銀色の雲の上
第5話-1 孤独な優等生
アレクサンダーがこのギムナジウムに編入して一週間。
“ミハエル・ダミッシュ”を観察していて分かったことは三つある。
礼儀正しいこと、学力優秀であること、そして、人と馴れ合わないこと。
転入初日、なんとか第八学年の教室を探しあて、始業の鐘が鳴り終わるまでに辿り着いた。
教室に入ったところで、最前列の窓際の席に例の丸窓で見かけた彼が座っているのを見つけたのだ。
次の瞬間、アレクサンダーは彼のところまで真っ直ぐに近づいていた。
結果、冷たくあしらわれてしまった。
その後も何度か話しかけてみたものの、ことごとく無下にされている。
挨拶だけはまともに返してくれるが、それ以上会話を広げるのが難しい。
級友たちに囲まれながらも、アレクサンダーはミハエルのことを観察している。
自分に対して興味津々な級友たちに比べて、ミハエルはアレクサンダーと目も合わせようとしない。
いつも一人で勉強をしているか、そうでなければ本を読んでいる。
最初はアレクサンダーだけにそっけないのかと思っていたが、どうやら他の級友たちにもそうであるらしい。
ミハエルからは話しかけないし、級友たちからも遠巻きにされている。
はっきり言って、孤立している。
アレクサンダーはそのことにうっすらと違和感を覚えた。
ミハエルは、教室の者たちとの関わりが希薄な一方で、教師たちからの信頼は抜群のようだった。
教師たちには自分から礼儀正しく挨拶をし、言いつけられたことはきちんと守る。
任された用事もきっちりとこなしているようだ。
授業態度は至極真面目であるし、休憩時間に教師のもとへ熱心に質問をしに行ったりしている。
他の生徒にちらりと訊いてみたところ、ギムナジウム入学当初からミハエルはこの学年で首席を維持し続けているとのことである。
ミハエルが休憩中も熱心に勉強する様子を見ていれば、ここにたった一週間しかいなくても納得できた。
いつも清潔に身だしなみを整え、立ち振る舞も洗練されている。
洋服についている釦という釦は、いつでもぴっちりと一番上まで留められているし、ひとつもだらしのないところはない。
シャツの襟も真っ白だ。
教師たちにとってみれば、文句なしの模範生であろう。
ここまで突出した生徒ならば、教室内でも一目置かれてもおかしくないはずであるのに、なんとなく周りから距離を置かれている気配があるのはなぜだろう。
出来が良すぎて近づきがたいというよりは爪弾きにされているような、あまり良いとは言えない雰囲気だ。
少なくともミハエルはこの教室で浮いている。
たまに下級生が訪ねてきてはミハエルと接触を図ろうとするが、彼らの眼には一様に憧れと尊敬の念が込められている。
ミハエルは下級生に声をかけられると丁寧に対応してやるが、誰かを特別に可愛がるようなことはしないようだ。
それでも下級生らはミハエルに相手にしてもらえるだけで、うっとりと満ち足りた表情をして自分たちの教室へ戻っていく。
行儀の良い立ち振る舞いに学年首席、さらには恐ろしいほどの美貌とくれば、下級生たちの反応の方が当然のように思える。
そう、ミハエルは恐ろしいほどの美貌の持ち主だった。
なめらかな肌はまるで陶器のようだ。真っ直ぐに通った鼻は品がいい。
丁寧に梳きすかされ絹のような光沢を持った髪は、ゆるやかにウェーブして顔をやわらかに縁取っている。
十六歳にもなれば骨格もがっしりして髭も生えるが、ミハエルは背丈こそ高いものの骨格は華奢で、肌もなめらかである。
少年期から抜けきっていない風貌が、男性とも女性ともつかないような、なんとも言えないオーラを醸し出していた。
その中性的な美しさは、もはや神秘的ですらある。
それからアレクサンダーが圧倒的に興味を惹かれるのは、光の角度によって煌めきを変える眼である。
―――やっぱり、あの時の少年……だよな?
たまに眼を空虚なガラス玉のようにさせているのは気になるが、見た目の特徴は一致しているように思う。
(やっかまれているのか?)
