アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
初めて見るものを、全部吸い込もうとするようなおおきな琥珀色の瞳。
輝きに満ちた双眸が、音の余韻を味わう夜の姿と重なった。
ウィーンで、自分が崩れたときも、紬希は何も言わないで、ただ、隣にいた。
縋るように掴んだ腕を、振り払うこともなかった。
――……俺は。
感情を信じることをやめたはずだった。
合理的に考えれば、傷つかない。
そう決めていたのに。
「少しだけ近くなった気がする、か」
ウィーンのバーで彼女に言われた言葉が、離れない。
――俺もそう思っていた。そう思っていたくせに、言葉にできなかったんだ。
代わりに「トロイメライを」と言って、その場を誤魔化してしまった。……情けない。
奏は、小さく息を吐く。言いたかったことは、それじゃない。帰ったら、もっとそばにいてほしい。もっと彼女の音を聴いてみたい。
紬希がいると――音が、変わる。そのどれも、言えなかった。
――契約が、終わる日は……。
まだ先のことだというのに、考えたくなかった。
グラスを持つ手が、わずかに止まる。奏は、それに気づかないふりをしてカクテルを呷る。
それでも……胸の奥で、鈍く痛む何かが生まれていることに、気づいていた。