君だけの檻 ― “全部知りたい”は、愛じゃなくて支配だった ―
「私のスマホ、見ていい?」
優しい彼氏だと思ってた。
でもそれは、愛じゃなかった。
気づいたときには、逃げられなかった。
――そのときは、まだ“普通”だと思ってた。
🍀.*第1話🍀.*
「私のスマホ、見ていい?」
■~安心の中の違和感~
そのときは、何もおかしくなかった。
夕方。
少しだけオレンジ色に染まった部屋の中で、私たちはソファに並んで座っていた。
テレビはついているけど、内容なんてほとんど頭に入っていない。
それでも、こうして一緒に過ごす時間が、私は好きだった。
隣にいる彼は、リモコンを片手に、ゆるく笑っている。
「これ、ちょっと面白くない?」
軽い声。
何気ない問いかけ。
「うーん…まあまあかな」
私は小さく笑いながら答える。
こんなやり取りを、何度も繰り返してきた。
特別なことなんて何もない。
でも、それが“安心できる日常”だった。
彼は優しい。
少しだけ独占欲が強いところもあるけど、それも含めて“愛されている証拠”だと思っていた。
――そのときまでは。
「ねぇ」
不意に、彼がこちらを見た。
いつもと同じ、柔らかい視線。
「ん?」
私も自然に顔を向ける。
すると彼は、ほんの少しだけ笑って言った。
「スマホ貸して」
一瞬、意味が分からなかった。
「……え?」
間の抜けた声が出る。
彼はその反応を見て、くすっと小さく笑う。
「ちょっとだけ。見たいだけ」
あまりにも軽い言い方だった。
まるで、
“そんなの普通でしょ?”
って言われているみたいに。
私は手元のスマホを見る。
何もやましいことなんてない。
隠していることもない。
それなのに。
なぜか、胸の奥が少しだけざわついた。
「なんで…?」
聞くつもりはなかった。
でも、気づいたら口から出ていた。
彼は少しだけ首を傾けて、優しく言う。
「好きな子のこと、知りたいって思うの、変?」
その言い方が、あまりにも自然で。
否定する方が、間違っている気がしてしまう。
“恋人なら普通”
“隠し事がないなら見せられるはず”
そんな言葉が、頭の中に浮かんでくる。
彼は何も責めていない。
ただ、当たり前のことを言っているだけ。
そう思えば思うほど――
断る理由が、見つからなかった。
「……ちょっとだけだよ?」
気づけば、そう言っていた。
自分で選んだように見せかけて、
実際はもう選択肢なんてなかったのに。
「ありがと」
彼は嬉しそうに微笑んで、私の手からスマホを受け取る。
その仕草は、いつも通り優しくて。
だからこそ――
違和感に、名前をつけられなかった。
■~優しさのまま一線を越える~
彼は何の迷いもなく、スマホのロックを解除した。
指紋認証。
パスコード。
全部、彼は知っている。
それは“信頼している証拠”だと思っていた。
むしろ、嬉しいとさえ思っていたはずなのに。
――どうしてだろう。
今は少しだけ、落ち着かない。
彼の指が、画面の上を滑っていく。
トーク履歴。
連絡先。
アプリ。
ひとつひとつを、ゆっくり確認するみたいにスクロールしていく。
ただ見ているだけ。
それだけのはずなのに。
部屋の空気が、少しだけ重くなった気がした。
無言の時間が、やけに長く感じる。
テレビの音が、遠くに聞こえる。
「……あ」
小さな声。
その一言で、心臓が強く跳ねた。
彼の指が、ある名前の上で止まっている。
「これ、誰?」
振り向きもせず、画面を見たまま聞いてくる。
声は穏やかで、いつも通り。
責めているわけでも、怒っているわけでもない。
それなのに。
逃げられない、と思った。
「えっと…高校のときの友達で…」
説明しながら、自分でも分かる。
言い訳みたいな口調になっていることに。
「へぇ」
彼は軽く相槌を打つ。
そのまま、数秒間、画面を見つめる。
たったそれだけの時間なのに、息が詰まりそうになる。
「男だよね?」
やっぱり来た。
そう思った。
「……うん」
小さく頷くしかなかった。
否定できる理由はないし、隠す必要もない。
なのに――
なぜか、怖かった。
少しの沈黙のあと、彼はふっと笑った。
「そっか」
安心したような顔。
それで終わると思った。
本当に、そう思ったのに。
「じゃあ、消そっか」
