銀色の雲の上

第4話 編入生

(なぜ貴族がこんな小さなギムナジウムに?)

担任教師がアレクサンダー・フォン・ゲルステンビュッテルという編入生を紹介したとき、率直にミハエルはそう思った。

フォン・ゲルステンビュッテル家は、古くからこの土地一帯を治める領主である。

かの一族が所有する土地は広大にして、財産は莫大。それでいて温情厚いこの家の当主は、代々土地の者に慕われてきた。
この土地に住んでいれば、その名をしらぬ者はない。

ゲルステンビュッテル家の屋敷は、このギムナジウムからさほど遠くない丘の上にある。

なだらかな丘の上には豪奢な建物があり、庭も広大で傍目からは全貌が分からないらしい。しかし、丘そのものが彼らの所有物であるという。

「らしい」とか「という」というのは、ミハエルのような庶民の者などゲルステンビュッテル家の屋敷に近寄る用事すら無いからである。
その広大な屋敷が実際にどのようなものであるか、風聞で伝え聞く以外、知る由もない。

そうやすやすと接触できる人たちではないのだ。

編入生の屋敷がこのギムナジウムとどんなに近かろうと、フォン・ゲルステンビュッテル家ほどの家格の子息が通うとは、いったいどういう風の吹き回しなのであろう。


帝国が創建されて十数年、連合国から国が一つになって間もない頃に生まれた子たちも思春期を迎えていた。

領域の上に連邦国家が乱れ走っていたのを中央政府により統一され、帝国は皇帝(カイゼル)を頂点とする立憲君主国家となった。

帝国統一の立役者である宰相が強力な指導力を発揮し、法が整備されるのと同時に急速に工業化、産業化されている。
鉄道事業が盛んになり、街は整備され、国民は多分に近代化の恩恵を享受している。

その波は帝国の各地に及び、この南の端の地方も例外ではない。
ミハエルの住む地域は保守的な傾向はあるものの、技術も化学も進歩し、社会基盤が底上げされていった。

帝国の民は、新進気鋭で荒々しい激動の空気に揉まれながらも豊かな生活を味わっている。

国は安定していた。

ミハエルの通うこのギムナジウムは、街の中心から少し離れている。生徒の数もそう多くない。家から通える距離にいる男児たちを集めた、素朴な学舎である。

ギムナジウムへ入ること自体が厳しい試験をくぐり抜けた、いわばエリートであることを示している。
表向きは本人に資質があれば、つまり試験に合格するだけの頭脳があれば、階級に限らず誰にでも門戸が開かれている。
けれども現実には、子どもを大学進学させるだけの資産と、学問に集中させられるだけの時間を与えられる家でなければならない。

つまり、本人の知力だけでなく両親が経済力を兼ね備えていなければ、目指すことすら困難な場所なのである。

このギムナジウムも中流階級でも上級の、裕福な家庭の子どもたちが通う。
家計を鑑みて進学先を選ばざるを得ないのが一般的であった。

それは下だけでなく上にも言えることである。

このギムナジウムには「フォン」の称号をもつ生徒など一人もいない。

もちろん、前例もない。

たった今加わった、アレクサンダー・フォン・ゲルステンビュッテルを除いては。


ミハエルは、おとなしく担任教師による編入生の紹介を聞いていた。

話によると、アレクサンダー・フォン・ゲルステンビュッテルは、やはり帝国でも有数の、名門中の名門のギムナジウムに籍を置いていたのだという。
そこは貴族や名士の子息のような、家格が高くなければ入学の権利すら与えてもらえないところだ。

格式高きそのギムナジウムは、教師陣の学識がずば抜けて高いと評判である。
たしか上流階級の子息たちが遠地からはるばる入学するため、全寮制だったはずだ。
教員も生徒も、在籍許容人数がこのギムナジウムの倍以上はある。

ますます、このギムナジウムに転入してきたのが不可解だ。

ギムナジウムは九年制で、第一学年(ゼックスタ)第二学年(クヴィンタ)第三学年(クヴァルタ)と1年制の下級学年を経て、第四・第五学年(テルチア)第六・第七学年(ゼクンダ)、それから第八・第九学年(プリーマ)と二年制の上級学年に三段階で進級していく。

大学生活入学資格試験(アヴィトゥア)」を合格して、晴れてギムナジウム卒業と大学進学が叶うわけであるが、卒業まであと二年という最高学年(プリーマ)の時期に、なぜわざわざ貴族の通う名門ギムナジウムから街のこんな小さなギムナジウムに編入する必要があるというのだろう。

この教室にいる全ての生徒が同じ事を思ったらしく、波のようなさざめきが教室中を駆けめぐっていった。

アレクサンダーが、教壇の前で自己紹介をする。

身長は高く、筋肉質で体躯が良い。
少年というよりは明らかに青年という感じだ。
スッとした立ち姿は、先ほどまでの唐突でガサツとも言える態度からは想像もつかないような品の良さがある。
自己紹介する彼の声はよく通った。

