泣き止まない夜
泣き止まない夜
テレビはつけっぱなしだった。
『生後六か月の長男に対し——』
音だけが、部屋に流れている。
映像は見ていなかった。
ソファにもたれて、スマートフォンを握ったまま、ぼんやりと天井を見ている。
『母親は——日常的に——』
少しだけ音量を下げた。
隣の部屋では、子どもが寝ている。
さっきまで泣いていたのに、今は静かだった。
静かすぎて、落ち着かない。
母親、逮捕、虐待。
どこにでもある話だと思った。
それでも、少しだけ現実味があった。
明日のことかもしれない、と思う。
思っただけで、それ以上は考えない。
スマートフォンの画面を開く。
時間を見て、そのままアプリを開いた。
名前は「みさ」。
変える理由が分からなかった。
ここでも同じ名前で呼ばれるほうが、まだ楽だった。
ログインする。
すぐにいくつかメッセージが届く。
知らない男たちの名前。
どれも似たような言葉。
ひとつだけ開く。
言われたことに返す。
それだけでいい。
考えなくていい。
何も考えない時間のほうが、少しだけ楽だった。
子どものことも、旦那のことも、明日のことも。
全部、止まる。
やり取りを続ける。
画面の中の言葉だけが、現実みたいだった。
ふと、小さな音が混ざる。
一瞬、気のせいかと思う。
でもすぐに分かる。
子どもが起きた。
泣き声が、少しずつ大きくなる。
スマートフォンを持ったまま、動きが止まる。
画面の向こうから、メッセージが届く。
読む前に、もう一度泣き声が重なる。
「少しだけ待って」
そう打って、送る。
立ち上がるのが、少し遅れる。
泣き声が、思ったより近い。
うるさいと思った。
一瞬だけ。
すぐに、その感覚を押し込む。
隣の部屋に行く。
抱き上げれば、軽いはずなのに、重く感じる。
泣き止まない。
理由は分かっているはずなのに、うまくいかない。
あやしながら、スマートフォンを見る。
まだ繋がっている。
戻らないといけない。
戻れば、また少しだけ増える。
それだけのこと。
それなのに、足が動かない。
子どもは泣き続けている。
腕の中で、必死に何かを訴えている。
それを、分かりたくなかった。
泣き声が、少し遠く感じる瞬間がある。
そのままにしてしまえば、少しだけ静かになる気がした。
そう思って、すぐに首を振る。
違う。
子供を抱き直す。
背中をトントンと叩く。
オムツを交換してみる。
ミルクを作ってみる。
でも、泣き止まない。
「なんでよ」
どちらの声も、止め方が分からなかった。
画面が、また光る。
戻ればいい。
戻れば、考えなくていい。
ほんの数分でいい。
続ければ、それでいいはずだった。
きっと、泣きたいのはこっちだと思った。
子どもを抱いたまま、しばらく立ち尽くす。
やがて、声が少しだけ弱くなる。
完全には止まらない。
でも、さっきよりは静かになる。
そのまま、ソファに戻る。
子どもを抱いたまま、座る。
子どもの少し高めの体温が、ぼんやりした頭と体に染み込んできて眠気が緩やかに近づいてくる。
スマートフォンの画面には、メッセージがいくつか溜まっている。
どうするか、少しだけ考える。
考えるほどのことでもないのに。
腕の中の重みが、残っている。
現実のほうが、重い。
でも、軽くはならない。
いても、いなくても、たぶん変わらないと思っている。
どこに行っても、同じ場所に行き着く気がした。
画面を見つめる。
指が、少しだけ動く。
ログインしたまま、画面を閉じる。
今夜は、このまま寝てしまおう。
なんにも、考えたくない。
お金のことも、ここにいない旦那のことも、目の前の子どものことも、自分のことも、これからのことも、なにもかも。
このまま、消えてしまえたら。
そんなことが浮かんでは消え、浮かんでは消え、意識は夜に溶けていった。
