銀色の雲の上

第36話 招待

ミハエルは、真剣な顔つきでアレクサンダーを見つめている。

「そんなことが……、あったんだね」

「仕方がなかったんだ」

進級試験を前にして、ハインリヒの歯車がどこかで狂ったらしかった。

あの時ハインリヒは、父親からの期待を一身に受けていたのだと、後で聞かされた。
当時ハインリヒの成績が落ち精神のギリギリまで追い詰められていたことを、アレクサンダーは知らなかった。

ギムナジウムという機関の性質そのものが、子どもたちに重圧(プレッシャー)を加える場所であることは否めない。
帝国を支える人材を輩出するための場所であるからして、校舎の内外に関わらず生徒の統制は厳粛に行われる。

授業の教育課程(カリキュラム)は一部寛容さが取り入れられていたとはいえ、生活態度は厳しく監視され、試験のたびに成績が席順につぶさに反映される場所だった。
要領が良く息の抜きどころを見つけるのが得意なアレクサンダーは上手く環境に順応したが、潰れる生徒が出てもおかしくない。

アレクサンダーは、ハインリヒの父の冷たい笑みを思い出す。

審問の席で対面した時、アレクサンダーは彼が息子の保身ために事実を捻じ曲げたのだと思っていた。
けれども、もしかするとハインリヒの父自身、本気で鍛錬(・・)を正当なものだと思っていたのかもしれない。

今となっては、アレクサンダーには分からないことだ。

いずれにせよ、家庭やギムナジウムに極限まで追い詰められた結果、ハインリヒのように歪んだ価値観で暴走してしまう生徒が出ても無理はないのかもしれなかった。

「俺は、どうすればよかったんだろうな」

アレクサンダーは、しみじみと小屋の天井を見上げた。

(そういう意味では、ミハエルも危なっかしいところがあるけどな)

ミハエルは時折、何か追い詰められるような、切羽詰まったように勉強に打ち込む時がある。
しかし、自分を追い込んでもどこか冷静なところのあるミハエルは、案外、心のバランスを取るのが上手いのかもしれない。

ひと通り話を聴いたミハエルは、アレクサンダーになんと声を掛ければよいのか分からないようなを表情(かお)している。

湿っぽい話をしてしまった。

「でもさ、結果的にお前と出会えたんだ。これで良かったんだよ」

これは、まぎれもない本心だ。

ミハエルは突然そんなことを言われて、面食らった顔をしている。

「いや、僕はそんなふうに言われるような人間では……」

顔を赤くして、もごもごと居心地悪そうに呟いている。

アレクサンダーは、以前から提案したかったことを、ついに口にした。

「なあ、ミハエル。うちに遊びに来ないか?」

「え?」

突然の提案にミハエルは戸惑いの声を上げた。

快諾しないだろうことは百も承知だ。
アレクサンダーは、ミハエルが誘いを心底嫌がっていないか顔色を伺う。

(いや、多分、大丈夫だ)

誘いに乗る余地があると見た。

「ミハエルがうちに遊びに来てくれたら、落ち込んだ俺の気分も慰められるんだけど?」

これ見よがしにニコリと微笑んでみせる。

ミハエルは尚も戸惑っている。

招待できそうな日に、あらかじめ、いくつか目星をつけておいた。
アレクサンダーは、ひと思いに日にちを決める。

「よし、じゃあ三週間後の日曜日だな」

自分で候補に挙げておいたうちの、最も早い日にちだ。

「そんな」

「何か予定があるか?」

「ない……、けど」

「じゃあ決まりだな」

アレクサンダーは、強引に三週間後の日曜日に決めた。
ミハエルは自信なさげにしながらも、受け入れた。


この日も、ミハエルが小屋から出て裏門まで見送ってくれることになった。

ミハエルからは、小屋の外では声を出すなと言いつけられている。

「君の声はよく通るんだ」

ミハエルが声をひそめて(たしな)める。

最近では、なるべくミハエルの言いつけに従うことにしている。
ミハエルに、良き友人と思われたいからだ。

小屋を出て裏門まで暗がりを歩いていると、突然後ろから声をかけられた。

「やぁ、遊びに来ていたの?」

振り返ると、そこにはゲオルグが立っていた。

手には角灯(カンテラ)をぶらさげている。

「ゲオルグ!」

アレクサンダーは嬉しい声を上げた。
ダミッシュ家の敷地内でゲオルグに会うのは初めてだ。

(ん?)

アレクサンダーは不意に違和感を覚えた。
隣で一瞬、ミハエルが強張ったような気がした。

辺りはゲオルグの角灯(カンテラ)で照らされている。
アレクサンダーは、ミハエルの顔を盗み見た。

ミハエルは、何の感情もなく立っている。

アレクサンダーの脳裏に、モーリッツの言葉が蘇る。

―――ゲオルグのことを嫌っているらしい。

無表情なミハエルの向かいで、ゲオルグはニコニコと人の()さそうな笑みを浮かべている。

ミハエルとゲオルグは、裏門のところで並んで見送ってくれた。

―――違和感の正体が気にはなるが、今ここで本人たちに確認すべきことではない。

そう思われて、アレクサンダーは二人に礼を言って帰途についた。
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