有罪愛
(考えるのはあとだ。今はここから離れないと)

 頭の中は真っ白になり、何をどう理解すればいいのか分からない。

 ――犯罪者になる覚悟を持ってここに来たのに、あいつが自ら死んでくれた?

 まったくもって訳が分からないが、あいつが死んだのは事実だ。

 頭の中がグチャグチャなまま一階に着き、父親が落ちた所と反対方向に歩き始めた。

 大きな通りに出たあとに少し歩を緩め、何も考えないようにして駅に向かい、後楽園駅から丸ノ内線で東京駅に向かう。

 そのまま八重洲のバスターミナルから夜行バスに乗り、シートに身を沈めた。







 眠れないまま夜行バスに揺られ、途中のトイレ休憩では缶コーヒーを買って飲み、京都まで暗い車内を見つめたまま過ごした。

(この連休が終わって東京に戻れば、父親が突然自殺した事になる。母親も春佳も動揺し、悲しむだろう。俺は父親と反りが合わなくて家から出た事になっているし、それほど激しく悲しまなくても怪しまれないはずだ)

 自分が父親を殺した訳ではないのに、殺そうと思って実家へ向かったからか、凄まじい罪悪感がのしかかってくる。

(変装していたし誰にも見られていないはずだ。……仮に俺があの場にいたとバレて、嘘をついていたと知られても、俺は絶対に手を下していない)

 その事実だけが俺の心を守った。

 奇しくも、俺はずっと憎んでいた父親の最期の言葉と行動に守られたのだ。

(でも、どうして……)

 東京から離れるにつれ、少しずつ気持ちが冷静になっていく。

(なぜあいつはあっさり死んだ? もともと死ぬつもりだった? 生きている事を楽しんでいるようには見えなかったが、人生に絶望しているようにも見えなかった。……俺が二十六歳になったから? 三月? あれは何を言ってたんだ?)

 その時になって、ハッと最悪の事に思い至った。

 ――あいつ、遺書を残していないか?

 ――俺が連絡したあと、殺されると思って何か書き残していなかったか?

 ――それに、メールを削除するの忘れたじゃないか!

 思いついた瞬間、頭から血の気が引いていくのを感じる。

 思考停止した俺は乾いた唇を舐め、唾を嚥下して喉を潤す。

(今戻れば警察が駆けつけているだろう。そんな中、京都に行っているはずの俺が現れるなんて怪しすぎる。……いや、待て)

 そこまで考え、俺は親父に送ったメールの文面を思いだす。

 送ったあとすぐに削除したから正確には覚えていないが、『話があるから日曜日の夜は家にいてほしい』と、それだけだった気がする。

 なら、電話やメールでの連絡だったという意味でも通じないか?

(俺は妹の今後について、父親と〝相談〟したいと思っていた。旅行先という非日常の場所からなら、苦手な父親であっても普通に話せるかもしれないから、京都のホテルから連絡をするつもりでいた)

 そこまで考え、その先について思考を巡らせる。

(これから父親のスマホに着信履歴を残すのか?)

 それはあまりにリスクが高いように感じられた。

〝今〟実家に警察が駆けつけているとして、父親のスマホに京都にいる息子から電話があれば、十中八九警察が対応するだろう。

 そうしたら俺が一番に父親の死を知る事になり、京都のホテルからすぐ東京に戻らなければならなくなる。今、俺は夜行バスに乗っていて、京都に着くのは朝の六時頃。

 俺は京都のホテルにいると思われているから、すぐに行動したとしても――。

 そこでスマホを確認すると、時刻は二十二時過ぎだ。

(京都発の最終新幹線はすでに出ている。乗るとしたら明日の始発……なら六時台、遅くても七時や八時台。……きついな)

 今の自分が夜行バスの中でぐっすり眠れると思えないし、寝不足の状態で新幹線に乗って東京に着いたとして、警察と話した時、精神的なコンディションの悪さから絶対にボロを出しそうだ。

(……なら、いま父親に連絡しないほうが吉だ。『〝相談〟しようと思ったが、旅行が楽しくて忘れ、またの機会にと思った』なら、さほど疑われないだろう)

 そう思うと、気が楽になってきた。

 もしも俺が本当に父親を殺していたら、もっと動揺していただろう。

 あいつに庇われたようで悔しいが、直接手を下していない事実が、何より背中を後押ししてくれる。

「……畜生……」

 俺は小さく呟く。

 ずっと憎んでいて殺そうと思った相手に、最期に庇われるなんて――。

 ――悔しい。

 が、これで春佳と生きていけると思うと、未来への希望が持てる気持ちになった。

(……これでもう、安心していいのか?)

 自分に問いかけても、もう一人の俺はどう答えていいか考えあぐねている。

 誰がどう見ても、楽観視できないのは明らかだ。

「春佳……」

 俺はヘッドレストに頭を預け、声に出さずに妹の名前を呟く。


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