星の見えない夜に、誰を救う。
True Ending
——未来を1分間再生した瞬間——
松之原タワー 屋上 ヘリポート 23:22
彼は1分だけ起きる未来を見た。爆弾のスイッチが押されると、クレーンが爆発する。それからの未来は見えていないが、ここまで見られれば十分だ。
『ありがとう幸人……これならあなたの記憶、失っても1年間で済みそうよ……ママも最後まで手伝うわ!』
「ありがとな……助かるぜ」
「何か聞こえたか?」
「ああ……最後まで付き合ってくれるってさ……!」
「フン……最高だ」
身体は痛むが、この程度なら全員助けられる。奴がスイッチを押す前にコンクリートの破片なり投げ、そのまま急接近して奴を取り押さえる。奴がいるところは近くはないが、障害物を足場にすればパルクールで接近できる。
「将佑、俺が合図したらこの2人を頼む。俺はささっと間藤を止める……」
「いいぜ……」
ガシッ……
「行けっ……!」
ビューン……!
投げられたコンクリートの破片は奴の手元へ飛んでいく。そのまま——
ドン……!ボキィ……!
「うわっ……!?」
剛速球のコンクリートは命中し、間藤の手首は骨が砕けたような音が鳴った。
「今行くぞ陽菜……!」
彼は障害物を巧みに足場にし、あっという間に間藤の目の前に迫る。すると——
「死ねぇ!」
バンバンバーン……!
焦った間藤は幸人を狙って銃を撃つが——
「フゥ……!」
直線的な弾丸など彼には当たらない。2回連続のバク宙で銃弾を回避。そして松之原タワーを爆破した間藤寛治は、奥田幸人に取り押さえられた。
ガシッ……!
「残念だったな……」
ヒュウゥ……ドーン……!
「がはぁ……!?そんなバカな……!?」
彼の背負い投げで間藤はあえなく一本。背中を強く打った奴は、もう立ち上がれなかった。そのまま——
「うぅ……」
気を失った。そのまま手を後ろ向きにして手錠をかける。
ブルルルル……!
せっかくの機会だ。ヘリが来るまでは、陽菜とゆっくり話をしたい。
「待たせたな陽菜……」
「幸人……」
タワー崩壊まで、残り32分。23:28
ブルルルル……!
「今ヘリを近づけます!気をつけてください!」
その頃、英介と真也を担いだ将佑も幸人のもとへ辿り着いた。幸人と陽菜は抱き合いながら——
「終わったの……?」
「いや、まだだ……まだ君を無事に帰す仕事が残っている……」
「ああ……もしかしたら俺邪魔だよな?ヘリが来るまでゆっくりしてなよ?」
将佑は間藤が暴れないよう、切断したホースで足を縛った。英介と真也は気を失っているが、しばらくしたら目を覚ますだろう。
「幸人……あのときは本当にごめんなさい……私、あなたのこと何も理解していなかった……」
「そのことならさっきも謝っていたじゃないか?それに、君は悪くない……」
陽菜は幸人に離婚を告げたことを後悔していた。そして今、悔やんでも悔やみきれないほどの無念を抱いている。恋人からやり直してくれるとは言ったが、怒っていないのかな?
「ねえ幸人……帰ったら、何したい?」
「帰ったらか?……」
失う記憶は1年分だけで済みそうと母に言われたが、やりたいと言ったことを覚えていないと考えたら、今言うべきなのか悩んでしまう。
「あなたが覚えていなくても、私は覚えているよ……」
陽菜は彼のポケットからメモ帳とペンを取る。
「今教えて!あなたのやりたいこと……」
「そうだな……じゃあ、焼肉の食べ放題行きたいかな?」
「焼肉の食べ放題……っと!はい、書いておいたよ!」
「陽菜……」
彼女の言葉に安堵する。初めて、メモをする癖を理解してくれたのが、将佑ではなく元妻の陽菜であるような気がした。
「私が奢っちゃうからさ!」
「それは悪いよ……?それとよかったら、俺の食べたいものもメモしてくれるか……?」
「いいわよ!でもどうせハラミにホルモンに、あとレモン絞った豚トロでビールでしょ?」
「……わかっていたんかい……?」
「焼肉行ったらいっつもそれだったじゃん?でも書いておくね……」
ブルルルル……!ガシャン……!
「さあ早く乗ってください!」
「来たな……なあ!最初にこの牧師を乗せてくれ」
「わ……わかりました」
男性2人がかりでなければ持ち上げられず、一度操縦士もヘリから降りて間藤を乗せた。まだ気を失ったままの真也、英介の順番でヘリに乗る。残るは将佑に陽菜、幸人となった。
「将佑から先に乗ってくれ」
「本来なら俺が最後だけど……まあ幸人も救助隊枠ってことで」
「荷が重い役は勘弁してくれ……」
タワー崩壊まで、残り27分。23:33
まだ少しだけ時間がある。絶え間なく炎は広がっている。このままタワー崩壊の時間を迎えたら、港南アイランドブリッジに倒れてしまう。だが、彼には裏技が残されている。すると——
しん……しん……
烈火の炎を破るように、空から小さな粉雪が降り注いだ。
「よかった……今年もあなたと、クリスマスを迎えられそう……」
「ああ……クリスマスプレゼントは、陽菜のキスが欲しいかな……」
「えっ……?」
「いや……独り言だ。気にしないでくれ」
陽菜は思い出した。彼は独り言が激しく、それも普通にしていても耳に入ってしまうくらい声が大きい。
チュ……
「……陽菜……」
「続きは帰ってからね?」
ドガァァン……!
「……!さあ帰るか!」
「うん!」
最後に残った幸人と陽菜もヘリに乗り込む。
ブルルルル……!
屋上のヘリポートからヘリがゆっくりと、黒煙で覆われていない夜空に向かって離陸した。
タワー崩壊まで、残り24分。23:36
ドガァァン……!
