あと30日で、他人に戻るふたり
食べるのが遅い私は、大地さんが二杯目のカレーを食べ終わるくらいにちょうどお皿が空になった。


満腹で動けない私の隣で、彼がシャツを羽織り直して鞄を持つ。

「帰りは遅くなると思うから、先に寝てて」

「はい。気をつけて」


名残惜しさを、ここで見せちゃいけない。
淡々と送り出すみたいな声を、なるべく意識する。

「いってらっしゃい」

見送るのも違う、と思って座ったままそう言うと、大地さんが一度だけこちらを振り返った。

「……おやすみ」

そう言い残してリビングのドアがバタンと締められる。



リビングが、しんと静かになる。

ついさっきまで笑い声とテレビの音が混ざっていたのに、急に部屋が広く感じた。


テーブルの上には、食べ終わったカレーのお皿。
キッチンには、空になった鍋。


……変だな。

今までだって、呼び出しはあったし。
ひとりで過ごす夜も何回もあったはずだ。

むしろ、本来なら一人暮らししていたわけで。
この静かな部屋が、この部屋の“本来の姿”なのに。


私はぼんやりした頭のまま、テーブルの上に置かれたままの彼のスマホを見つめる。


「───えっ!」

仕事に向かったはずなのに、スマホだけがここに残されていた。

一瞬、頭が真っ白になる。


「ちょ、待って……!」

こんなの、仕事にならないじゃん。


私は慌ててスマホをつかみ、そのまま玄関へ飛び出した。
エレベーターのボタンを何度も押す。


……遅い! こんな時だけ、なんでこんなに遅いの?
やっと開いた扉に飛び乗って、一階へ降りる。

けれど。

マンションのエントランスを出た時には、もうそこに大地さんの姿はなかった。

昼間の熱を残した夜風だけが、静かに通り抜けていく。


「……もう、いない」


私はスマホを抱えたまま、小さく息を吐いた。


……いつも暇さえあればいじっていたスマホを置いていくなんて。
少し前の大地さんなら、絶対になかった。

仕事の連絡はすぐ返していたし、呼び出しがあれば誰より早く動いていた。


それなのに今日は、カレーを食べて。 テレビを見て。 笑って。
スマホが鳴っても、すぐには立ち上がらなかった。

───まるで、“帰る場所”の方が大事みたいに。


そこまで考えて、私は小さく首を振る。


「……なに考えてるんだろ、私」


夜風が、火照った頬を少しだけ冷ましていった。




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