アレクサンダーは後ろの席からミハエルの背中を見つめつつ、手を顎にあてて、あれこれ考えを巡らせてみる。
ミハエルはいつも決まって教室の窓際の一番前の席に座った。
二人掛けの席にいつも一人で。
誰も彼の隣に座ろうとしない。
だからといって、あからさまに苛められているのかというと、そうではなさそうだ。
ギムナジウムでの生活を送る上で、最低限のやりとりはしている。
先日も級友たちと授業で必要な会話をしている姿を見かけた。
人間とは不思議なもので、本人が至って真面目で何の問題も起こさないのに、あまりにも優れていると今度は嫉妬の対象になることもある。
苛めではないのだとしたら、やはりやっかまれているのだろうか。
と、まぁ、そんなことを考えてみても、ミハエルを取り巻く環境は今のところよく分からない。
すべてアレクサンダーの思い過ごしということもある。
そんなことよりも―――……、アレクサンダーはミハエルの背中をジッと見つめた。
「泉で会ったのは、お前だよな?」
本当は、はっきりとそう問うてみたい。
が、ミハエルはそっけなくて隙がないし、アレクサンダーはアレクサンダーで新しい環境に馴染むのに必死だった。
比較的裕福な家庭の子どもたちが多いこのギムナジウムであるが、やはり今まで居たところとは勝手が違う。
育ちの良い子たちとはいえ、根本的に階級の違う人間と毎日過ごすのはこれが初めてなのだ。
アレクサンダーは人との関わりは得意であると自負している。
人間関係を築く上で特に最初の印象作りは重要だ。
アレクサンダーはこのギムナジウムにおいて、自分の姓にかかる称号を自覚していた。
このギムナジウムの者たちがこの称号をどう解釈するかは、己の立ち回りにかかっている。
自身を取り囲む無邪気な級友たちと上手く関係を築くのは、今のアレクサンダーにとって最重要事項なのである。
(それにしても)
アレクサンダーは、ふむ、と顎にあてる。
(ミハエル・ダミッシュは謎めいている)
話しかければつっけんどんに返し、級友たちともほとんど会話しない。
教師たちには優等生として取り繕っているし、自己開示しているのを今のところ全く見かけたことがない。
笑顔といえば顔に貼り付けた儀礼的なものばかりで、誰かと腹を割って話す気など毛頭なさそうだ。
腹の底から笑っている姿など、想像もつかない。
彼の本当の人となりというのが、いまいち見えてこないのだ。
ミハエルがこの教室でどういう立ち位置にいるのか、アレクサンダーは探ってみることにした。
「ミハエル、お前もこっちに来いよ」
数名の級友たちと教室で話が盛り上がっている時に、アレクサンダーは輪に入るようミハエルに明るく声をかけた。
本人と級友たちの反応を見極めるために、意図的にやっている。
級友たちがギョッとする気配を、アレクサンダーは見逃さなかった。
「僕は遠慮するよ。先生に用事があるんだ」
ミハエルは顔に笑みを張り付けながら丁寧に断った。
先ほどまで大人しく勉強していたのに、わざとらしく席を立つ。
(ふむ)
やはり、ミハエルと級友たちとの双方から、何かぎこちない空気が流れているのを感じ取る。
またある時、校庭で蹴球をすることになった時のことである。
「ミハエルも誘わないか?」
気軽を装いつつ、モーリッツに訊いてみる。
モーリッツは級友の中でもいたくアレクサンダーのことを気に入っていて、最近よくつるんでいる。
モーリッツは気まずそうに答える。
「アイツ、運動は苦手だぜ」
ミハエルのことを慮るように見せかけて、その口調からは誘いたくないのがありありと伝わってきた。
「ふーん?」
さらにモーリッツは、ポリポリと頭を掻きながらボソリと呟いた。
「……アイツんち、複雑なんだよな」
「それは、どういう」
言いかけたその時、
「モーリッツ!」
ヨハンに呼ばれ、モーリッツは先に行ってしまった。かと思うと、もう一度扉のところまで戻ってきて叫んでいる。
「アレクも早く来いよ!」
「おう、今行く!」