これで松之原タワーの中に残る者は、誰一人いない。被災者は全員救助された。必死で多くの命を救った幸人と将佑もタワーから脱出した。
「幸人、このままじゃ橋に倒れそうだぞ……?」
「心配ない……そのために俺は——」
幸人はスマホのハッキングツールを見せた。
「それって、そのまさかか?」
「そう。裏技だよ……ウラワザ。もう少し離れたら爆破する。耳を塞いでてくれ……」
あのとき将佑を攻撃しなかったドローンは、幸人がハッキングしたドローンだった。橋の反対側に爆弾を仕掛け、橋への倒壊を防ぐための裏技だった。一定の位置まで離れた後、そのまま彼は——
「いくぞ……」
ピッ……ドガァァン……!ドガァァン……!
仕掛けていた爆弾がすさまじい轟音を立てて爆発した。タワー崩壊の時間を迎える前に、爆破する裏技。崩壊方向を変えるために、反対側の支柱だけを狙って爆破したのだ。そのまま松之原タワーは、ビルの解体ショーのように真下へと崩れていった。これで橋への被害は、ゼロ。
12月24日、23時38分。松之原タワー、制御爆破解体……
成瀬陽菜(27) 救助
西川英介(29) 救助
後藤真也(60) 救助
間藤寛治(48) 救助
稲田将佑(35) 生還
奥田幸人(29) 生還
2028年1月1日。
大河原病院 入院病棟 8:43
ゴロッ……スー……
「おはよう!具合はどうかな?」
「陽菜……おはよう……」
松之原タワー爆破テロ事件による犠牲者の数は、ゼロ。あれだけ大規模な災害でこの結果は、奇跡という言葉以外では言い表せない。だが、大きな代償を払うことになったのは、奥田幸人という英雄だった。
「お菓子買ってきたよ」
「ありがとな……」
彼は事件の後、5日間の眠りに就いていた。今日は目が覚めて2日目で、陽菜は彼の好きなサワークリームオニオン味のポテトチップスを買ってお見舞い。彼は2026年12月25日から、未来察知能力を使いすぎた代償に1年間の記憶を失った……離婚したのは2026年12月28日であるため、離婚した記憶がなく夫婦のままだと思っている。
「……グスン……」
「どうしたんだ……?」
「……何でもないわ……」
どうして彼だけが苦しい思いをしなければならないのか。どうして自分の勇姿を自分自身が忘れてしまうのか。陽菜はいつも虚しく思っていた。ゾンビのような顔だってもう戻らない……目覚めた日に鏡で自分の顔を見ても、彼は一切動じていなかった。記憶がなくても、彼が持つ精神力と強い意志はそのまま。陽菜は改めて思った。彼は記憶を失っても、やっぱり奥田幸人なのだと。
ゴロッ……スー……
「あっ……稲田さん」
お見舞いの花を持って病室を訪れたのは、親友の稲田将佑だ。しかし——
「……あんたは?」
「……」
本来なら将佑との記憶も失われているはずだった。あれだけ絆を深めて支え合った親友。よく見れば2人は似た者同士だが。
「俺か?俺の名前は……」
「ちょっと待て……!言うな……」
「……?」
「……まさか、わかるの!?」
将佑が名前を言う前に止める。陽菜の疑問通り、覚えているのだろうか?
「……将佑?何か、そんな名前だったような気がするな……」
「幸人……!?」
「えっ……覚えてた……!?」
さすがにどう知り合ったかまでは思い出せないが、彼は確実に稲田将佑の名前を覚えていた。記憶を失っても、絆は失っていなかった。
「俺が覚えているってことはさ、もしかしたら喧嘩するほど仲が良かったのか……?」
「喧嘩か?まあしたかもしれねえな……仲が良かったのは、本当だぜ?」
笑い合う2人の姿は親友同士にしか見えなかった。すると——
「すみません稲田さん、ちょっとだけいいですか?」
「どうしました?」
「ちょっとだけお聞きしたいことが……」
「わかりました」
「ごめんね幸人……ちょっとだけ話ししてくるから……」
陽菜と将佑は一旦幸人の部屋から離れた。
松之原タワー跡地 9:23
松之原タワーが奥田幸人によって制御爆破解体されてから1週間。オーナーの松原朋子は跡形もなくなった夢のビルを前に立ち尽くす。
「……」
言葉が出ないのも当然だ。松之原タワーは長年の夢だった高層ビル。それがたった1日の爆破テロで多くの命が危険にさらされ、何の関係もない男性に大きな代償を払わせてしまった。
「お母さん……」
「ああ……来てたのね……おっ!望に焔、颯馬!いい子にしてたかな?」
「おばあちゃん!」
彼女の孫である望、焔、颯馬は生存者だ。隣には愛犬のレアも連れている。
「やっぱり……ここにいたんだな?」
話しかける男性は彼女の息子、松原 迅(36)。迅も母親がどれだけの夢を詰めてタワーを作ったのかは痛いほどわかる。
「まさか、あのときの料理屋で働いていた男の犯行だったなんてな……」
「私もビックリしたわ……しかも私がふぐ肝で死ななかったからビル爆破なんてね……」
当時10歳だった迅もよく覚えている。間藤清吉が経営していた雪月花で、息子の間藤寛治が提供したふぐの肝で死にかけたことを。間藤寛治はタワー爆破テロ事件の首謀者として逮捕され、現在裁判が進められているという。極めて重い刑罰が下されることは誰が見ても明白だったが、彼女からしたらいい迷惑でしかない。それでも彼女は涙を拭き、顔を上げた直後——
「夢はまた建てればいいわ……」
「お母さん……」
だが問題はもう一つ残っている。手抜き工事をして工事費をケチった臨海フロンティアの社長、栗原正明も報いを受けるべきだ。しかし、未だ栗原は逮捕されていない。
大河原病院 廊下 8:52
「稲田さん……彼を助けてくれて、ありがとうございました……彼にあなたのような親友がいること、本当に羨ましい限りです」
「なあに……こんなの消防士の仕事の一部ですよ。俺も幸人には散々助けられました。あいつがいなかったら、全員助け出すことは無理でしたよ」
陽菜にとって将佑は命の恩人だ。彼には感謝してもしきれない。よく見ると幸人に似ているが、自分が死にかけたとき、幸人と将佑が並んだシルエットは最高に格好良かった。
「幸人と再婚するんですね?おめでとうございます」
「はい!」
幸人は離婚した事実を忘れている。陽菜が『自分が勝手に逆ギレして離婚した』と説明したときは、ゾンビになった顔以上に驚いていたという。
「婚姻届にもサインもらいました!これでもう出してきちゃおうかなって思います」
幸人には松之原タワーで起きたことを話すべきなのか、それとも話さないべきか。陽菜にはわからない。話さなくても、ネットニュースや事件解説系YouTuberが投稿している動画、奥田幸人と稲田将佑の名前はどれを見ても出ている。
「俺から話しましょうか?」
「いえ、私から話します……あと、もう未来を見る必要もないことも……」
今後のことで話し合う2人だが、その姿を眺める影があった。
大河原病院 廊下 8:55
2人の会話を聞いているのは、あの栗原正明だ。幸人が事件を忘れたことをいいことに、手抜き工事の事実を全て隠蔽しようとしている。しかし、横に大きい身体は隠しきれるはずもなく、自分の存在が将佑にバレてしまう。
ギロッ……
「……!」
睨まれた奴は他の患者を跳ね除けて逃亡を図る!だがベテラン消防士を前に逃げ切れるはずもなく——
ガシッ……!
