幼馴染への三度目の失恋を回避したい ――激重な片思いを隠さなくなってきた彼に、心臓がもたなくなってきた彼女。

第9話

「ごちそうさまでした!」

 空になったお鍋や銀色の食器たちを重ねて持ち、なっちゃんと一緒に大きな洗い場へと向かう。
 土を踏みしめるたび、カチャカチャと金属がぶつかる軽い音が鳴った。

「カレー、ほんと美味しかったね! あと、なんかここの水、美味しくない!?」

 隣を覗き込みながら話しかけるけれど、なっちゃんの反応はひどく薄い。

「……ん」

 視線も合わせず、ただ短く喉を鳴らしただけだった。

 ……薬が効いたとは言っていたけれど、行きの激しい車酔いで、すっかり体力を消耗してしまったのかもしれない。

 到着した洗い場は、既にいろんなクラスの生徒たちでごった返していた。
 水が勢いよく蛇口から流れる音と、賑やかな話し声が響き渡っている。

 空いている水道は、離れた場所に一つずつしかないようだった。

「あっ。じゃあ、私はあっちで洗ってくるね!」

 なっちゃんは重いお皿や焦げ付きのあるお鍋を担いでくれていたので、軽いお玉やスプーンしか持っていない私が、ここから離れている方のスペースに向かうことにした。

 山の地下水を引いているのか、蛇口から出る水は指先がキンと痛くなるほど冷たい。
 スポンジでカレーやご飯の汚れを落としていく。
 家では洗い物を担当していて慣れているのもあり、あっという間に洗い終えた。

 水滴をハンカチで拭いながら、綺麗になった食器を持ってなっちゃんの近くに向かう。

 すると、なっちゃんの隣には、見覚えのある姿があった。
 小学校から一緒の、別クラスの女の子だ。
 なっちゃんは手を動かしながらも、その子に顔を向け、にこやかに言葉を交わしている。

 楽しそうに笑い合う二人の間に、私が入っていく隙はなさそうだった。

 しばらく後ろで待ってみたものの、会話が途切れる気配はない。

(……邪魔しちゃ悪いよね)

 くるりと背を向け、先に班のスペースへと戻ることにした。

 ◇

 洗った食器をカゴに並べていた時。

「……おい。なんで先に戻ってんの」

 背後から、不機嫌そうな低い声をかけられた。

 肩をピクッと跳ねさせて振り返ると、大きなお鍋を抱えたなっちゃんが、眉間に皺を寄せて立っていた。

「ごめん! なっちゃん、友達と話してたからさ……」

「…………」

「あっ。なっちゃんのほうが洗う量多かったよね? 手伝わなくてごめん」

 面倒な洗い物を押し付けられて怒っているのかもと思い、慌てて両手を合わせて謝る。

 けれど、なっちゃんはさらに顔をしかめた。

「いや、そうじゃなくて……」

 何か言いかけた口を噤み、「……まあいいや」と小さくため息をつく。

(あ……またため息つかれた)

 そして、私から視線を逸らし、無造作に洗い終わった鍋やお皿を並べていった。
 そのまま無言で、男子たちが集まっている方へと去っていった。

 遠ざかる広い背中を、ただ見つめることしかできなかった。

 なんか、なっちゃんって……私以外の女の子にはいつも穏やかだよなあ。
 あの爽やかな笑顔は、学校用の『当たり障りないスマイル』だと分かってはいるけれど。
 なっちゃんに優しくされるって、どんな感じなんだろう。
 ふと、そんな考えが頭をよぎる。

 行きのバスで薬と飴をあげた時、久しぶりに柔らかい笑顔を見せてくれた。
 思い返せばあれはきっと、私がなっちゃんにやっと何かをしてあげられたというか、役に立てたからかもしれない。
 普段の私は、いつもおっちょこちょいで鈍臭い。
 なっちゃんはそんな私に嫌気がさして、いつもイライラしてしまうのかもしれない。

 そう結論づけると、胸の奥が冷たい水を含んだように重くなり、一人でシュンと肩を落とした。

 ◇

 飯盒炊爨の片付けが終わったあとは、広場でレクリエーションのクラス対抗大縄跳びが行われた。

 私は吹奏楽部だけれど、昔から身体を動かすことが大好き。
 冷えてきた空気の中、息を切らしてクラスのみんなと一緒に飛び跳ねるのは、心の底から楽しかった。

 非日常の時間を満喫していたら、いつの間にか日はすっかり落ち、頭上には星が瞬き始めていた。
 みんな夜空を見上げ、感嘆の声をあげている。

 広場の中心に組まれた大きな薪に火が灯され、キャンプファイヤーが始まった。

 薪が爆ぜる音とともに、赤とオレンジの炎が夜空に向かって高く舞い上がる。
 顔の表面には強い熱を感じるのに、背中には山の冷たい空気が張り付いていて、その温度差が心地よかった。

