茫漠のヨルダン

第6話 聖書、アリババ、インディー・ジョーンズ -El Khazneh,Petra

 「絵葉書のような」という表現がある。だが、絵葉書とまったく同じものを目の前にしたとき、人はどのような言葉でその景色を呼ぶのだろう。

 僕は動けなかった。立ち止まったまま、前に進むことがしばらくできないでいた。眼前に展開する光景を理解するまでに少し時間が必要だったのだ。

 真っ先に浮かんだのは聖書のイメージだった。「光あれ、と神は言った。すると世界が生まれた」。続いて「アリババと40人の盗賊」を思い出した。「開け、ゴマ」。ようやく最後に映画「インディー・ジョーンズ/最後の聖戦」の宣伝用ポスターの記憶が蘇ってきた。

 漆黒の巨岩に挟まれて、殆ど光が射し込まない細く長い道。その縦一条に切り開かれた出口の先に、ほんの断片だけ姿を現す薔薇色の岩窟神殿。ペトラの至宝、エル・ハズネ。

 実際、それは下手なセットよりよほどセットらしかった。いかにもハリウッド的な、CGでも使っていそうなほど精緻に磨き上げられたイミテーション。わかりやすくも人工的な眺め。本物よりも本物っぽいハリボテ。

 シークの岩に触れてみる。硬く冷たい質感に「なぜ紙や木ではないのだろう」と考えてしまう。現実を現実として受け入れることができない。エジプトのピラミッドもインドのタージ・マハルも、ガイドブックの写真や紀行番組の映像と実物とは全然違った。ペトラは逆だ。エル・ハズネは本やテレビと寸分違わない。

 ここでは誰もがベストショットを撮ることができる。取り得る構図がひとつしかないからだ。逆に、腕に自信のあるカメラマンにとっては難しい被写体であるとも言える。その人ならではの個性を写し込むことができない。近寄ってみたり遠ざかってみたり、縦位置を斜めにしてみたり、いろいろ試してみたがファインダーから見えるものは一向に変わらない。気がつくと他のツアーメンバーはとっくにいなくなっていた。慌てて後を追う。

 エル・ハズネは崖を彫り抜いた神殿だ。中東の遺跡の多くが石積み、つまりゼロから加算する造り方であることを思えば、逆に原点からマイナスに向かっていくことになる。凹凸が逆なのだ。そのため見ていてどこか感覚がずれる。写真なのにネガのような、現実なのに鏡の中のような、そんな微妙な感じだ。

 巨大であることも感覚を狂わせる原因のひとつかもしれない。建造物部分は二階建てなのだが、その高さは30m。なんと七階建てのビルに相当する。近寄って見上げると一階の天井ははるか彼方、二階ともなるとあまりに上すぎてよく見えない。遠くからはマッチ棒のようだった円柱も直径が1mを優に超える。

 一階はさらに奥がくり抜かれて部屋になっていた。かつての霊廟らしい。真四角で何の変哲もない空間だがひんやりとして気持ちがいい。取り立てて見るべきものがあるわけではないのだが、灼熱の太陽を避けたいのは誰もみな同じ、一度入るとなかなか出る気にならない。シークと同じ瑪瑙模様の壁を愛でながら、しばしの休憩となった。

 外に出ると観光ラクダが待機していた。両脚を折り曲げ地べたに座っている。こぶとこぶの間に鮮やかな織物で出来た鞍を載せ、行儀よく客待ちをしている。

「皆さん、まだ大丈夫ですか。疲れたらタクシーもあるよ」

 なるほど。隊商の昔からラクダは砂漠の足だった。「ナバテア人のテーマパーク」ペトラにこれ以上ふさわしい乗り物はない。だが、こんなところで疲れてなどいられない。数ある演物の最初のひとつを見たばかりではないか。

 崖を背にした日陰に土産物の屋台が出ていた。人出が増え、狭い道が賑わい始める。陽射しの角度が立ってきた。ショータイムはまだこれからだ。
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