「うわぁ~!離せ!私のスーツがシワになるだろ!」
「ほう……残念だが新しいスーツも買えなくなりそうだぞ……?」
実を言えば栗原は、バックドラフトを回避すべく幸人に腹を蹴られたことにより、肋の一部が少し折れている(CASE2参照)。
「ちょっとこっち来てもらおうか!」
「おい引っ張るな……!痛え……!」
襟を掴まれた奴はそのまま病院の外へ出されていく。
大河原病院 庭園 9:03
ドサッ……!
「うわっ……!貴様……消防士がこんなことしていいと思ってんのか……!?」
「よくないだろうな!けどな、俺はあんたを……殴りたいくらい怒ってんだわ」
幸人が覚えていないなら、今手抜き工事をリークできるのは将佑しかいない。
「あんたの考えていることくらいわかんだよ……あんた幸人に助けてもらっておきながら、あいつが忘れたから俺は無実だって言いたいんだろ」
たとえ幸人の記憶にはなくても、手抜き工事の実態を裏づける決定的な証拠がある。それは——
「これが何かわかるか?」
「何だそれ……メモ帳か?」
彼がポケットから出したのは少し血が滲んでいる1冊のメモ帳。『松之原タワーの色々』と書かれている。栗原正明が建設の第一責任者であることは誰もが知っている。気になる中身は、防災設備の不具合、耐震構造の欠陥、建物を支える支柱の強度不足。手抜き工事の実態が幸人の直筆でこと細かに書かれている。
「くっ……!それを渡せ……!」
「渡してもな……既に警察の調査は入っているぞ。百瀬さんっていう少し頑固な刑事さんがいてね……幸人のメモ帳を見たら躍起になって捜査に行ったぞ」
「何だと……もう捜査が進んでんのか……!?」
「だからねえ……あんたもう詰んでんの……終わりなんだよ」
ドサッ……
栗原は絶望的な状況に膝をついて崩れた。確かに栗原正明の金にまみれた華やかな人生は終わりだ。だが——
ドスッ……!
「うわ……!?くそぉ……!クソ消防士が……」
「殴ったのが俺でよかったな?幸人ならあんた……もっとヤベエことになってたかもしれんからな……」
人を守る仕事をしている身として大人気ないことはわかっていたが、今回ばかりは我慢できなかった。栗原の欠陥建築のせいで多くの命が失いかけただけでなく、自分自身も何度も死にかけた。幸人が未来察知を限界まで使ってしまった。
「ああそうだ……そろそろ来るはずだぞ?」
「誰がだよ?警察か……!?」
彼は後ろの方へ向くと——
パンパン……
「来ていいぞ!」
彼が拍手をして号令のように声をかける。声に続いて現れたのは、陽菜に支えられながら歩く幸人だった。マスクをして顔を隠している。事件のときとは比べものにならないほどに弱っている幸人を見て妙な面持ちをしている。幸人には事情を説明してある。もちろんタワー崩壊の全容までは話していないが、『未来察知を使って必死になって救出した』の一部だけ。
パサッ……
隠していた顔が明らかになる。
「う……うわぁ~……!?何だこいつ……バケモノだったのかぁ!?」
陽菜は今にも殴りかかりたい気持ちに押し潰されそうだ。拳を握りすぎてつけ爪が割れる。
「いいか……幸人はな、自分がどんな姿になろうと、どんなに変わり果てようと、皆を守りたいって意志だけで多くの命を救ったんだ。それであんたは何だ……?建てちまったらもう知らない……工事代金もらってラッキー!ってか?」
「クソ……もう何なんだよ……!?私ばっかりこんな……!」
奴はずっとうろたえているが、背後から静かに迫ってくる人影が——
カチッ……
「何……!?」
栗原の両手に手錠がかけられる。手錠をかけたのは百瀬優平。
「栗原正明。建築基準法違反および業務上過失傷害などの容疑で逮捕する」
「ク……クソぉ……!」
奴は重い身体を引っ張られながらパトカーに乗せられた。あとの問題は松原朋子への補償金や損害賠償などを払わせることか。百瀬はパトカーに乗る前に幸人のもとへ歩み寄ると——
「……」
「……」
幸人の顔を見て驚いていないわけではないが、好きになれない可愛い後輩を前に——
「……ゆっくり休め!」
それだけ言って早歩きで去っていった。
2028年1月13日。
大河原病院 総合受付・出口 11:36
「お世話になりました……」
「いえいえ!お大事にどうぞ!」
この日は幸人の退院日。幸い彼のゾンビ化した顔は少しだけ回復し、マスクをしていればほとんど気にならないだろう。赤い左目は戻らなそうだ。
「幸人!」
「おお……将佑」
「退院おめでとう!あっ……紹介するな。妻と、娘の芽衣奈だ」
「こんにちは!」
「おお!元気のいい子だな?」
「本当だよ。最近は俺よりも足が速くてな!保育園じゃいつも1等賞なんだ」