 スピーカーからは、定番の『マイムマイム』がBGMとして流れている。

(うわあ、懐かしい)

 たしか、小学校の修学旅行でもこの曲に合わせて踊ったな。
 揺らめく炎をぼんやりと見つめながら、遠い記憶を引っ張り出していた。


「ごめんめぐ。コンタクトがずれて痛いから、眼鏡に替えてくる」

 隣にいた葵が、目を瞬かせながら言った。

「えっ、大丈夫? コテージまでついていこうか?」

「ううん。すぐ戻るから待ってて」

 そう言い残し、小走りで暗闇の向こうのコテージへと向かっていった。


 一人になり、喧騒の中で再びぼーっと炎の行方を眺めていると。

「……めぐ」

 パチパチという音に混じって、背後から聞き慣れた声がした。

 振り向くと、炎に照らされたなっちゃんが立っていた。

「……なっちゃん」

 食器の片付けの時、彼が不機嫌なまま別れてしまったから、話しかけてくれたことに少しホッとする。

(あ……二人きりで喋ってて大丈夫かな?)

 やや心配になり、チラッと周囲を見渡す。

 けれど、こちらを気にしている人は誰もいなさそうだった。
 友達と写真を撮ったり、談笑したりと、みんな思い思いに過ごしている。

「キャンプファイヤー、懐かしいね」

 炎を見つめながら言う。
 なっちゃんも同じように火の粉へ目を向けたまま、「ああ」とぶっきらぼうに返してきた。

 横顔に視線を移すと、さっきのモヤモヤが胸に込み上げてきた。

 思い切って、聞いてみる。

「……ねえ。私、いつもなっちゃんをイライラさせてる?」

 唐突な問いかけに、なっちゃんは怪訝そうに振り向いた。

「……え?」

「……だってさ。なっちゃん、他の女の子にはいつも笑顔なのに、私には仏頂面が多いっていうか……」

 口に出してみると、自分の声色が思った以上に不満気になっていることに気がついて焦る。

 わずかに見開いた瞳で、じっと見つめられた。
 その視線から逃げるように、前を向き直す。

 薪が爆ぜる音が大きく鳴った。

「それは……」

 やや長い間のあと、なっちゃんは静かに口を開いた。


「……素が出てるだけ。めぐが……特別だから」


「……えっ?」

 言葉の意味が理解できず、表情を確認した。

 冗談を言っているようではなかった。
 揺れる炎に照らされたまっすぐな黒い瞳が、逃げ場のないくらいに私をしっかりと捉えている。

 まるで時間が止まったように、その強い視線から目を離せなくなった。

 ドキッ、と、心臓が小さく跳ねる。


 その瞬間――あの時の光景がフラッシュバックした。


『……俺と付き合って』

 小学六年の冬、マンションの廊下。

 いつもと違った真剣な眼差しでそう言われ、そして、翌日あっさりとそれが「ゲーム」の「冗談」だったと知った、あの日の記憶。


(……ダメダメ。引っかからないようにしなきゃ)

 無意識のうちに心の警報が鳴り響き、パッと目を逸らした。
 きっと、『幼馴染だから気を使わずに素を出せる相手』という意味に違いない。

「そ、そうなんだ……よかったあ」

 無理に口角を上げて笑ってみせると、なっちゃんは微かに眉を動かしただけで、黙り込んでしまった。

「めぐ、お待たせ〜」

 タイミングよく、眼鏡姿になった葵が戻ってきた。

「あ! おかえり!」

 なっちゃんはそのまま何も言わずに背を向け、男子の輪の中へと戻っていった。

 ◇

 その夜。
 冷え込んだコテージの中で布団に潜り込んでも、私の頭の中はなぜか冴え渡っていた。

 ギュッと目を瞑ると、瞼の裏に、あのオレンジ色に染まった真剣な瞳が浮かび上がってくる。

 何度もそのシーンを思い出しそうになりながら寝返りを打ち続け、眠りにつくまでに随分と時間がかかってしまったのだった。
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