幼馴染への三度目の失恋を回避したい ――激重な片思いを隠さなくなってきた彼に、心臓がもたなくなってきた彼女。

第10話

 一人数杯分くらいの量があったはずのカレーは、男子連中のブラックホールのような胃袋へ瞬く間に消え去った。
「ごちそうさまでした!」の声が重なり、食器を持って立ち上がる。

 僕はちゃっかりと、めぐみと洗い物に向かう自然な流れを作り出し、その隣をキープした。

「カレー、ほんと美味しかったね!」

 めぐみがくるんとしたポニーテールを揺らし、屈託のない笑顔を向けてくる。
 その弾む声が、夕暮れの澄んだ空気の中、小鳥のさえずりや川音と混ざり合って耳に響く。

 けれど僕は、さっきの『二人って、付き合ってたりする?』という問いに対して、彼女が即否定したことを、根に持っていた。
 それがどうしても隠しきれずに表に出てしまう。

「……ん」

『美味しかったな』って、笑顔のひとつでも返せたらいいのに。
 視線を合わせないまま、短く応えた。

 他の女子相手なら、多少の感情コントロールなんて朝飯前だ。
 我ながら、どうしてめぐみにはいつも子供じみた対応をしてしまうのだろうと自己嫌悪に陥る。

 反応の悪い僕を見ためぐみは、空気を読んだのかおとなしくなった。
 やや縮こまった気配を感じ、自分への嫌気が増していく。

 せっかく並んで歩いているというのに、複雑な渋面を浮かべたままでいた。

 ◇

 洗い場は混雑していて、あらゆる音が混ざり合っていた。

「あっ。じゃあ、私はあっちで洗ってくるね!」

「……あ、うん」

 めぐみは離れた場所にある、ぽつんと空いたスペースを見つけ、あっさりと行ってしまった。
 僕は渋々、空いていた目の前のシンクに、重いお鍋をガタンと下ろした。

「あっ、夏樹くん!」

 隣から声をかけられた。
 小学校から一緒で、何度か同じクラスになったことがある女子だった。

「おー、久しぶり」

 すぐに『学校用スマイル』を貼り付け、世間話を始める。
 何組になったとか、カレーはうまくできたかとか、他愛ない会話だ。

 手元のお鍋は、焦げ付きがひどく、なかなか汚れが落ちない。
 彼女も同様に苦戦しているようだった。

 めぐみの洗い物は、お玉やスプーンなど小さなものばかりだったはずだ。
 もう終わっているかもしれない。

 洗い場の喧騒の中、ふと、意地悪な考えが浮かんだ。
 僕がこうして、他の女子と楽しそうに話しているのを見たら――めぐみはどう思うだろうか。

(ちょっとは、嫉妬でもしろよ)

 そんな浅ましい当てつけの気持ちが湧き上がり、いつも以上の笑顔を意識して会話を続けた。

 洗い終わった鍋を抱え、振り返る。
 めぐみは、いなかった。
 彼女がいたシンクにも、既に別の生徒が立っている。

(……先に戻ったのか)

 班のスペースを目指すと、他の班員たちと談笑しながら片付けを進めているめぐみの姿が見えた。
 僕の意図などまったく虚しく、織田や金森と笑い合うのを見て、ひどい虚しさが胸を突く。

(……もういい加減、懲りろよ。俺)

 自分で自分に呆れ果てる。


「……おい。なんで先に戻ってんの」

 わざと不機嫌な声を投げた。

「ごめん! なっちゃん、友達と話してたからさ……あっ、なっちゃんのほうが洗う量多かったよね? 手伝わなくてごめん」

 そんな頓珍漢な勘違いをして、申し訳なさそうにするめぐみ。

(ちげーよ! そんなことどうでもいいんだって……。なんでわかんないかな……いや、わかるはずないか)

 ため息をつき、何も言わずにその場を後にした。

 ◇

 片付けを済ませると、食後の運動にちょうどよい大縄跳び大会が始まった。
 学級委員が、声が大きくノリのいい奴なのもあって、クラスのまとまりもよく、対決前の練習は順調に進んでいた。