小さい女の子が幸人の顔を見ても気にしていない。彼は少しだけ安堵した。ようやく人並みの生活ができるかもしれない兆しが見えてきた。1年間の記憶を失くして顔の一部がゾンビ化。この程度ではこの先の人生、ずっと暗いまま終わる理由にはならない。大切なのは未来を見るのではなく、見えないのなら自分で創ればいい。だが不思議だ。どうして将佑のことを一目見ただけで『親友』と認識したのか。
「幸兄ちゃん!芽衣奈ね、これからパパとママと一緒にお肉食べに行くの!」
「お肉か!芽衣奈ちゃんもいっぱい食べて、大きくならないとな!」
「またな幸人!今度一緒に飲みに行こうぜ?」
「そうだな」
「じゃあな!」
将佑たち家族は退院の挨拶を終えると、最後に飲みの約束をしてその場をあとにした。陽菜は背中に向けて一礼をする中、彼は——
スッ……
一礼ではなく、自然と敬礼をしていた。
湾岸矯正センター 面会室 13:43
ガチャ……コツ……コツ……
「幸人……」
幸人と陽菜は逮捕された英介の面会に行っていた。幸人は英介が逮捕された理由を覚えていない。すると——
ポタ……ポタ……
「英介?何で急に泣いてんだ……?」
「何で……何でお前が忘れちまうんだよ……!俺は一生お前に恨まれる覚悟でいたんだよ……!」
妹の治療費を稼ぐためとはいえ、英介は金で雇われたテロリスト。最後の最後まで幸人に助けられた英介にとって、幸人が直接事件を覚えていない事実は死にたいくらい辛い。
「確かに俺は、英介がどうして逮捕されたかは知らない。メモを見てビックリもした……でも、お前も被害者であることに変わりはない……」
彼は至って冷静な表情で、メモを見ながら親友に語りかける。
「どういうわけか、俺に義援金とか寄付が集まったんだ……妹ちゃんの治療費は俺が払う」
「……!?何言ってんだよお前!?俺は幸人のこと騙したんだぞ!タワーを壊しちまったんだぞ……!」
英介は理解できなかった。奥田幸人はどうしてこんなにもお人好しなのか。それでも幸人の目は許しているようには見えない。真っ赤な目が永久凍土のように冷たい。だがテロ行為を引き起こしたとはいえ、何も報われないのはさすがに酷だ。一つだけ言えることは、英介の妹を救うのは、あくまで英介の想いを叶えたいだけではない。金があるなら、救える命を救いたい。それだけ。
「3日後に手術だそうだ……やっぱり、長い治療にはなるかもしれない……それだけは覚えていてくれ。俺が忘れる前に……」
「幸人……!うぅ……うわぁ~……!」
「物忘れが酷い親友で悪かったな……」
彼のその一言で英介は立てないくらい泣き崩れた。それでも、もう一つ伝えなければいけないことがある。
「芹香さんから伝言だ。あなたの帰りを待っているわ……だそうだ。だから……しっかり罪を償って、お前自身の未来を創れ!」
確かに今は辛かったり、心が折れそうなときが多いかもしれない。だがそれだけではこの先の未来が暗いとは断言できない。だからこそ生まれるもの。それは無限の可能性だ。未来を変えるという意味は、そういうことかもしれない。
「風邪引くなよ……また来るからな……」
「幸人……」
誰だって生きている限り、未来は続いていく。それだけは、忘れてはならない。
2028年1月14日。
奥田宅 16:28
再び夫婦になった奥田幸人と奥田陽菜は、洗濯と掃除を終えるとソファに座りながら何かのネット記事を見ていた。そこには『松之原タワー爆破テロの真相!多くの命を救った奥田幸人と稲田将佑のすべて!』と書かれている。すっかりネット社会ではヒーローと謳われている。陽菜はゆっくり、記事と幸人が書いたメモを見せながら事件の全てを読み聞かせしている。
「そうか……俺がそんなことを……」
「私も松之原タワーの被災者だったからさ……私は一生忘れられないわ……」
まさか12月24日に起きた事件。たった1日で1年間の記憶を失ってしまったとは……最初こそ驚いていたが、元々吸収が早い彼はすぐに理解した。それと同時に、未来察知能力の代償を身をもって理解した。
「あなたは稲田さんと一緒に、沢山の人を助けたのよ。誰よりも優しい……あなたが」
「……」
「だからさ、あなたはもう……未来を見る必要はないわ……私と一緒に創っていこう?」
「陽菜と、未来を……?」
「そうよ!これからは私が傍にいるわ!だから未来はもう見ないって、約束して?」
陽菜が傍にいるのなら、未来はもう見なくていい。自分は便利な能力に甘えた結果、自分の身を滅ぼす手前まで迫っていた。見えない未来だからこそ、創れる未来には無限の可能性が広がっている。陽菜がいれば、きっと大丈夫だ!