ミハエルには、アレクサンダーがこの素朴すぎる教室に不釣り合いな気がした。

端正な顔立ちが年齢より大人びて見えて、それがまたこの教室と一層不釣り合いに見えるのだった。


午前中の授業が終わると、ワッと生徒たちがアレクサンダーを取り囲んだ。

ひと通り質問攻めにあった後で、校内を案内してもらっている。
ぞろぞろと第八学年(プリーマ)の生徒たちがアレクサンダーの後ろをついて行く。

アレクサンダーは間違いなく教室中の生徒たちかは好奇な目を向けられていた。
編入生というだけでなく、このギムナジウムで唯一「フォン」の称号を持つとなれば当たり前の光景であろう。

しかし、ミハエルはその様子を見向きもせず、ただただ遠巻きにしていた。

(僕には、関係ない)

彼の出自がどんなに高貴であろうとも。

ミハエルはこの日、彼らの輪には入らなかった。

*

ミハエルは部屋の書机の上に鞄を放り出すと、ランプの灯りもつけずに椅子に座り込んだ。

授業が終わると、さっさとギムナジウムから帰路についたのだった。

(まさか、あの人形が存在していたとは)

ミハエルは書机の鞄の上にそのまま覆いかぶさるようにして、例の編入生に突きつけられた布の人形のことを思い出していた。
始業前に教室の扉が突然開き、見慣れない生徒が入ってきた。
目が合ったかと思うと、ミハエルのいる席まで一直線に歩いてきて勢いよく人形を机に叩きつけてきたのだ。
いきなりのことで何が起きたか分からず、咄嗟に身構えてしまった。

よく見ると、アレクサンダーが握りしめていたその人形は、毛糸のお下げの女の子の姿をしている。
たしかにそれは、かつてミハエルが持っていたものだ。

人形を目にした瞬間、ミハエルは体に電流が走るような思いをした。
平静を装ったが、今にも手を伸ばし人形に触れたい思いに駆られた。
が、耐えた。

(それにしても、まさか彼に再会するとは)

アレクサンダーとは、確かにかつて、泉で出会ったことがある。

―――髪質のしっかりした濃茶(ダークブラウン)の髪。
―――意思の強さがそのまま表れたような眼。
―――よく通る声。
―――妙に確信めいて聞こえる説得力のある喋り方。

その一つ一つが、あの時と変わらない。

ミハエルはこの日のアレクサンダーを思い出す。

第八学年(プリーマ)の進級初日であるこの日、ギムナジウムは新学期特有の空気に包まれながら、編入生の話題で持ちきりだった。
他の学年の生徒たちも、この地を代表する貴族が直々にここに通ってくるらしい噂を聞きつけて、わざわざ第八学年(プリーマ)の教室までアレクサンダーを見に来た。

ギムナジウム中の視線を一挙に浴びながらも、彼は実に堂々としていた。

物怖じする様子がないからといって馴れ馴れしくもなく、懐っこさを醸し出しながら、自分を取り囲む生徒たちの質問に丁寧に答えてやっていた。

ミハエルは突っ伏した状態から身を起こした。

薄暗い部屋の中で、やっと灯りをつける気になる。

マッチを探し出してランプに火を灯すと、辺りが明るくなる。

書机の引き出しを開けて、あるものを取り出した。
陶器でできた小さな貴婦人の人形だ。

その貴婦人の人形は、子どもの手のひらに収まるくらいの大きさだ。
白磁のため色白で、唇には紅がさしてある。
ドレスの裾は膨らみ、丁寧に花模様まで絵付けされている。裾は金で縁取られて華やかだ。凝った作りだ。

ミハエルは、手のひらに乗せて人形を見つめる。

幼い頃、泉の畔で出会った彼がくれたもの―――……。

(あの時の少年が僕だということは、知られないほうが良い)

ミハエルは頬杖をついて、もう片方の手のひらに収まっている陶器の貴婦人の人形をじっと見つめた。

人形は口元に品の良い笑みをたたえている。

ミハエルは重いため息をつき、書机の後ろの狭苦しい部屋の中を振り返る。

(今のこの僕の状況を知ったら、アレクサンダーはいったいどう思うだろう)

あの時楽しく会話した相手が、今頃こんなに惨めな境遇にいると知ったら。

それどころか、とミハエルは顔を暗くさせる。

―――本当の僕を知ったら?

―――本当の僕が、女だと知ったら?

ミハエルは、ほとんど無いに等しい胸の膨らみを服の上から触れた。

彼の信じているミハエルの存在が、根底から覆るような真実を知ってしまったら。 

幻滅どころでは済まないだろう。

ミハエルの世界だって崩壊してしまう。

このまま黙って知らないふりをすることが、お互いに取って最も良いことのように思われた。

ミハエルはそっと、陶器の人形を書机の引き出しにしまった。

籠に入った冷たい夕食をさっさと食べ終えてしまうと、教材を取り出して一心不乱に勉強した。
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