【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻
空気が、ぴし、と固まる。
カメラマンが一瞬フリーズして、御堂が目を細めて、私は心の中で盛大に転んだ。

「れ、怜央さん、それは公私混同では……?」

私が慌てて言うと、怜央は穏やかに笑う。

「ダメかな?今、俺がここにいるのは、彼女のおかげだって、伝えたいんだ」

私と御堂が、「ダメ!」と言うように、顔の前でブンブン手を振っていたのだが、カメラマンが「もちろんです!」と急にプロのスイッチを入れた声で言う。

「梨音さん、こちらへ。怜央さんの隣、少しだけ寄ってください。はい、そう。肩のライン綺麗です」

肩のラインを褒められても、今は困る。
私は恐る恐る怜央の隣に立った。

近い。
香水じゃない、怜央自身の匂いがする。清潔で、落ち着く匂い。
それだけで、笑い方を忘れそうになる。

「緊張してる?」

怜央が小声で囁いた。

「……してます」

「俺も」

「嘘」

「嘘じゃない。手術より緊張する」

「それは言い過ぎです」

怜央が、ほんの少しだけ私の背中に手を添えた。
支えるというより、ここにいてという合図みたいに。

カメラマンが声をかける。

「いきます。お二人とも、こちらに目線。——はい、笑って。そう、そのまま。……3、2、1」

シャッターが切られる。
その音が、なぜか胸に沁みた。

――記憶は、曖昧になる。でも、記録は残る。残したい。あなたと一緒に、今を。

なぜか、そう思ってしまった。

「ありがとうございました!最高です。とてもいい表情です」

カメラマンが満足そうに言う。
私は、ようやく息を吐いた。

「……怜央さん、どうして突然……」

小声で問うと、怜央は、誰にも聞こえないくらいの距離で答えた。

「君が俺を見つめるたびに、思い出す。あの夜のことも、君が手を伸ばしてくれたことも」

「……」

「この笑顔を忘れたくない。これからは一緒に記憶も記録も残していこう」

私は、言葉が喉に詰まって、笑うしかできなかった。
——忘れたくない、なんて。
この人は、いちばん刺さることを、平然と言ってくる。

「……うん」

たったそれだけ返すと、怜央が少しだけ目を細めた。
「それで十分」と言うみたいに。

——ああ、これだ。
私が好きになった人の笑い方。
私が、嘘をついてでも壊したくなかった笑顔。

インタビューが終わると、広報担当さんが穏やかに微笑み、編集長は満足げにメモを閉じた。
カメラマンが機材をまとめながら私に小声で言う。

「噂どおり、クールな先生ですね。奥様に対して以外は!」

私は思わず笑ってしまった。
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