「よし……!じゃあ焼肉の食べ放題行こっか!あなたが行きたいって言ってた!」
「焼肉……いいな!今日はいっぱい食って飲みたいな!」
「うん!今日は私の奢りだからさ!さあさあ早く着替えて行こっ!」
「賛成だ……!」
未来がどうなるかわからないからこそ、自分の足で歩いて行く。そこに見えなかった、未来があるはずだから。
2028年1月14日。奥田幸人と奥田陽菜の未来は、これからも続く。幸人と将佑が救った命も、託した想いも、それぞれの明日へ歩き出していた。
True Ending 完
松之原タワー 屋上 ヘリポート 23:22
彼は1分だけ起きる未来を見た。爆弾のスイッチが押されると、クレーンが爆発する。それからの未来は見えていないが、ここまで見られれば十分だ。
『ありがとう幸人……これならあなたの記憶、失っても1年間で済みそうよ……ママも最後まで手伝うわ!』
「ありがとな……助かるぜ」
「何か聞こえたか?」
「ああ……最後まで付き合ってくれるってさ……!」
「フン……最高だ」
身体は痛むが、この程度なら全員助けられる。奴がスイッチを押す前にコンクリートの破片なり投げ、そのまま急接近して奴を取り押さえる。奴がいるところは近くはないが、障害物を足場にすればパルクールで接近できる。
「将佑、俺が合図したらこの2人を頼む。俺はささっと間藤を止める……」
「いいぜ……」
ガシッ……
「行けっ……!」
ビューン……!
投げられたコンクリートの破片は奴の手元へ飛んでいく。そのまま——
ドン……!ボキィ……!
「うわっ……!?」
剛速球のコンクリートは命中し、間藤の手首は骨が砕けたような音が鳴った。
「今行くぞ陽菜……!」
彼は障害物を巧みに足場にし、あっという間に間藤の目の前に迫る。すると——
「死ねぇ!」
バンバンバーン……!
焦った間藤は幸人を狙って銃を撃つが——
「フゥ……!」
直線的な弾丸など彼には当たらない。2回連続のバク宙で銃弾を回避。そして松之原タワーを爆破した間藤寛治は、奥田幸人に取り押さえられた。
ガシッ……!
「残念だったな……」
ヒュウゥ……ドーン……!
「がはぁ……!?そんなバカな……!?」
彼の背負い投げで間藤はあえなく一本。背中を強く打った奴は、もう立ち上がれなかった。そのまま——
「うぅ……」
気を失った。そのまま手を後ろ向きにして手錠をかける。
ブルルルル……!
せっかくの機会だ。ヘリが来るまでは、陽菜とゆっくり話をしたい。
「待たせたな陽菜……」
「幸人……」
タワー崩壊まで、残り32分。23:28
ブルルルル……!
「今ヘリを近づけます!気をつけてください!」
その頃、英介と真也を担いだ将佑も幸人のもとへ辿り着いた。幸人と陽菜は抱き合いながら——
「終わったの……?」
「いや、まだだ……まだ君を無事に帰す仕事が残っている……」
「ああ……もしかしたら俺邪魔だよな?ヘリが来るまでゆっくりしてなよ?」
将佑は間藤が暴れないよう、切断したホースで足を縛った。英介と真也は気を失っているが、しばらくしたら目を覚ますだろう。
「幸人……あのときは本当にごめんなさい……私、あなたのこと何も理解していなかった……」
「そのことならさっきも謝っていたじゃないか?それに、君は悪くない……」
陽菜は幸人に離婚を告げたことを後悔していた。そして今、悔やんでも悔やみきれないほどの無念を抱いている。恋人からやり直してくれるとは言ったが、怒っていないのかな?
「ねえ幸人……帰ったら、何したい?」
「帰ったらか?……」
失う記憶は1年分だけで済みそうと母に言われたが、やりたいと言ったことを覚えていないと考えたら、今言うべきなのか悩んでしまう。
「あなたが覚えていなくても、私は覚えているよ……」
陽菜は彼のポケットからメモ帳とペンを取る。
「今教えて!あなたのやりたいこと……」
「そうだな……じゃあ、焼肉の食べ放題行きたいかな?」
「焼肉の食べ放題……っと!はい、書いておいたよ!」
「陽菜……」
彼女の言葉に安堵する。初めて、メモをする癖を理解してくれたのが、将佑ではなく元妻の陽菜であるような気がした。
「私が奢っちゃうからさ!」
「それは悪いよ……?それとよかったら、俺の食べたいものもメモしてくれるか……?」
「いいわよ!でもどうせハラミにホルモンに、あとレモン絞った豚トロでビールでしょ?」
「……わかっていたんかい……?」
「焼肉行ったらいっつもそれだったじゃん?でも書いておくね……」
ブルルルル……!ガシャン……!
「さあ早く乗ってください!」
「来たな……なあ!最初にこの牧師を乗せてくれ」
「わ……わかりました」
男性2人がかりでなければ持ち上げられず、一度操縦士もヘリから降りて間藤を乗せた。まだ気を失ったままの真也、英介の順番でヘリに乗る。残るは将佑に陽菜、幸人となった。
「将佑から先に乗ってくれ」
「本来なら俺が最後だけど……まあ幸人も救助隊枠ってことで」
「荷が重い役は勘弁してくれ……」
タワー崩壊まで、残り27分。23:33
まだ少しだけ時間がある。絶え間なく炎は広がっている。このままタワー崩壊の時間を迎えたら、港南アイランドブリッジに倒れてしまう。だが、彼には裏技が残されている。すると——
しん……しん……
烈火の炎を破るように、空から小さな粉雪が降り注いだ。
「よかった……今年もあなたと、クリスマスを迎えられそう……」
「ああ……クリスマスプレゼントは、陽菜のキスが欲しいかな……」
「えっ……?」
「いや……独り言だ。気にしないでくれ」
陽菜は思い出した。彼は独り言が激しく、それも普通にしていても耳に入ってしまうくらい声が大きい。
チュ……
「……陽菜……」
「続きは帰ってからね?」
ドガァァン……!
「……!さあ帰るか!」
「うん!」
最後に残った幸人と陽菜もヘリに乗り込む。
ブルルルル……!
屋上のヘリポートからヘリがゆっくりと、黒煙で覆われていない夜空に向かって離陸した。
タワー崩壊まで、残り24分。23:36
ドガァァン……!