モーリッツが呟いた言葉を頭の隅に書きとめて、彼の後を追いかけた。
“ミハエル・ダミッシュ”を観察していて分かったことは三つある。
礼儀正しいこと、学力優秀であること、そして、人と馴れ合わないこと。
転入初日、なんとか第八学年の教室を探しあて、始業の鐘が鳴り終わるまでに辿り着いた。
教室に入ったところで、最前列の窓際の席に例の丸窓で見かけた彼が座っているのを見つけたのだ。
次の瞬間、アレクサンダーは彼のところまで真っ直ぐに近づいていた。
結果、冷たくあしらわれてしまった。
その後も何度か話しかけてみたものの、ことごとく無下にされている。
挨拶だけはまともに返してくれるが、それ以上会話を広げるのが難しい。
級友たちに囲まれながらも、アレクサンダーはミハエルのことを観察している。
自分に対して興味津々な級友たちに比べて、ミハエルはアレクサンダーと目も合わせようとしない。
いつも一人で勉強をしているか、そうでなければ本を読んでいる。
最初はアレクサンダーだけにそっけないのかと思っていたが、どうやら他の級友たちにもそうであるらしい。
ミハエルからは話しかけないし、級友たちからも遠巻きにされている。
はっきり言って、孤立している。
アレクサンダーはそのことにうっすらと違和感を覚えた。
ミハエルは、教室の者たちとの関わりが希薄な一方で、教師たちからの信頼は抜群のようだった。
教師たちには自分から礼儀正しく挨拶をし、言いつけられたことはきちんと守る。
任された用事もきっちりとこなしているようだ。
授業態度は至極真面目であるし、休憩時間に教師のもとへ熱心に質問をしに行ったりしている。
他の生徒にちらりと訊いてみたところ、ギムナジウム入学当初からミハエルはこの学年で首席を維持し続けているとのことである。
ミハエルが休憩中も熱心に勉強する様子を見ていれば、ここにたった一週間しかいなくても納得できた。
いつも清潔に身だしなみを整え、立ち振る舞も洗練されている。
洋服についている釦という釦は、いつでもぴっちりと一番上まで留められているし、ひとつもだらしのないところはない。
シャツの襟も真っ白だ。
教師たちにとってみれば、文句なしの模範生であろう。
ここまで突出した生徒ならば、教室内でも一目置かれてもおかしくないはずであるのに、なんとなく周りから距離を置かれている気配があるのはなぜだろう。
出来が良すぎて近づきがたいというよりは爪弾きにされているような、あまり良いとは言えない雰囲気だ。
少なくともミハエルはこの教室で浮いている。
たまに下級生が訪ねてきてはミハエルと接触を図ろうとするが、彼らの眼には一様に憧れと尊敬の念が込められている。
ミハエルは下級生に声をかけられると丁寧に対応してやるが、誰かを特別に可愛がるようなことはしないようだ。
それでも下級生らはミハエルに相手にしてもらえるだけで、うっとりと満ち足りた表情をして自分たちの教室へ戻っていく。
行儀の良い立ち振る舞いに学年首席、さらには恐ろしいほどの美貌とくれば、下級生たちの反応の方が当然のように思える。
そう、ミハエルは恐ろしいほどの美貌の持ち主だった。
なめらかな肌はまるで陶器のようだ。真っ直ぐに通った鼻は品がいい。
丁寧に梳きすかされ絹のような光沢を持った髪は、ゆるやかにウェーブして顔をやわらかに縁取っている。
十六歳にもなれば骨格もがっしりして髭も生えるが、ミハエルは背丈こそ高いものの骨格は華奢で、肌もなめらかである。
少年期から抜けきっていない風貌が、男性とも女性ともつかないような、なんとも言えないオーラを醸し出していた。
その中性的な美しさは、もはや神秘的ですらある。
それからアレクサンダーが圧倒的に興味を惹かれるのは、光の角度によって煌めきを変える眼である。
―――やっぱり、あの時の少年……だよな?
たまに眼を空虚なガラス玉のようにさせているのは気になるが、見た目の特徴は一致しているように思う。
(やっかまれているのか?)
