恋から逃げるのには理由(わけ)があって
――現在。

スマホの画面は、まだ光っていた。

動画の中で、太陽はインタビュアーに向かって穏やかに話している。

『乗馬も、フェンシングも、ダンスも、マナーも、語学も、最初は全部そのためでした。王子様役を取るために必要だと思ったので。世界で選ばれる俳優にならないと、その役には届かないと思っていました』

私はスマホを持つ手に力を込めた。

乗馬。
フェンシング。
ダンス。
語学。
マナー。

理想の男の履修科目、重すぎる。

動画の中の太陽は続けた。

『本物にはなれません。でも、役ならなれる。彼女が信じてくれるくらいの王子様になれたら、それでいいと思っていました』

彼女。

その言葉に、心臓が嫌な音を立てた。

画面の向こうでは、インタビュアーがロマンチックですね、と笑っている。コメント欄もきっと大騒ぎだろう。尊い、初恋、純愛、理想の男。世界中の誰かが、そういう綺麗な言葉でこの話を包む。

でも私は、あの病室を知っている。

冷たい廊下。
消毒液の匂い。
春までは難しい、という声。
ベッドに横たわった太陽。
それでも、私の冗談に未来を見ようとする目。

彼は、ただ王子様に憧れたわけじゃない。
たぶん、生き延びた先に置く目印が必要だったのだ。

『大きくなったら迎えに来て』

私が軽く言ったその言葉を、太陽は15年かけて叶えに来た。

だから、あの夜、王子姿だったのか。
仕事の衣装だからじゃない。
いや、仕事の衣装ではあった。けれどそれだけじゃない。

王子様になって、迎えに来る。

本当に、そのつもりだったのだ。

「……バグじゃん」

私は声に出していた。

理想の男は、やりすぎるとバグになる。
優しい。強い。顔がいい。料理ができる。荷物を持つ。距離を取る。約束を覚えている。世界で通用する。王子様の所作まで完備。

ひとつひとつは、少女漫画なら拍手喝采の属性だ。
でも15年前の病室で子どもが冗談半分に言った理想を、全部本当に装備して玄関前に現れるのは、属性過多でシステムエラーである。

怖い。

ただの怖さじゃなかった。

私が傷つけたかもしれない怖さ。
私の一言が、彼の人生を縛ったかもしれない怖さ。
そして、それを知ってもなお、胸のどこかが震えてしまう怖さ。

あの子は死にかけていた。
それでも約束をした。
生き延びて、努力して、世界の向こう側まで行って、王子様役をつかんで、私の前に帰ってきた。
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