テレビはつけっぱなしだった。
『生後六か月の長男に対し——』
音だけが、部屋に流れている。
映像は見ていなかった。
ソファにもたれて、スマートフォンを握ったまま、ぼんやりと天井を見ている。
『母親は——日常的に——』
少しだけ音量を下げた。
隣の部屋では、子どもが寝ている。
さっきまで泣いていたのに、今は静かだった。
静かすぎて、落ち着かない。
母親、逮捕、虐待。
どこにでもある話だと思った。
それでも、少しだけ現実味があった。
明日のことかもしれない、と思う。
思っただけで、それ以上は考えない。
スマートフォンの画面を開く。
時間を見て、そのままアプリを開いた。
名前は「みさ」。
変える理由が分からなかった。
ここでも同じ名前で呼ばれるほうが、まだ楽だった。
ログインする。
すぐにいくつかメッセージが届く。
知らない男たちの名前。
どれも似たような言葉。
ひとつだけ開く。
言われたことに返す。
それだけでいい。
考えなくていい。
何も考えない時間のほうが、少しだけ楽だった。
子どものことも、旦那のことも、明日のことも。
全部、止まる。
やり取りを続ける。
画面の中の言葉だけが、現実みたいだった。
ふと、小さな音が混ざる。
一瞬、気のせいかと思う。
でもすぐに分かる。
子どもが起きた。
泣き声が、少しずつ大きくなる。
スマートフォンを持ったまま、動きが止まる。
画面の向こうから、メッセージが届く。
読む前に、もう一度泣き声が重なる。
「少しだけ待って」
そう打って、送る。
立ち上がるのが、少し遅れる。
泣き声が、思ったより近い。
うるさいと思った。
一瞬だけ。
すぐに、その感覚を押し込む。
隣の部屋に行く。
抱き上げれば、軽いはずなのに、重く感じる。
泣き止まない。
理由は分かっているはずなのに、うまくいかない。
あやしながら、スマートフォンを見る。
まだ繋がっている。
戻らないといけない。
戻れば、また少しだけ増える。
それだけのこと。
それなのに、足が動かない。
子どもは泣き続けている。
腕の中で、必死に何かを訴えている。
それを、分かりたくなかった。
泣き声が、少し遠く感じる瞬間がある。
そのままにしてしまえば、少しだけ静かになる気がした。
そう思って、すぐに首を振る。
違う。
子供を抱き直す。
背中をトントンと叩く。
オムツを交換してみる。
ミルクを作ってみる。
でも、泣き止まない。
「なんでよ」
どちらの声も、止め方が分からなかった。
画面が、また光る。
戻ればいい。
戻れば、考えなくていい。
ほんの数分でいい。
続ければ、それでいいはずだった。
きっと、泣きたいのはこっちだと思った。
子どもを抱いたまま、しばらく立ち尽くす。
やがて、声が少しだけ弱くなる。
完全には止まらない。
でも、さっきよりは静かになる。
そのまま、ソファに戻る。
子どもを抱いたまま、座る。
子どもの少し高めの体温が、ぼんやりした頭と体に染み込んできて眠気が緩やかに近づいてくる。
スマートフォンの画面には、メッセージがいくつか溜まっている。
どうするか、少しだけ考える。
考えるほどのことでもないのに。
腕の中の重みが、残っている。
現実のほうが、重い。
でも、軽くはならない。
いても、いなくても、たぶん変わらないと思っている。
どこに行っても、同じ場所に行き着く気がした。
画面を見つめる。
指が、少しだけ動く。
ログインしたまま、画面を閉じる。
今夜は、このまま寝てしまおう。
なんにも、考えたくない。
お金のことも、ここにいない旦那のことも、目の前の子どものことも、自分のことも、これからのことも、なにもかも。
このまま、消えてしまえたら。
そんなことが浮かんでは消え、浮かんでは消え、意識は夜に溶けていった。