アレクサンダーは後ろの席からミハエルの背中を見つめつつ、手を顎にあてて、あれこれ考えを巡らせてみる。
ミハエルはいつも決まって教室の窓際の一番前の席に座った。
二人掛けの席にいつも一人で。
誰も彼の隣に座ろうとしない。
だからといって、あからさまに苛められているのかというと、そうではなさそうだ。
ギムナジウムでの生活を送る上で、最低限のやりとりはしている。
先日も級友たちと授業で必要な会話をしている姿を見かけた。
人間とは不思議なもので、本人が至って真面目で何の問題も起こさないのに、あまりにも優れていると今度は嫉妬の対象になることもある。
苛めではないのだとしたら、やはりやっかまれているのだろうか。
と、まぁ、そんなことを考えてみても、ミハエルを取り巻く環境は今のところよく分からない。
すべてアレクサンダーの思い過ごしということもある。
そんなことよりも―――……、アレクサンダーはミハエルの背中をジッと見つめた。
「泉で会ったのは、お前だよな?」
本当は、はっきりとそう問うてみたい。
が、ミハエルはそっけなくて隙がないし、アレクサンダーはアレクサンダーで新しい環境に馴染むのに必死だった。
比較的裕福な家庭の子どもたちが多いこのギムナジウムであるが、やはり今まで居たところとは勝手が違う。
育ちの良い子たちとはいえ、根本的に階級の違う人間と毎日過ごすのはこれが初めてなのだ。
アレクサンダーは人との関わりは得意であると自負している。
人間関係を築く上で特に最初の印象作りは重要だ。
アレクサンダーはこのギムナジウムにおいて、自分の姓にかかる称号を自覚していた。
このギムナジウムの者たちがこの称号をどう解釈するかは、己の立ち回りにかかっている。
自身を取り囲む無邪気な級友たちと上手く関係を築くのは、今のアレクサンダーにとって最重要事項なのである。
(それにしても)
アレクサンダーは、ふむ、と顎にあてる。
(ミハエル・ダミッシュは謎めいている)
話しかければつっけんどんに返し、級友たちともほとんど会話しない。
教師たちには優等生として取り繕っているし、自己開示しているのを今のところ全く見かけたことがない。
笑顔といえば顔に貼り付けた儀礼的なものばかりで、誰かと腹を割って話す気など毛頭なさそうだ。
腹の底から笑っている姿など、想像もつかない。
彼の本当の人となりというのが、いまいち見えてこないのだ。
ミハエルがこの教室でどういう立ち位置にいるのか、アレクサンダーは探ってみることにした。
「ミハエル、お前もこっちに来いよ」
数名の級友たちと教室で話が盛り上がっている時に、アレクサンダーは輪に入るようミハエルに明るく声をかけた。
本人と級友たちの反応を見極めるために、意図的にやっている。
級友たちがギョッとする気配を、アレクサンダーは見逃さなかった。
「僕は遠慮するよ。先生に用事があるんだ」
ミハエルは顔に笑みを張り付けながら丁寧に断った。
先ほどまで大人しく勉強していたのに、わざとらしく席を立つ。
(ふむ)
やはり、ミハエルと級友たちとの双方から、何かぎこちない空気が流れているのを感じ取る。
またある時、校庭で蹴球をすることになった時のことである。
「ミハエルも誘わないか?」
気軽を装いつつ、モーリッツに訊いてみる。
モーリッツは級友の中でもいたくアレクサンダーのことを気に入っていて、最近よくつるんでいる。
モーリッツは気まずそうに答える。
「アイツ、運動は苦手だぜ」
ミハエルのことを慮るように見せかけて、その口調からは誘いたくないのがありありと伝わってきた。
「ふーん?」
さらにモーリッツは、ポリポリと頭を掻きながらボソリと呟いた。
「……アイツんち、複雑なんだよな」
「それは、どういう」
言いかけたその時、
「モーリッツ!」
ヨハンに呼ばれ、モーリッツは先に行ってしまった。かと思うと、もう一度扉のところまで戻ってきて叫んでいる。
「アレクも早く来いよ!」
「おう、今行く!」
モーリッツが呟いた言葉を頭の隅に書きとめて、彼の後を追いかけた。