銀色の雲の上
第6話-1 居場所
二人掛けの席の隣を故意に空けられるのには、とっくのとうに慣れた。
秋になり涼しくなったかと思うと、今度は日に日に肌寒くなっていく。
ミハエルは教室に着くと、後ろの壁際まで行って制帽と上着を掛けた。
制帽で乱れた髪を手櫛で整え、いつもの席に着く。
教室の窓際の最前列の席が、ミハエルの定位置だ。
二人掛けの席の隣には、わざと誰も座らない。
最初こそ一人で座るのは淋しい気がしていたが、今となっては気楽で良い。隣の者に気を遣わなくて済む。
ミハエルは鞄から教材や文房具を取り出すと、机の天板の下にしまった。
この日の午前の授業がラテン語であることを確認し、机のインク壺に補充する。それから書き取り用のペンと吸い取り紙を机の上に置いておいた。
鐘が鳴るまで、課外読書の続きを読むことにした。
第八学年に進級して、早くも一ヶ月が経っていた。
窓の外でワッと歓声が上がる。
校庭で始業前に生徒たちが蹴球をして遊んでいるらしい。
アレクサンダーらしき人物の声が遠くの方から聞こえてくる。彼の声はよく通る。
あれからアレクサンダーは、一気に教室での人気者になった。
ミハエルは最初こそ彼の高貴な出自がこの教室に不釣り合いなのではないかと思っていたが、彼は今では当たり前のように級友たちの輪の中にいる。
ミハエルは背中越しに教室の空気を読むのが得意だ。
教室の者たちとの関わりがほとんどない分、会話や行動をつぶさに把握出来るという、妙な特技が身についてしまった。
生徒たちは例の編入生への物珍しさと高貴な出自への憧れがあってか、いつもワイワイと楽しそうに取り囲んでいる。
ミハエルは他人の憧憬がほんのささいな悪意でいとも簡単にひっくり返り得ることを知っている。
この教室での彼の振る舞いが吉と出るか凶と出るかは知ったことではない。
けれども、アレクサンダーはなかなか気さくな奴らしかった。
級友たちに呼びかけられれば喜んで応えるし、彼からもよく話しかけている。
少なくとも自分の生まれをひけらかすようなことはしないようだ。
休み時間になると、この教室でも学生らしい遊びや会話が繰り広げられる。
校庭に出る者も少なくない。この日も生徒たちが賑やかに体を動かしている。
アレクサンダーはというと、最初こそ同級生たちに誘われて校庭についていっていたようだが、最近では自分が先導に立って声をかけることも増えてきているようだ。
たまに彼の威勢の良い号令が聞こえてくる。
ミハエルが静かに課外読書に目を通していると、先ほどの校庭での歓声からしばらく経って、外で遊んでいた生徒たちがガヤガヤと教室に戻ってきた。
彼らの様子を背中越しに気配で伺っていると、間もなくアレクサンダーとアーレンが戻ってきた。
アーレンはアレクサンダーに体を支えられている。
どうやらアーレンが足を怪我したようだ。
アレクサンダーが教室の後ろでアーレンを椅子に座らせ、怪我の処置を始めている。
戻ってきた者たちが二人を囲んで見守っている。
「痛くないか?」
アレクサンダーがアーレンに確認しながら、手当てしてやっているようだ。
「手際がいいんだなー」
生徒の一人が感心して声を上げた。
アーレンの怪我は、アレクサンダーによってあっという間に処置されたようだ。
アーレンが礼を言っている。
(面倒見が良いんだな)
そう、この華麗なる編入生は、やけに面倒見が良かった。
怪我をした生徒がいれば今のように甲斐甲斐しく手当てしてやり、羨ましそうに見ている生徒がいれば声をかけて会話の輪に入れてやる。
何か困った様子の者がいれば、すぐに声をかけているようだ。
こういったことを、面倒くさがるどころかむしろ嬉しそうにやっている節がある。
生徒たちはホッとしたのか、教室の後ろで屈託のない声を上げはじめた。
アレクサンダーは、まるで以前からこの教室の一員だったかのように溶け込んでいる。
(僕には関係のないことだ)
日に日に、このギムナジウムでのアレクサンダーの存在感は強まっている。
しかし、ミハエルにとってそんなことは関係ない。
アレクサンダーがどんな人物であろうと、その輪に割って入るつもりなどないのだ。
あまり深入りして仲良くなった挙句、自分が女だとばれるようなことがあってはならないのだった。
―――それに、そもそも彼と仲良くするだなんて、そんなことゲオルグが許すはずがない。
アレクサンダーは時折ミハエルに話しかけてくるが、ミハエルからアレクサンダーに話しかけることは皆無だ。
このまま距離を取り続けていれば、そのうち話しかけてこなくなるだろう。
そうなったところで、いつものように独りで淡々と過ごすだけだ。