これで松之原タワーの中に残る者は、誰一人いない。被災者は全員救助された。必死で多くの命を救った幸人と将佑もタワーから脱出した。
「幸人、このままじゃ橋に倒れそうだぞ……?」
「心配ない……そのために俺は——」
幸人はスマホのハッキングツールを見せた。
「それって、そのまさかか?」
「そう。裏技だよ……ウラワザ。もう少し離れたら爆破する。耳を塞いでてくれ……」
あのとき将佑を攻撃しなかったドローンは、幸人がハッキングしたドローンだった。橋の反対側に爆弾を仕掛け、橋への倒壊を防ぐための裏技だった。一定の位置まで離れた後、そのまま彼は——
「いくぞ……」
ピッ……ドガァァン……!ドガァァン……!
仕掛けていた爆弾がすさまじい轟音を立てて爆発した。タワー崩壊の時間を迎える前に、爆破する裏技。崩壊方向を変えるために、反対側の支柱だけを狙って爆破したのだ。そのまま松之原タワーは、ビルの解体ショーのように真下へと崩れていった。これで橋への被害は、ゼロ。
12月24日、23時38分。松之原タワー、制御爆破解体……
成瀬陽菜(27) 救助
西川英介(29) 救助
後藤真也(60) 救助
間藤寛治(48) 救助
稲田将佑(35) 生還
奥田幸人(29) 生還
2028年1月1日。
大河原病院 入院病棟 8:43
ゴロッ……スー……
「おはよう!具合はどうかな?」
「陽菜……おはよう……」
松之原タワー爆破テロ事件による犠牲者の数は、ゼロ。あれだけ大規模な災害でこの結果は、奇跡という言葉以外では言い表せない。だが、大きな代償を払うことになったのは、奥田幸人という英雄だった。
「お菓子買ってきたよ」
「ありがとな……」
彼は事件の後、5日間の眠りに就いていた。今日は目が覚めて2日目で、陽菜は彼の好きなサワークリームオニオン味のポテトチップスを買ってお見舞い。彼は2026年12月25日から、未来察知能力を使いすぎた代償に1年間の記憶を失った……離婚したのは2026年12月28日であるため、離婚した記憶がなく夫婦のままだと思っている。
「……グスン……」
「どうしたんだ……?」
「……何でもないわ……」
どうして彼だけが苦しい思いをしなければならないのか。どうして自分の勇姿を自分自身が忘れてしまうのか。陽菜はいつも虚しく思っていた。ゾンビのような顔だってもう戻らない……目覚めた日に鏡で自分の顔を見ても、彼は一切動じていなかった。記憶がなくても、彼が持つ精神力と強い意志はそのまま。陽菜は改めて思った。彼は記憶を失っても、やっぱり奥田幸人なのだと。
ゴロッ……スー……
「あっ……稲田さん」
お見舞いの花を持って病室を訪れたのは、親友の稲田将佑だ。しかし——
「……あんたは?」
「……」
本来なら将佑との記憶も失われているはずだった。あれだけ絆を深めて支え合った親友。よく見れば2人は似た者同士だが。
「俺か?俺の名前は……」
「ちょっと待て……!言うな……」
「……?」
「……まさか、わかるの!?」
将佑が名前を言う前に止める。陽菜の疑問通り、覚えているのだろうか?
「……将佑?何か、そんな名前だったような気がするな……」
「幸人……!?」
「えっ……覚えてた……!?」
さすがにどう知り合ったかまでは思い出せないが、彼は確実に稲田将佑の名前を覚えていた。記憶を失っても、絆は失っていなかった。
「俺が覚えているってことはさ、もしかしたら喧嘩するほど仲が良かったのか……?」
「喧嘩か?まあしたかもしれねえな……仲が良かったのは、本当だぜ?」
笑い合う2人の姿は親友同士にしか見えなかった。すると——
「すみません稲田さん、ちょっとだけいいですか?」
「どうしました?」
「ちょっとだけお聞きしたいことが……」
「わかりました」
「ごめんね幸人……ちょっとだけ話ししてくるから……」
陽菜と将佑は一旦幸人の部屋から離れた。
松之原タワー跡地 9:23
松之原タワーが奥田幸人によって制御爆破解体されてから1週間。オーナーの松原朋子は跡形もなくなった夢のビルを前に立ち尽くす。
「……」
言葉が出ないのも当然だ。松之原タワーは長年の夢だった高層ビル。それがたった1日の爆破テロで多くの命が危険にさらされ、何の関係もない男性に大きな代償を払わせてしまった。
「お母さん……」
「ああ……来てたのね……おっ!望に焔、颯馬!いい子にしてたかな?」
「おばあちゃん!」
彼女の孫である望、焔、颯馬は生存者だ。隣には愛犬のレアも連れている。
「やっぱり……ここにいたんだな?」
話しかける男性は彼女の息子、松原 迅(36)。迅も母親がどれだけの夢を詰めてタワーを作ったのかは痛いほどわかる。
「まさか、あのときの料理屋で働いていた男の犯行だったなんてな……」
「私もビックリしたわ……しかも私がふぐ肝で死ななかったからビル爆破なんてね……」
当時10歳だった迅もよく覚えている。間藤清吉が経営していた雪月花で、息子の間藤寛治が提供したふぐの肝で死にかけたことを。間藤寛治はタワー爆破テロ事件の首謀者として逮捕され、現在裁判が進められているという。極めて重い刑罰が下されることは誰が見ても明白だったが、彼女からしたらいい迷惑でしかない。それでも彼女は涙を拭き、顔を上げた直後——
「夢はまた建てればいいわ……」
「お母さん……」
だが問題はもう一つ残っている。手抜き工事をして工事費をケチった臨海フロンティアの社長、栗原正明も報いを受けるべきだ。しかし、未だ栗原は逮捕されていない。
大河原病院 廊下 8:52
「稲田さん……彼を助けてくれて、ありがとうございました……彼にあなたのような親友がいること、本当に羨ましい限りです」
「なあに……こんなの消防士の仕事の一部ですよ。俺も幸人には散々助けられました。あいつがいなかったら、全員助け出すことは無理でしたよ」
陽菜にとって将佑は命の恩人だ。彼には感謝してもしきれない。よく見ると幸人に似ているが、自分が死にかけたとき、幸人と将佑が並んだシルエットは最高に格好良かった。
「幸人と再婚するんですね?おめでとうございます」
「はい!」
幸人は離婚した事実を忘れている。陽菜が『自分が勝手に逆ギレして離婚した』と説明したときは、ゾンビになった顔以上に驚いていたという。
「婚姻届にもサインもらいました!これでもう出してきちゃおうかなって思います」
幸人には松之原タワーで起きたことを話すべきなのか、それとも話さないべきか。陽菜にはわからない。話さなくても、ネットニュースや事件解説系YouTuberが投稿している動画、奥田幸人と稲田将佑の名前はどれを見ても出ている。
「俺から話しましょうか?」
「いえ、私から話します……あと、もう未来を見る必要もないことも……」
今後のことで話し合う2人だが、その姿を眺める影があった。
大河原病院 廊下 8:55
2人の会話を聞いているのは、あの栗原正明だ。幸人が事件を忘れたことをいいことに、手抜き工事の事実を全て隠蔽しようとしている。しかし、横に大きい身体は隠しきれるはずもなく、自分の存在が将佑にバレてしまう。
ギロッ……
「……!」
睨まれた奴は他の患者を跳ね除けて逃亡を図る!だがベテラン消防士を前に逃げ切れるはずもなく——
ガシッ……!
