9年目の春、隣に
校庭の一本桜が新緑に染まる頃。
昇降口に貼り出された新しいクラス表を見て、私は最初にアイツの名前を探した。
「…あ、」
小さく開いた唇が、少し震えた。
ーーついに離れた
小学一年から中学二年まで。
同じクラスになり続けたその名前は、五組にあった。
そこに私の名前は、無い。
「ねぇまた同じー?さいあくー」
「はぁ?最高の間違いだろ」
下駄箱から聞こえた声に、つい視線を向ける。
八年間、同じ教室で過ごした相手は、変わらない笑顔で他の女の子に背中を叩かれていた。
その瞬間ーー交わる視線。
上履きがキュ、と鳴った。
でも彼は、女の子に背中を押されすぐに視線を外した。
私は鞄の持ち手をギュッと握りしめる。
その女の子と同じセリフを、毎年言ってきた。
もしかしたら彼は、八年間同じだったことすら気付いてないのかもしれないーー
そう思ったら、目を逸らしたくなった。
教室に入ると、黒板に座席表。
相沢という、自分の苗字を今日ほど恨んだことは無い。
出入り口に一番近い最前列。
見たくない人がよく見える席だった。
なるべく視線を向けないように過ごすしかなかった。
二限目の後の少し長い休み時間。
なるべく前だけを見て過ごしていたのに、なぜか視線が廊下に引っ張られる。
そういう時に限って、五組の集団が廊下を歩いていた。
目が合うと「…あ」と、つい口から漏れる。
慌てて口を閉じた。
彼の隣には下駄箱と同じ女の子がいた。
数週間前まで、そこは私の場所だった。
私は、いたたまれなくて席を立つ。
ーーその瞬間。
「元気?」
通り過ぎたはずの彼が、扉からひょこっと顔を出した。
思わず固まる。
鼓動が、早くなった。
何も答えない私に、彼は顔の前で手をブンブンと振って顔を覗き込んだ。
「…何、その顔」
彼はそう言って、ふっと笑う。
「な、何って…」
ようやく言葉が出たのに、目を合わせられない。
彼は私の耳元に顔を近付けた。
「俺と違うクラスで寂しくてしょーがない…て顔、してるよ」
「っ、」
私はバッと耳を押さえた。
彼はヘラ、と楽しそうに笑っている。
「な…なに言ってんの」
否定した声は、自分でも分かるくらい、弱かった。
「違うの?」
軽い調子のままなのに、妙に真っ直ぐで、言葉に詰まる。
…私に、何を言わせたいの。
流れる沈黙。
廊下から、彼を呼ぶ声がする。
目の前で小さく、ため息が聞こえた。
「ごめん、行くわ」
彼が離れていく。
ーー八年間が、終わる。
そう思ったら、勝手に体が動いた。
制服の背中を、掴んだ。
「寂しい、」
それは、思っていたより、小さい声だった。
彼はゆっくりと振り向く。
私は、掴んだ制服を離した。
「…んでしょ、そっちが」
見下ろす瞳は、私を捉える。
ほんの一瞬。
彼の表情から、いつもの軽さが消えた気がした。
「……は?」
さっきまでの、からかう調子じゃない。
私は視線を逸らさないまま、もう一度言った。
「そっちこそ、寂しいんでしょ」
言ってから、気付く。
逃げ場がない…でも、もう遅い。
彼は何も言わない。
ただ、私をじっと見ている。
教室のスピーカーからは、予鈴が響いた。
「……なにそれ」
先に崩れたのは、彼の方だった。
小さく笑って、でも少しだけ困ったような顔をする。
「それ、俺のセリフじゃん」
一歩、近付く。
さっきより、距離が近い。
「取んなよ」
心臓が一層うるさくなった。
「…取ってない」
彼は、ぞろぞろと着席し始める教室内に視線を向け、短く息を吐いた。
「寂しいよ、普通に」
低くて小さい、照れたような声だった。
視線は合わない。
「……」
私は上履きを見つめた。
「また来る」
頭にふわ、と手が乗り、離れる。
ーー“また”。
視線を上げると、遠ざかろうとする背中。
私は咄嗟に袖を掴んだ。
自分でも驚くほど自然に。
彼が少しだけ目を見開く。
「……なに」
「……なに、も」
私は袖を離し、前髪を手で押さえる。
目が合い、二人して、目を逸らした。
同じ教室じゃなくても。
八年間の続きが、そこにあった。