頭の中が、一瞬で真っ白になる。
「……え?」
反応が遅れる。
彼は当たり前みたいに続ける。
「連絡先。もういらないでしょ?」
その言葉は、あまりにも自然だった。
正しいことを言っているように聞こえるくらいに。
でも。
何かがおかしい。
「でも…」
言葉が続かない。
何が引っかかっているのか、自分でも分からない。
彼は怒らない。
責めない。
ただ、静かに私を見つめている。
「ねぇ」
名前を呼ばれる。
それだけで、体が強張る。
「どっちが大事?」
優しい声だった。
でも、その優しさの奥にあるものを、私は感じてしまった。
「俺?」
「それとも、その男?」
選ばせているようで。
答えは、ひとつしかない問い。
喉が乾く。
息が浅くなる。
それでも、答えなきゃいけない。
「……あなた」
やっとの思いで、そう言った。
その瞬間、彼は満足そうに微笑んだ。
「ありがと」
そして――
何の躊躇もなく、その連絡先を削除した。
画面から、名前が消える。
それはただのデータのはずなのに。
取り戻せないものを、一つ失った気がした。
■~違和感→息苦しさ~
「これで安心した」
彼はそう言って、スマホを私に返した。
まるで、何事もなかったみたいに。
さっきまでの出来事が、
ただの“日常の一コマ”だったかのように。
私はスマホを受け取る。
画面を、見ないまま。
「ほら」
そのまま、ぐっと腕を引かれる。
バランスを崩して、彼の方へ倒れ込む。
気づけば、いつもと同じ距離。
いつもと同じ、腕の中。
「好きだよ」
耳元で、優しく囁かれる。
その声は、さっきと何も変わらない。
あたたかくて、安心できる声。
――のはずなのに。
なぜか。
ほんの少しだけ。
息が、しづらい。
「ねぇ」
彼が、静かに続ける。
「これでさ」
少しだけ間があく。
その“間”が、妙に長く感じた。
「余計な心配、しなくていいでしょ?」
心配。
誰の?
何の?
分からない。
でも、その問いに対して。
“分からない”と答えることは、許されない気がした。
「……うん」
小さく頷く。
それが正解だと分かっているから。
彼は満足そうに微笑んで、もう一度私を抱きしめる。
「大丈夫」
優しい声。
優しい手。
優しい温度。
「俺が全部、守るから」
その言葉に、ほんの一瞬。
安心してしまった。
――それが、いけなかったのかもしれない。
ふと、手の中のスマホに視線を落とす。
さっきまであった名前が、そこにはもうない。
ただ、それだけのこと。
ただの連絡先。
それなのに。
胸の奥が、少しだけ、きゅっと痛む。
取り戻せない気がした。
何を失ったのかは、分からない。
でも、“何か”が消えたことだけは、分かる。
――でも。
それを“おかしい”と思うこと自体が、間違っている気がした。
だって彼は、優しいから。
私のことを、大切にしてくれているから。
そう考えれば考えるほど。
違和感に、ふたをする理由が増えていく。
考えるのを、やめた。
彼の腕の中にいれば。
それでいい気がした。
――そのときの私は、まだ知らなかった。
これが。
ただの出来事じゃなくて。
“始まり”だったということを。
■第1話 完。
🍀.*第2話🍀.*
「返事、なんで遅いの?」
数分、返さなかっただけだった。
それだけなのに、責められている気がした。
このとき、まだ“普通”だと思ってた。
🍀.*第2話🍀.*
「返事、なんで遅いの?」
■~日常の中の違和感~
――ピコン
静かな部屋に、小さな通知音が響いた。
私は何気なくスマホに手を伸ばす。
画面に表示されていたのは、彼の名前だった。
『何してる?』
短い一文。
いつも通りのメッセージ。
さっきまで一緒にいたばかりなのに、と思いながら、私は自然と返信を打つ。
『家だよ』
送信。
すぐに既読がつく。
……でも、返信は来ない。
「まあ、いっか」
小さく呟いて、スマホをテーブルに置いた。
本当に、ただそれだけのことだった。
ほんの数分。
それだけのはずなのに――
――ピコン
もう一度、通知が鳴る。
私は再びスマホを手に取った。
『さっきの、なんで遅かったの?』
指が止まる。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
遅い?
