘違いされたんだろう。
「すみません。俺は廊下で待ってるって言ったんですけど……のんちゃん、大丈夫だった?」
「はい。軽傷でした」
「よかったぁ。先生、ありがとうございました」
 杉崎さんが頭を下げると「もうお帰りいただけますよ。お大事に」と大和が言う。すると看護師さんが「こちらへどうぞ」と私たちを和花の所へ連れて行く。
(……さっきなにを言いかけたんだろう)
 大和の言葉が気にかかった。けれどそれ以上に和花に会いたい気持ちが勝る。処置室のカーテンを開けると杉崎さんに気付いた和花が嬉しそうに立ち上がった。
「裕翔(ひろと)くんだ!」
「のんちゃん、あぶないから座ってね」
「はーい」
 私には何かと反論してくる和花も杉崎さんの言うことはよく聞く。年の離れた兄弟がいるという彼は父親のいない和花のことを気に掛けてくれて、たまに動物園や水族館に連れて行ってくれる。和花が喜ぶからつい甘えてしまっているのだけれど、私たち親子が負担になってはいないかと心配になるときがある。
三十歳を過ぎた彼は田舎では晩婚扱いで、「いい人はいないのか」とことあるごとに聞かれている。失礼な質問のオンパレードに聞いているこちらがヤキモキする。けれど当の本人はあまり気にしていない様子で「いい人がいればいいんですけど」と笑っている。昔は少しやんちゃをしていたらしい杉崎さんは地元で顔も広くたくさんの人に慕われている印象がある。仕事にも一生懸命で頼りがいのある人だ。だからこそ、幸せになってもらいたい。
 鎖骨骨折専用の固定バンドの着脱方法の説明を聞いてから病院を出る。みんなで杉崎さんの車に乗って保育園へ向かった。
遠藤先生と車を降り、園長先生に挨拶をしに行った。口論の発端は、相手の子が和花に父親がいないことを揶揄ったからだという。先に和花がお友達を押してしまい、押し返されたときに落下した。一瞬のことで保育士さんも間に合わなかったそうだ。
「大変申し訳ございませんでした」
 園長先生からも丁寧な謝罪を受けて恐縮してしまう。
「幸い和花も軽症でしたし、これ以上あやまらないでください。これからもどうぞよろしくお願いします」
 和花の荷物を受け取り、明日はお休みすると伝えた。仕事は有休をとるつもりでいる。大和に言われた通り、和花に異常が起きないか見守りたいと思って。
 
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