【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻
数日後、御堂に頼まれて病院へ書類を届けに行った。

「受付に預ければいいですか」

「いえ。本人確認の都合で、オペ室の前までお願いします」

「御堂さんが渡せばいいんじゃないですか?」

「私が別件で捕まっているんです」

要するに人手不足らしい。
久遠家の秘書にも限界はあるんだな、とどうでもいいことを考えながらエレベーターを降りた。

オペ室の前は、独特の静けさがある。
消毒液の匂いと、張りつめた空気。
それだけで、以前の取材を思い出した。

ちょうどガラス越しのモニター室に人影が動く。
何気なく視線を向けて、息が止まった。

怜央だった。

マスクに半分隠れた顔は、ぞっとするほど静かで、鋭い。
助手が差し出す器具を受け取り、短く何かを言う。
聞こえないはずなのに、声の温度までわかる気がした。

初めて取材で見たときと同じだ、と思った。

余計な感情を全部削ぎ落とした、冷たい名医。
医者としては尊敬できるが、性格は冷たい——そう結論づけた、あのころの私が見た怜央。

でも、今の私は知っている。
その冷たさの内側に、あまりに不器用な優しさがあることを。
眠れない夜に手を握ってほしいと頼む弱さも、私の食事にまで口を出す過保護さも、私だけに向ける、あの甘い声も。

知ってしまったあとで、目の前の冷たい横顔を見るのは、想像以上にきつかった。
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