さっきのメッセージから、まだ数分しか経っていない。
それでも。
なぜか、胸の奥がざわついた。
『ごめん、気づくの少し遅れた』
そう打って、すぐに送信する。
既読。
間を置かずに、次のメッセージが届く。
『そっか』
たった一言。
それだけなのに。
なぜか、少しだけ。
責められている気がした。
⬛︎~監視が始まる~
それから。
ほんの少しだけ。
やり取りが増えた。
『今なにしてる?』
『どこにいるの?』
『誰かといる?』
最初は、全部答えていた。
だって。
心配してくれているだけだと思ったから。
彼は優しいし、私のことを大事にしてくれている。
それに、隠すことなんて何もない。
――そう思っていた。
でも。
ある日。
『今なにしてる?』
そのメッセージに、すぐ気づけなかった。
ただそれだけ。
ほんの少し、手が離せなかっただけ。
数分後。
スマホを開いた瞬間――
『ねぇ』
『なんで返事ないの?』
『見てるよね?』
通知が並んでいた。
心臓が、一気に強く打ち始める。
「……っ」
急いで返信を打つ。
『ごめん、今気づいた』
送信。
既読。
数秒の沈黙。
そのあと。
『ふーん』
たった一言。
それだけなのに。
空気が、一気に冷たくなる。
『忙しかった?』
優しい言い方。
でも。
逃げ場がない。
『うん、ちょっとだけ』
そう返した瞬間。
『何してたの?』
すぐに返ってくる。
指が止まる。
ただの会話のはずなのに。
“説明しなきゃいけない”感じがする。
なぜか。
答えないといけない気がする。
■~日常の中の違和感~
――ピコン
静かな部屋に、小さな通知音が響いた。
私は何気なくスマホに手を伸ばす。
画面に表示されていたのは、彼の名前だった。
『何してる?』
短い一文。
いつも通りのメッセージ。
さっきまで一緒にいたばかりなのに、と思いながら、私は自然と返信を打つ。
『家だよ』
送信。
すぐに既読がつく。
……でも、返信は来ない。
「まあ、いっか」
小さく呟いて、スマホをテーブルに置いた。
本当に、ただそれだけのことだった。
ほんの数分。
それだけのはずなのに――
――ピコン
もう一度、通知が鳴る。
私は再びスマホを手に取った。
『さっきの、なんで遅かったの?』
指が止まる。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
遅い?