始業の鐘が鳴り、ミハエルは課外読書の本をパタンと閉じた。
秋になり涼しくなったかと思うと、今度は日に日に肌寒くなっていく。
ミハエルは教室に着くと、後ろの壁際まで行って制帽と上着を掛けた。
制帽で乱れた髪を手櫛で整え、いつもの席に着く。
教室の窓際の最前列の席が、ミハエルの定位置だ。
二人掛けの席の隣には、わざと誰も座らない。
最初こそ一人で座るのは淋しい気がしていたが、今となっては気楽で良い。隣の者に気を遣わなくて済む。
ミハエルは鞄から教材や文房具を取り出すと、机の天板の下にしまった。
この日の午前の授業がラテン語であることを確認し、机のインク壺に補充する。それから書き取り用のペンと吸い取り紙を机の上に置いておいた。
鐘が鳴るまで、課外読書の続きを読むことにした。
第八学年に進級して、早くも一ヶ月が経っていた。
窓の外でワッと歓声が上がる。
校庭で始業前に生徒たちが蹴球をして遊んでいるらしい。
アレクサンダーらしき人物の声が遠くの方から聞こえてくる。彼の声はよく通る。
あれからアレクサンダーは、一気に教室での人気者になった。
ミハエルは最初こそ彼の高貴な出自がこの教室に不釣り合いなのではないかと思っていたが、彼は今では当たり前のように級友たちの輪の中にいる。
ミハエルは背中越しに教室の空気を読むのが得意だ。
教室の者たちとの関わりがほとんどない分、会話や行動をつぶさに把握出来るという、妙な特技が身についてしまった。
生徒たちは例の編入生への物珍しさと高貴な出自への憧れがあってか、いつもワイワイと楽しそうに取り囲んでいる。
ミハエルは他人の憧憬がほんのささいな悪意でいとも簡単にひっくり返り得ることを知っている。
この教室での彼の振る舞いが吉と出るか凶と出るかは知ったことではない。
けれども、アレクサンダーはなかなか気さくな奴らしかった。
級友たちに呼びかけられれば喜んで応えるし、彼からもよく話しかけている。
少なくとも自分の生まれをひけらかすようなことはしないようだ。
休み時間になると、この教室でも学生らしい遊びや会話が繰り広げられる。
校庭に出る者も少なくない。この日も生徒たちが賑やかに体を動かしている。
アレクサンダーはというと、最初こそ同級生たちに誘われて校庭についていっていたようだが、最近では自分が先導に立って声をかけることも増えてきているようだ。
たまに彼の威勢の良い号令が聞こえてくる。
ミハエルが静かに課外読書に目を通していると、先ほどの校庭での歓声からしばらく経って、外で遊んでいた生徒たちがガヤガヤと教室に戻ってきた。
彼らの様子を背中越しに気配で伺っていると、間もなくアレクサンダーとアーレンが戻ってきた。
アーレンはアレクサンダーに体を支えられている。
どうやらアーレンが足を怪我したようだ。
アレクサンダーが教室の後ろでアーレンを椅子に座らせ、怪我の処置を始めている。
戻ってきた者たちが二人を囲んで見守っている。
「痛くないか?」
アレクサンダーがアーレンに確認しながら、手当てしてやっているようだ。
「手際がいいんだなー」
生徒の一人が感心して声を上げた。
アーレンの怪我は、アレクサンダーによってあっという間に処置されたようだ。
アーレンが礼を言っている。
(面倒見が良いんだな)
そう、この華麗なる編入生は、やけに面倒見が良かった。
怪我をした生徒がいれば今のように甲斐甲斐しく手当てしてやり、羨ましそうに見ている生徒がいれば声をかけて会話の輪に入れてやる。
何か困った様子の者がいれば、すぐに声をかけているようだ。
こういったことを、面倒くさがるどころかむしろ嬉しそうにやっている節がある。
生徒たちはホッとしたのか、教室の後ろで屈託のない声を上げはじめた。
アレクサンダーは、まるで以前からこの教室の一員だったかのように溶け込んでいる。
(僕には関係のないことだ)
日に日に、このギムナジウムでのアレクサンダーの存在感は強まっている。
しかし、ミハエルにとってそんなことは関係ない。
アレクサンダーがどんな人物であろうと、その輪に割って入るつもりなどないのだ。
あまり深入りして仲良くなった挙句、自分が女だとばれるようなことがあってはならないのだった。
―――それに、そもそも彼と仲良くするだなんて、そんなことゲオルグが許すはずがない。
アレクサンダーは時折ミハエルに話しかけてくるが、ミハエルからアレクサンダーに話しかけることは皆無だ。
このまま距離を取り続けていれば、そのうち話しかけてこなくなるだろう。
そうなったところで、いつものように独りで淡々と過ごすだけだ。
始業の鐘が鳴り、ミハエルは課外読書の本をパタンと閉じた。