「うわぁ~!離せ!私のスーツがシワになるだろ!」
「ほう……残念だが新しいスーツも買えなくなりそうだぞ……?」
実を言えば栗原は、バックドラフトを回避すべく幸人に腹を蹴られたことにより、肋の一部が少し折れている(CASE2参照)。
「ちょっとこっち来てもらおうか!」
「おい引っ張るな……!痛え……!」
襟を掴まれた奴はそのまま病院の外へ出されていく。
大河原病院 庭園 9:03
ドサッ……!
「うわっ……!貴様……消防士がこんなことしていいと思ってんのか……!?」
「よくないだろうな!けどな、俺はあんたを……殴りたいくらい怒ってんだわ」
幸人が覚えていないなら、今手抜き工事をリークできるのは将佑しかいない。
「あんたの考えていることくらいわかんだよ……あんた幸人に助けてもらっておきながら、あいつが忘れたから俺は無実だって言いたいんだろ」
たとえ幸人の記憶にはなくても、手抜き工事の実態を裏づける決定的な証拠がある。それは——
「これが何かわかるか?」
「何だそれ……メモ帳か?」
彼がポケットから出したのは少し血が滲んでいる1冊のメモ帳。『松之原タワーの色々』と書かれている。栗原正明が建設の第一責任者であることは誰もが知っている。気になる中身は、防災設備の不具合、耐震構造の欠陥、建物を支える支柱の強度不足。手抜き工事の実態が幸人の直筆でこと細かに書かれている。
「くっ……!それを渡せ……!」
「渡してもな……既に警察の調査は入っているぞ。百瀬さんっていう少し頑固な刑事さんがいてね……幸人のメモ帳を見たら躍起になって捜査に行ったぞ」
「何だと……もう捜査が進んでんのか……!?」
「だからねえ……あんたもう詰んでんの……終わりなんだよ」
ドサッ……
栗原は絶望的な状況に膝をついて崩れた。確かに栗原正明の金にまみれた華やかな人生は終わりだ。だが——
ドスッ……!
「うわ……!?くそぉ……!クソ消防士が……」
「殴ったのが俺でよかったな?幸人ならあんた……もっとヤベエことになってたかもしれんからな……」
人を守る仕事をしている身として大人気ないことはわかっていたが、今回ばかりは我慢できなかった。栗原の欠陥建築のせいで多くの命が失いかけただけでなく、自分自身も何度も死にかけた。幸人が未来察知を限界まで使ってしまった。
「ああそうだ……そろそろ来るはずだぞ?」
「誰がだよ?警察か……!?」
彼は後ろの方へ向くと——
パンパン……
「来ていいぞ!」
彼が拍手をして号令のように声をかける。声に続いて現れたのは、陽菜に支えられながら歩く幸人だった。マスクをして顔を隠している。事件のときとは比べものにならないほどに弱っている幸人を見て妙な面持ちをしている。幸人には事情を説明してある。もちろんタワー崩壊の全容までは話していないが、『未来察知を使って必死になって救出した』の一部だけ。
パサッ……
隠していた顔が明らかになる。
「う……うわぁ~……!?何だこいつ……バケモノだったのかぁ!?」
陽菜は今にも殴りかかりたい気持ちに押し潰されそうだ。拳を握りすぎてつけ爪が割れる。
「いいか……幸人はな、自分がどんな姿になろうと、どんなに変わり果てようと、皆を守りたいって意志だけで多くの命を救ったんだ。それであんたは何だ……?建てちまったらもう知らない……工事代金もらってラッキー!ってか?」
「クソ……もう何なんだよ……!?私ばっかりこんな……!」
奴はずっとうろたえているが、背後から静かに迫ってくる人影が——
カチッ……
「何……!?」
栗原の両手に手錠がかけられる。手錠をかけたのは百瀬優平。
「栗原正明。建築基準法違反および業務上過失傷害などの容疑で逮捕する」
「ク……クソぉ……!」
奴は重い身体を引っ張られながらパトカーに乗せられた。あとの問題は松原朋子への補償金や損害賠償などを払わせることか。百瀬はパトカーに乗る前に幸人のもとへ歩み寄ると——
「……」
「……」
幸人の顔を見て驚いていないわけではないが、好きになれない可愛い後輩を前に——
「……ゆっくり休め!」
それだけ言って早歩きで去っていった。
2028年1月13日。
大河原病院 総合受付・出口 11:36
「お世話になりました……」
「いえいえ!お大事にどうぞ!」
この日は幸人の退院日。幸い彼のゾンビ化した顔は少しだけ回復し、マスクをしていればほとんど気にならないだろう。赤い左目は戻らなそうだ。
「幸人!」
「おお……将佑」
「退院おめでとう!あっ……紹介するな。妻と、娘の芽衣奈だ」
「こんにちは!」
「おお!元気のいい子だな?」
「本当だよ。最近は俺よりも足が速くてな!保育園じゃいつも1等賞なんだ」
小さい女の子が幸人の顔を見ても気にしていない。彼は少しだけ安堵した。ようやく人並みの生活ができるかもしれない兆しが見えてきた。1年間の記憶を失くして顔の一部がゾンビ化。この程度ではこの先の人生、ずっと暗いまま終わる理由にはならない。大切なのは未来を見るのではなく、見えないのなら自分で創ればいい。だが不思議だ。どうして将佑のことを一目見ただけで『親友』と認識したのか。