さっきのメッセージから、まだ数分しか経っていない。
それでも。
なぜか、胸の奥がざわついた。
『ごめん、気づくの少し遅れた』
そう打って、すぐに送信する。
既読。
間を置かずに、次のメッセージが届く。
『そっか』
たった一言。
それだけなのに。
なぜか、少しだけ。
責められている気がした。
■~監視が始まる~
それから。
ほんの少しだけ。
やり取りが増えた。
『今なにしてる?』
『どこにいるの?』
『誰かといる?』
最初は、全部答えていた。
だって。
心配してくれているだけだと思ったから。
彼は優しいし、私のことを大事にしてくれている。
それに、隠すことなんて何もない。
――そう思っていた。
でも。
ある日。
『今なにしてる?』
そのメッセージに、すぐ気づけなかった。
ただそれだけ。
ほんの少し、手が離せなかっただけ。
数分後。
スマホを開いた瞬間――
『ねぇ』
『なんで返事ないの?』
『見てるよね?』
通知が並んでいた。
心臓が、一気に強く打ち始める。
「……っ」
急いで返信を打つ。
『ごめん、今気づいた』
送信。
既読。
数秒の沈黙。
そのあと。
『ふーん』
たった一言。
それだけなのに。
空気が、一気に冷たくなる。
『忙しかった?』
優しい言い方。
でも。
逃げ場がない。
『うん、ちょっとだけ』
そう返した瞬間。
『何してたの?』
すぐに返ってくる。
指が止まる。
ただの会話のはずなのに。
“説明しなきゃいけない”感じがする。
なぜか。
答えないといけない気がする。
■~監視→感情固定~
――プルルル
突然、スマホが震えた。
画面を見ると、彼からの着信。
少しだけ、息が止まる。
……出なきゃ。
そう思って、指で通話ボタンを押した。
「……もしもし」
自分でも分かるくらい、声が小さかった。
『今日さ』
彼の声は、いつも通り優しい。
それなのに。
どこか、逃げられない感じがする。
『ちょっと寂しかった』
その一言で。
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「……ごめん」
気づけば、そう言っていた。
『ううん、いいよ』
すぐに返ってくる。
やわらかい声。
責めているわけじゃない。
でも――
『たださ』
少しだけ間があく。
その“間”に、呼吸が浅くなる。
『ちゃんと返してほしいなって思っただけ』
優しい言い方。
なのに。
否定できない。
「うん……」
小さく頷く。
電話越しなのに、なぜかそうしてしまう。
『俺さ』
彼が続ける。
『君のこと考えてる時間、長いし』
言葉が、重くなる。
『だからさ』
少しだけ声が近づく。
『同じくらい、大事にしてほしい』
――断れない。
それは、お願いじゃなくて。
ほとんど、答えが決まっている問いだった。
「……うん」
そう答えるしかなかった。
『よかった』
彼が、安心したように笑う。
その声を聞いた瞬間。
少しだけ、ほっとしてしまう自分がいる。
『だってさ』
そのまま、彼が続ける。
『ちゃんと見てたいから』
その言葉に。
胸の奥が、ざわっとする。
“見てたい”
その意味が。
少しずつ、変わってきている気がした。
通話が切れる。
部屋の中に、静けさが戻る。
私はスマホを握ったまま、しばらく動けなかった。
――ピコン
また、通知が鳴る。
画面を見る。
『おやすみ』
短い一言。
いつも通りのはずなのに。
今日は、少しだけ違って見えた。
「……おやすみ」
小さく呟く。
誰に聞かせるでもなく。
そのままスマホを胸に抱える。
さっきまで感じていた緊張が、少しずつほどけていく。
でも。
同時に。
別の感覚が、残っていた。
――ちゃんと返さなきゃ。
――すぐに気づかなきゃ。
――待たせちゃダメ。
そうやって。
自分の中に、ルールが増えていく。
誰に言われたわけでもないのに。
勝手に、作られていく。
ベッドに横になる。
天井を見つめながら、ぼんやりと考える。
さっきの会話。
彼の声。
言葉。
表情。
どれも優しかったはずなのに。
なぜか、頭から離れない。
息を吸う。
ゆっくり吐く。
それでも。
ほんの少しだけ。
胸が苦しい。
――また。
少しだけ。
息がしづらくなった。
■第2話 完。
🍀.*第3話🍀.*
「居場所、全部わかるようにしよ?」
「居場所、全部わかるようにしよ?」
「安心したいだけ」って言われた。
それが、こんな意味だとは思わなかった。
このとき、まだ引き返せたはずだった。
