【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻
病院へ着くと、空気がいつもと少し違った。
スタッフの動きそのものは普段と変わらないのに、どこか一段、張りつめている。

すれ違う看護師さんや技師さんたちが、怜央へ次々に頭を下げる。

「久遠先生、本日よろしくお願いします」

「麻酔科、準備整っています」

「輸血部も待機済みです」

怜央は短く頷くだけだ。
愛想笑いも励ましもない。
でも、そのたった一つの反応で、みんなの背筋が伸びる。

オペ室の前で待つよう、御堂に言われた。
けれど、案内してくれたベテランの看護師さんが、少しだけ笑って教えてくれる。

「久遠先生が執刀する日は、みんな怖いんです」

「……やっぱり、怖いんですね」

「ええ。でも一番安心もします。あの先生、オペでは絶対に迷わないから」

その言葉を聞いた瞬間、取材のとき見た白い見学窓の向こう側が、鮮やかによみがえった。

冷たい名医。
神様みたいに正確な手。
奇跡ではありません、と言い切った声。

私は、あの日の彼を尊敬した。
でも、本当の意味で理解はしていなかったんだと思う。
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