「幸兄ちゃん!芽衣奈ね、これからパパとママと一緒にお肉食べに行くの!」
「お肉か!芽衣奈ちゃんもいっぱい食べて、大きくならないとな!」
「またな幸人!今度一緒に飲みに行こうぜ?」
「そうだな」
「じゃあな!」
将佑たち家族は退院の挨拶を終えると、最後に飲みの約束をしてその場をあとにした。陽菜は背中に向けて一礼をする中、彼は——
スッ……
一礼ではなく、自然と敬礼をしていた。
湾岸矯正センター 面会室 13:43
ガチャ……コツ……コツ……
「幸人……」
幸人と陽菜は逮捕された英介の面会に行っていた。幸人は英介が逮捕された理由を覚えていない。すると——
ポタ……ポタ……
「英介?何で急に泣いてんだ……?」
「何で……何でお前が忘れちまうんだよ……!俺は一生お前に恨まれる覚悟でいたんだよ……!」
妹の治療費を稼ぐためとはいえ、英介は金で雇われたテロリスト。最後の最後まで幸人に助けられた英介にとって、幸人が直接事件を覚えていない事実は死にたいくらい辛い。
「確かに俺は、英介がどうして逮捕されたかは知らない。メモを見てビックリもした……でも、お前も被害者であることに変わりはない……」
彼は至って冷静な表情で、メモを見ながら親友に語りかける。
「どういうわけか、俺に義援金とか寄付が集まったんだ……妹ちゃんの治療費は俺が払う」
「……!?何言ってんだよお前!?俺は幸人のこと騙したんだぞ!タワーを壊しちまったんだぞ……!」
英介は理解できなかった。奥田幸人はどうしてこんなにもお人好しなのか。それでも幸人の目は許しているようには見えない。真っ赤な目が永久凍土のように冷たい。だがテロ行為を引き起こしたとはいえ、何も報われないのはさすがに酷だ。一つだけ言えることは、英介の妹を救うのは、あくまで英介の想いを叶えたいだけではない。金があるなら、救える命を救いたい。それだけ。
「3日後に手術だそうだ……やっぱり、長い治療にはなるかもしれない……それだけは覚えていてくれ。俺が忘れる前に……」
「幸人……!うぅ……うわぁ~……!」
「物忘れが酷い親友で悪かったな……」
彼のその一言で英介は立てないくらい泣き崩れた。それでも、もう一つ伝えなければいけないことがある。
「芹香さんから伝言だ。あなたの帰りを待っているわ……だそうだ。だから……しっかり罪を償って、お前自身の未来を創れ!」
確かに今は辛かったり、心が折れそうなときが多いかもしれない。だがそれだけではこの先の未来が暗いとは断言できない。だからこそ生まれるもの。それは無限の可能性だ。未来を変えるという意味は、そういうことかもしれない。
「風邪引くなよ……また来るからな……」
「幸人……」
誰だって生きている限り、未来は続いていく。それだけは、忘れてはならない。
2028年1月14日。
奥田宅 16:28
再び夫婦になった奥田幸人と奥田陽菜は、洗濯と掃除を終えるとソファに座りながら何かのネット記事を見ていた。そこには『松之原タワー爆破テロの真相!多くの命を救った奥田幸人と稲田将佑のすべて!』と書かれている。すっかりネット社会ではヒーローと謳われている。陽菜はゆっくり、記事と幸人が書いたメモを見せながら事件の全てを読み聞かせしている。
「そうか……俺がそんなことを……」
「私も松之原タワーの被災者だったからさ……私は一生忘れられないわ……」
まさか12月24日に起きた事件。たった1日で1年間の記憶を失ってしまったとは……最初こそ驚いていたが、元々吸収が早い彼はすぐに理解した。それと同時に、未来察知能力の代償を身をもって理解した。
「あなたは稲田さんと一緒に、沢山の人を助けたのよ。誰よりも優しい……あなたが」
「……」
「だからさ、あなたはもう……未来を見る必要はないわ……私と一緒に創っていこう?」
「陽菜と、未来を……?」
「そうよ!これからは私が傍にいるわ!だから未来はもう見ないって、約束して?」
陽菜が傍にいるのなら、未来はもう見なくていい。自分は便利な能力に甘えた結果、自分の身を滅ぼす手前まで迫っていた。見えない未来だからこそ、創れる未来には無限の可能性が広がっている。陽菜がいれば、きっと大丈夫だ!
「よし……!じゃあ焼肉の食べ放題行こっか!あなたが行きたいって言ってた!」
「焼肉……いいな!今日はいっぱい食って飲みたいな!」
「うん!今日は私の奢りだからさ!さあさあ早く着替えて行こっ!」
「賛成だ……!」
未来がどうなるかわからないからこそ、自分の足で歩いて行く。そこに見えなかった、未来があるはずだから。
2028年1月14日。奥田幸人と奥田陽菜の未来は、これからも続く。幸人と将佑が救った命も、託した想いも、それぞれの明日へ歩き出していた。
True Ending 完