■~違和感→提案~
最近。
ほんの少しだけ。
スマホを見る回数が増えた。
――ピコン
通知が鳴るたびに、
体が勝手に反応する。
『今なにしてる?』
画面に浮かぶ彼の名前。
私はすぐに指を動かす。
『外だよ』
送信。
既読。
それだけで、少しだけ安心する。
――おかしい。
そう思うのに。
やめられない。
---
その日の夜。
私はいつものように彼の部屋にいた。
ソファに座って、特に会話もなく、同じ空間にいるだけの時間。
それだけで落ち着くはずなのに。
今日は少しだけ、落ち着かない。
「ねぇ」
彼が、ふいに声をかけた。
「ん?」
顔を向けると、彼はスマホをこちらに向けていた。
「これ、オンにしよ?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
画面を見る。
そこに表示されていたのは――
位置情報の共有画面だった。
「……え?」
思わず声が漏れる。
「なんで…?」
喉が、少しだけ乾く。
彼は、軽く笑った。
「安心したいだけ」
その言い方は、あまりにも自然で。
まるで、それが正しい理由みたいに聞こえる。
「ほら、最近物騒だし」
「何かあったらすぐ行けるでしょ?」
“守るため”。
その言葉に、少しだけ納得しそうになる。
でも。
どこか、引っかかる。
「でも…」
言葉が、続かない。
“ずっと見られるのは嫌”
そう思ったはずなのに。
うまく言えない。
すると彼は、ほんの少しだけ首を傾けて言った。
「見られるっていうかさ」
優しい声。
「共有だよ?」
その一言で。
またひとつ、断る理由が消える。
■~見える監視~
「俺も見せるし」
彼はそう言って、自分のスマホを差し出した。
画面には、位置情報がオンになっている表示。
確かに、彼の現在地が見える。
「ね?」
軽く笑う。
「フェアでしょ?」
――ずるい。
そう思った。
“自分も見せるから”という言い方。
それだけで、断る理由が消えてしまう。
「それに」
彼が少しだけ距離を詰めてくる。
「隠す必要、ある?」
その言葉で。
完全に、言葉を失った。
隠すことなんて、何もない。
それは本当だ。
でも――
見られたくない気持ちは、確かにある。
それを、どう説明すればいいのか分からない。
「……ない、けど」
気づけば、そう答えていた。
その瞬間。
彼は迷いなく、画面に触れる。
「じゃあいいよね」
タップ。
“位置情報を共有しました”
小さな表示が、画面に浮かぶ。
それだけのこと。
たったそれだけのことなのに。
胸の奥が、少しだけ冷たくなる。
---
その日から。
“見られている”感覚が、消えなくなった。
---
――ピコン
『今、ここ?』
スマホを開く。
送られてきたのは、地図のスクリーンショット。
そこには。
今いる場所に、ピンが刺さっていた。
「……」
息が止まる。
『うん、そうだよ』
なんとか返信する。
既読。
すぐに返ってくる。
『なんでそこ?』
ただのコンビニ。
それだけのはずなのに。
説明しなきゃいけない気がする。
『ちょっと買い物』
数秒の沈黙。
『ふーん』
短い返事。
それだけなのに。
“正解だった”と感じてしまう。
---
別の日。
友達と歩いていたとき。
スマホが震えた。
『その隣、誰?』
足が止まる。
思わず、周りを見渡す。
でも――
いない。
彼は、ここにいない。
なのに。
見られている。
「……なんで」
小さく呟く。
『友達だよ』
震える指で送る。
既読。
すぐに返信。
『写真』
胸が、大きくざわつく。
「ごめん、ちょっとだけ…」
友達にそう言って、無理やり笑う。
スマホを向けて、写真を撮る。
送信。
数秒後。
『うん、ならいいや』
その一言で。
やっと、息ができる。
■~逃げ場ゼロの自覚~
夜。
彼の部屋。
いつもと同じ場所。
いつもと同じ距離。
それなのに。
今日は少しだけ、空気が違う気がした。
「ねぇ」
彼が、楽しそうな声で言う。
「これ見て」
スマホを差し出される。
画面に表示されていたのは――
私の行動履歴だった。
「……え?」
思わず声が漏れる。
地図の上に、細かく残された線。
どこに行って。
どれくらい滞在して。
何時に移動したか。
全部、分かるようになっている。
「すごいよね、これ」
彼は、嬉しそうに笑う。
まるで、新しいおもちゃを見せるみたいに。
「ちゃんと分かる」
その言葉に、背筋がぞくっとした。
“ちゃんと分かる”
何が?