「背が低い人は縄を持つ人に近い方、高い人は真ん中の方がいいだろう」ということで、160センチないくらいのめぐみは少し離れたポジションにいた。

 めぐみと仲の良い金森が、僕の近くに移動してきた。
 彼女はだいぶ背が高く、170センチはあるように見える。

「あ、どうも」

「どうも〜」

 練習の合間に、軽い挨拶を交わした。
 今回の合宿では同じ班でもあるが、二人で話すのは初めてだ。

 たしか中等部から入ってきた彼女とは、これまで特に接点がなかった。
 めぐみとは同じ部活ということもあり以前から仲がいいようで、一緒にいるところを何度か見たことがあるけれど。
 クールな外見に違わず、どことなく掴みどころのない雰囲気がある。

 金森は、会話が聞こえる距離に誰もいないことを確認したあと、そっと声をかけてきた。


「朝井くんって……めぐのこと、だいぶ特別扱いだよねえ」


「……え!?」

 突然の、めぐみに関する指摘(しかも図星)に、動揺を隠せない。
 女子に対する普段のスマートな対応も忘れていた。

 僕の反応を見た金森は、何かを察したように薄く微笑んだ。

「あんまり意地悪しないでね」

 追及はしてこない。
 けれど、すべてお見通しだと言わんばかりの顔。

「…………」

 僕は黙って肯定しておいた。

(こいつ……ちょっと苦手だ)

 心の中でそう独白し、冷たい風を頬に感じながら、再び縄跳びの輪へと戻った。

 ◇

 大縄跳びは、大変盛り上がった。
 うちのクラスは二位となり、優勝は逃したけれど、親睦を深める良い機会となった。
 高校から入ってきたメンバーの緊張も、だいぶほぐれたように見える。

 日が落ちるとキャンプファイヤーが始まった。
 定番の軽快なBGMが流れる中、葉山や、仲良くなった男子たちと無駄話をしていた。

 めぐみの姿は、探さなくともスッと目に入ってきた。
 結んでいた髪をおろし、肌寒くなってきたのかブルゾンを羽織っている。
 ネイビーの、女の子らしいデザイン。
 夜空の星を見上げ、瞳をキラキラさせながら感動していた。
 炎のオレンジ色に照らされ、頬にふわふわと髪がかかる横顔は、いつになく大人びて見えた。

 男どもの話は、「誰が可愛い」「彼女がほしい」、そんなことばっかりだ。

「そういや、井原ってよく見ると結構可愛くね? あんな感じだったっけ?」

 中学から一緒の男子が、ふと思い立ったように言った。

 ……はあ? と目を向ける。

 そいつは僕の気持ちなんて露知らず、純粋な感想として述べている。
 ただの幼馴染では文句も言えず、もどかしい独占欲と苛立ちを我慢するしかなかった。

 めぐみは、小さい時からずっと可愛い。
『結構可愛くね?』なんて見当違いなことを言うやつが、今更変な目で見るな。

「……プッ」

 心の中で毒づく僕を察しているのか、隣で葉山が吹き出した。


 火柱を眺めながら、遠い記憶を引っ張り出す。

 小学校六年生の、修学旅行。

 こんなふうに燃え盛る炎の前で、僕は……彼女への二度目の失恋をしたのだ。

『修学旅行前に、彼女つくる競争しようぜ!』

 クラスメイトの男子が、ふざけてそんな提案をしてきた。
 僕はそんなのスルーするつもりだったけれど。
 いや、待てよ……と。

 他の男子が、その相手にめぐみを選んだらどうする?
 それより。
 たとえゲームでも、それをきっかけに、実は僕とめぐみが両思いだということが判明したりしないだろうか……。

 そんなことを考えたら居ても立っても居られなくなり、急いでその日の夕方、マンションの薄暗い共有廊下へめぐみを呼び出した。

『……俺と付き合って』

 ゲームのはずなのに、緊張して声が震えてしまった。

 廊下の、少し湿ったコンクリートの匂いと、ひんやりとした冷気。
 まん丸に見開かれた、大きな瞳。
 初めて見る、やや強張った表情。
 それを前にした瞬間、激しい後悔に襲われた。

(……やばい)

