幼馴染への三度目の失恋を回避したい ――激重な片思いを隠さなくなってきた彼に、心臓がもたなくなってきた彼女。【完結】
長すぎた無風時代の弊害。明らかに俺を意識し始めた彼女の反応に処理落ちしてしまう

第23話

 いよいよ明日から文化祭が始まる。
 校舎は、どこもかしこも前日の異様な熱気に包まれている。

 吹奏楽部も、放課後の練習は任意参加となっている。
 自主練したい人のために音楽室は開放されているけれど、クラスの出し物であるヨーヨーすくいの準備が終わっていなかった私は、教室に残ることにした。

 仕上げの色塗りに使っていた筆とパレットを洗うため、廊下に出た。

 どのクラスも、見慣れた空間がまったく別の姿へと変わりつつあった。
 あちこちからのざわめきや、机を引きずる音、誰かの大きな笑い声などが入り混じって響いている。
 まるで音が渋滞しているようだ。

 水道の前に立ち、蛇口を捻る。
 冷たい水に癒されながら、排水溝に流れていく絵の具の匂いを感じていた。


 洗い終え、濡れた手をハンカチで拭きながら戻ろうとしたとき、ちょうど教室の引き戸がガラッと開いた。
 出てきた人物と、バッチリ目が合う。

「あ」

 なっちゃんだ。

 彼は、昨日髪を切ったばかりだ。
 耳周りや襟足がすっきりと短くなって、元々大人びている顔立ちが、さらに洗練されて見える。

「わり。三十分くらい抜けるわ」

 やや申し訳なさそうに言う。

「もしかして、バンドの練習?」

 私が尋ねると、「そう」と頷いた。

「そっか。頑張ってね!」

「うん」

 なっちゃんは短く応えると、そのまま私とすれ違い、廊下を歩いていく。
 その後ろ姿を、なんとなく見送っていた。

 すると、一番奥にある教室から、女の子が出てきた。
 彼女がなっちゃんに声をかけ、二人はごく自然に並んで歩き始めた。

(あの子だ)

 以前、プレハブ小屋で見かけた、なっちゃんと同じバンドでピアノを担当する『由利さん』。

 由利さんがなっちゃんに話しかける綺麗な横顔が見える。
 なっちゃんも彼女を見下ろし、穏やかに頷いている。

 二人とも背が高くて、すらりとしている。
 艶やかな長い黒髪と、少し短くなった黒髪。

 ――『朝井くん、八組の由利さんと付き合ってるって、ホント?』

 先日、暗くなったマンションの共有廊下で、『彼女できたの?』と聞いたら、『できてない』とは言っていたけれど。
 静かで落ち着いた雰囲気を纏う二人の背中は、なんだかすごくお似合いだった。

(……そりゃあ、付き合ってるって噂になってもおかしくないよね)

 胸の奥が、冷たくなる。
 慌ててパッと目を逸らし、逃げるように中に入った。

「あ、めぐ! ありがとう」

 戻った私に気づいた友達が、顔を上げる。

「あ……ううん!」

 心ここにあらずのまま、まだ小さな水滴の残るパレットに、新しい絵の具を出していく。


(なっちゃん、好きな人は『いる』って……言ってたけど。……誰なんだろう)


 作業に戻ってからも、いなくなった彼のことばかり考えてしまっていた。

 ◇

 教室は、まるで夏祭りのような非日常の空間に仕上がりつつあった。
 ヨーヨーのプールを置くエリアでは、葵がブルーシートをガムテープで床にしっかりと固定してくれている。

「おい、ズレてるって! もっと右!」
「だから、上!? 下!? どっちだよ!?」

 脚立に乗って壁に赤提灯を飾り付けている葉山くんに向かって、下から男子たちが身振り手振りで騒がしく指示を飛ばしている。

 私は気を取り直し、女の子たちと一緒に、ダンボールで作った屋台の細かい色塗り作業に戻った。

 赤と白の絵の具を交互に塗っていると、不意に後ろで「カシャッ」とシャッター音が鳴った。
 振り返ると、織くんがカメラを構え、作業に集中している私たちを写真におさめてくれているところだった。

「お疲れさま」

 カメラを下ろして、ふわりと微笑んで近づいてくる。

「めぐちゃん。屋台のことで手伝えることある?」

「ううん、こっちは大丈夫だよ! 写真、楽しみだな〜」

 織くんは準備期間中、ずっとこうしてクラスの様子をたくさん撮ってくれている。
 まだ一枚も見せてもらっていないけれど。

 彼は小さく息を吐き、ゆっくりと近づいてきて、そっと私の隣にしゃがんだ。

「ん? どうしたの?」

 筆を止めて尋ねる。

 織くんは少し黙ったあと、周りの喧騒に紛れるような、けれどはっきりとした声で聞いてきた。


「……『めぐ』、って呼んでいい?」


「え?」


 ――『めぐ』。

 その響きを聞いた瞬間、男の子の中で私のことを唯一そう呼ぶ、黒い瞳の幼馴染の顔が真っ先に浮かんだ。

 先ほど廊下で、他の子と並んで歩いて行った、広い背中。


 私は、手元の筆をぎゅっと握りしめた。

「…………それは……ダメ」

 自分でも驚くほど迷いのない声で、そう言ってしまったのだった。
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