恋から逃げるのには理由(わけ)があって
太陽はしばらく黙っていた。
その沈黙が怖くなって、私は慌てて付け足した。

「でもハードル高いよ。馬の管理も大変だし。あと王子様って、たぶん礼儀作法とかすごいし。私だったら三日で逃げる」

「向日葵が逃げるの?」

「うん。お城広そうだし、迷子になる」

太陽は、少しだけ笑った。

それから、静かに言った。

「俺、王子様になれるかな」

胸が詰まった。

ベッドの上の太陽は、痩せていて、点滴につながれていて、起き上がるだけでも苦しそうだった。
王子様どころか、病室の外へ出ることさえ許されていない。

でも、その目だけはまっすぐだった。

私は笑った。
笑うしかなかった。

「太陽くんは名前がもう光属性だからね。かなり有利」

「光属性」

「うん。あとは白馬とマントと、かっこいい登場の練習かな」

「練習したら、向日葵は好きになる?」

「えー、どうかなあ」

私はわざと考えるふりをした。
本当は、喉の奥が痛かった。

「じゃあ、大きくなって、本物の王子様みたいになって、迎えに来てくれたら考える」

大きくなって。

その言葉を、私はわざと明るく言った。
太陽に未来があると信じたかった。春までは難しいなんて言葉を、どこかへ追い払いたかった。

太陽は、細い指でシーツをつかんだ。

「約束?」

「うん、約束」

私は笑ってうなずいた。

冗談だった。
祈りだった。
子どもの私が、死を怖がる代わりに口にした、軽くて必死な嘘だった。

太陽は私を見て、かすかに笑った。

「じゃあ俺、王子様になる」

その日を境に、彼の病状は日に日に悪くなり、面会も許されなくなった――それが、私が彼に会えた最後の日だった。
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