 もし断られたら、ゲームだと誤魔化せばいいと思っていたのに。
 僕が緊張しているせいで、まるで本気の告白みたいになってしまった。

 これで断られたら、僕の心は木っ端微塵に打ち砕かれてしまう――。
 恐怖で息が止まりかけた、その時。

『……うん。いいよ』

 めぐみは、あっさりとそう返事をしたのだ。

 その夜、僕は人生で一番浮かれていた。
 声に出せない喜びを爆発させながら、ずっと自分のベッドの上でボンボン飛び跳ねていた。

『うるさい! 壊れるでしょうが!』

 リビングから母さんの甲高い声が飛んできても、まったく耳に入ってこなかった。
 実はその時のせいで、ベッドの中央のスプリングが、今でも少しへこんでいる。

 ゲームだとしても、めぐみが僕の彼女!?
 ありえない!!
 そして何より、めぐみはゲームのことを知らないのにOKしたのだ。
 もしかして……実はめぐみも僕を好きだったのではないか!?

 そんなことをエンドレスで考えて、その夜はちっとも眠れなかった。

 そして数日後、修学旅行でのキャンプファイヤーの時間。
 炎の前で男子と遊んでいたら、めぐみに話しかけられた。

『……なっちゃん。この前の付き合ってって、冗談だったりする?』

 ゆらめく炎に照らされた瞳は、僕の反応をうかがっていた。

 どうしよう。なんと答えるのが正解なのだろうか……?
 焦ったまま、口を滑らせた。

『……誰かに何か聞いた?』

 そう尋ねた瞬間。
 めぐみの顔には、怒りや悲しみではなく――安堵の色が浮かんだように見えた。

(あ……めぐみは、冗談であってほしいのか……)

 それが――二度目の失恋をした瞬間だった。

『……そう。冗談だから、なかったことにして』

 僕は嘘をついた。
 これ以上、傷つきたくなくて、本当の気持ちに蓋をした。

 案の定、めぐみは僕を責めたりせず、少しホッとしたように『あ……うん。わかった』とだけ言った。

 それから今日まで、三度目の勇気は出せないままでいる。


 そんな過去を思い出し、また少し胸を痛めていた時。
 金森がめぐみの隣を離れるのが見えた。

 一人でコテージの方へ歩いていく。
 忘れ物か何かだろうか。

 近くを通りかかる際、一瞬だけ視線を向けられた。

(……アシストか? いや……気のせいか)

 僕は迷わず男子の輪を抜けて、めぐみに話しかけた。

「キャンプファイヤー、懐かしいね」

 炎を見つめながら言うめぐみ。

 めぐみは、あの時のことを覚えているんだろうか。
 僕は、昨日のことのように覚えている。
『冗談だから、なかったことにして』と、自分の気持ちに嘘をついてしまった、あの日。

「……ねえ。私、いつもなっちゃんをイライラさせてる?」

 唐突にそう尋ねられ、驚いた。
 やや不安そうに、僕の表情をうかがっている。

(……そうだよな。めぐから見たら、そう見えるよな……)

 好きなのは僕だけなんだから、彼女はこの苛立ちの原因なんて、想像できるわけがない。

 視界に映る、めぐみと火柱。
 二度目の失恋の、あの苦い気持ちが思い返される。

 今は、嘘をつきたくなかった。
 同じ過ちを、繰り返したくなかった。

「……素が出てるだけ。めぐが……特別だから」

 口にしてから、少し焦る。
 大丈夫だよな? これ。
『めぐが好きだから』みたいな、マジな響きになってないよな?

 幼馴染だから素を出せる相手、くらいに捉えてくれるだろうか。

 黙ったままの彼女を見つめた。
 炎の光を映し出す、めぐみの丸い瞳が――わずかに揺れたように見えた。

(……ん?)

 もしかして……僕は今、少しくらいは、めぐみの気持ちを揺さぶることができたのだろうか。

 まっすぐに視線を向けていたら、彼女は顔を逸らした。

 時間が止まったような沈黙が流れる。

「めぐ、お待たせ〜」

 金森がコテージから戻ってきたところで我に返り、めぐみのそばを離れて元の場所に戻った。

 薪が爆ぜる音と、賑やかな喧騒が、再び聞こえ始める。
 僕の胸の奥では、淡い期待と、相変わらずの臆病さが、複雑に絡み合っていた。
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