有罪愛
「春佳は〝普通〟じゃなかった。あの女は自分の平和を保つために、春佳の人生を奪い続けた。あいつはお前に〝理想の娘〟を押しつけ、お前の望みを聞き入れなかった。春佳は『自分が産んだ子供なら、自分の望むように生きるべきだ』という考えのもと、飼育され家畜同然だ」

 ――家畜なんて酷い。

 あまりに忖度のない言い方をされて傷付いたが、兄だからこそこう言えたのだろう。

 春佳の家庭の話を聞こうとしなくなった友人たちも、心の底では似たような事を考えていたに違いない。

「家畜は用意された餌を食べ、安全な寝床で眠れる。でも自由はなく、外の世界がどうなっているか知らない。俺から見て春佳は世間知らずだと思うし、友達もそう感じていると思う」

 春佳は友人の反応を思いだし、小さく頷く。

 冬夜はなおも続ける。

「酷い場合、春佳は独身のまま、あの家で飼い殺されたかもしれない。それか、売られるも同然に、あの女が見つけた〝相手〟と結婚させられた可能性もある」

 あり得なくはない、と春佳は心の中で呟いた。

 以前なら『またお兄ちゃんが説教する』と思ったが、今はこんなにも胸に沁み入ってくる。

 冬夜の言う言葉をきついと感じる事もあったが、どんな形であれ彼はいつも正しい事を言っていた。

 逆を言えば、兄ほど自分を心配してくれている人はいない。

 そう思ったからこそ、春佳は尋ねた。

「……これからどうすればいい?」

 だが兄は安易な道を教えてくれなかった。

「俺は兄としてお前を助けて守る。でも春佳の人生を決めるつもりはない。ある程度の助言はするけど、春佳自身が学びながら実践していくしかない。それが自分の人生を生きるっていう事だ。……失敗しない人はいない。どれだけ恥を掻いたとしても、誰かを怒らせ、悲しませ、失望させても、俺はお前の家族としてずっと味方で居続ける。……だから、頑張れ」

「頑張れ」というありふれた応援を、こんなにも重く受け止めた事はない。

「……うん。……頑張る」

 春佳は人生の先輩からのメッセージを真摯に受け止め、頷いた。






 冬夜のマンションに避難した翌日、兄と一緒に病院に行った。

 顔の怪我は、頬の腫れと、口の中を切った事、鼻血を出した程度だ。

 だが冬夜は岩淵に治療費を請求すると言って、医者に診断書を書いてもらっていた。

 警察に被害届けを出そうと言われ、冬夜に付き添ってもらって警察署に向かうと、女性警察官が真摯に話を聞いてくれた。

 彼女は冬夜が出した名刺と、彼が撮った写真を見せると「暴力は良くないね」と溜め息をついたが、春佳の腫れた顔を見て静かな怒りを抱いていたようだった。

 今後、名刺をもとに岩淵に事情聴取をするらしく、その後なんらかの進展があったら教えてくれるそうだ。

 その後、いつまでも大学を休んでいられないので、マスクをして登校する事にし、なんとか日常を取り戻しつつある。

 千絵には事のあらましを軽く説明し、「家から出られたなら結果オーライなんじゃない?」と前向きなコメントをもらった。

 これからはもっと自分の意志を強く持って、人生を積極的に生きていこう。

 そう思っていたのだが――。




**




 八月下旬、母が精神科に入院した。

 直接的な原因は分からないが、精神的な発作を起こし、薬を大量に飲んで浴室で手首を切ったそうだ。

 階下の住人がずっと聞こえる水音に不信感を抱き、通報したのがきっかけだった。

 母は浴室でぐったりしているところを保護され、救急車で病院に運ばれた。

 薬を過剰摂取していたので胃洗浄を受け、手首の傷も神経を繋げる外科手術を施され、数日入院してから救急病院を退院した。

 だがそのあとは、精神科の主治医に言われて長期入院となったらしい。

「どうしよう、お兄ちゃん。私のせいだ」

 午前中、大学で連絡を受けた春佳は、真っ青になって仕事中の兄に連絡する。

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