あと30日で、他人に戻るふたり
「穂村さんの仕事は?ないの、リモート」

キーボードの打鍵音が軽快に鳴っている。

リビングに出てきた私に思いっきり視線を向けているのに、指は正確にタイピングされているようだ。

「今どきこういうの普通でしょ」

「うちはないです。出社しないとできない仕事なんで」

「開発だもんね、めんどくさそう」


悪気のない“めんどくさそう”が、朝イチで刺さる。

「……まあ、楽ではないですね」

軽く返して、そのままバッグを手に取った。
もうこれ以上話しても、たぶん平行線だ。


リビングを出て玄関へ向かいながら、ふと足を止める。

……なんだろう。
なにか、言い忘れているような。

一瞬だけ迷って、振り返った。


「……行ってきます」

自分でも少しだけ早いと思った。
まだ靴も履いていないのに。


すると、少し間を置いてから

「…いってらっしゃい」

という、いつもと同じような、なんでもない声。

なのに、それを聞いた瞬間、少しだけ胸の奥が落ち着いた気がした。


「……よし」


パンプスを履いて、今度こそ玄関のドアを開けた。




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