アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
「朝?」
「誰もいない早朝に、ここに来ると……静かで、音がない」

 短い言葉だった。それでも彼が言うと味わい深いものがある。

「音楽家なのに、音がないのが好きなんですか」
「音があるから、音のない場所が好きになる」

 紬希は、その言葉をゆっくり噛み締めた。

 ――音があるから、音のない場所が好き……なんだ。

「奏さんって、詩人ですね」
「ばかにしているのか」
「してないです。素敵だな、って」

 奏が、視線を池から紬希に移す。
 夕暮れの光の中で、その目が柔らかい。

 ――こんな風に、恥じらう姿を見られるなんてな。

 紬希は、彼から目が離せずにいた。
 奏も、紬希への視線を外さない。
 風が吹いて、水面が揺れ、ちいさな音が生まれる。
 ……やがて奏が、静かに口をひらく。

「寒くなる……ホテルに帰るぞ」

 繋いだ手は、まだ離れていない。
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