どこまで?
考えようとすると、頭が重くなる。
「ねぇ」
彼が、少しだけ近づく。
逃げられない距離。
「変なとこ、行かないでね?」
優しい声だった。
いつもと同じ。
でも。
もう、分かってしまった。
これは。
心配じゃない。
――監視だ。
「俺さ」
彼が、耳元で静かに囁く。
「全部、知ってたいんだよね」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
息が、浅くなる。
逃げたい。
一瞬、そう思った。
でも。
どこに?
どうやって?
その答えが、どこにも見つからない。
スマホを握る手が、わずかに震える。
もう。
隠すこともできない。
逃げることもできない。
全部、見られている。
全部、知られている。
――だったら。
考えない方が、楽かもしれない。
そんな考えが、頭をよぎる。
「ほら」
彼が、優しく頭を撫でる。
「大丈夫」
あたたかい手。
安心する感触。
「俺が見てるから」
その言葉に。
ほんの少しだけ。
安心してしまった自分がいた。
――おかしいのに。
分かっているのに。
やめられない。
「ね?」
彼が、微笑む。
私は。
何も言えなかった。
ただ、小さく頷くだけ。
それが“正解”だと、分かってしまったから。
---
その夜。
一人でベッドに入っても。
頭の中に残っていたのは、あの地図だった。
線で囲まれた、自分の行動。
まるで。
見えない檻の中にいるみたいに。
自由に動いているはずなのに。
どこにも、逃げられない。
――気づいてしまった。
これはもう。
“ただの恋愛”じゃない。
でも。
どうすればいいのかは、分からなかった。
■第3話 完。
でもそれは、愛じゃなかった。
気づいたときには、逃げられなかった。
――そのときは、まだ“普通”だと思ってた。
🍀.*第1話🍀.*
「私のスマホ、見ていい?」
■~安心の中の違和感~
そのときは、何もおかしくなかった。
夕方。
少しだけオレンジ色に染まった部屋の中で、私たちはソファに並んで座っていた。
テレビはついているけど、内容なんてほとんど頭に入っていない。
それでも、こうして一緒に過ごす時間が、私は好きだった。
隣にいる彼は、リモコンを片手に、ゆるく笑っている。
「これ、ちょっと面白くない?」
軽い声。
何気ない問いかけ。
「うーん…まあまあかな」
私は小さく笑いながら答える。
こんなやり取りを、何度も繰り返してきた。
特別なことなんて何もない。
でも、それが“安心できる日常”だった。
彼は優しい。
少しだけ独占欲が強いところもあるけど、それも含めて“愛されている証拠”だと思っていた。
――そのときまでは。
「ねぇ」
不意に、彼がこちらを見た。
いつもと同じ、柔らかい視線。
「ん?」
私も自然に顔を向ける。
すると彼は、ほんの少しだけ笑って言った。
「スマホ貸して」
一瞬、意味が分からなかった。
「……え?」
間の抜けた声が出る。
彼はその反応を見て、くすっと小さく笑う。
「ちょっとだけ。見たいだけ」
あまりにも軽い言い方だった。
まるで、
“そんなの普通でしょ?”
って言われているみたいに。
私は手元のスマホを見る。
何もやましいことなんてない。
隠していることもない。
それなのに。
なぜか、胸の奥が少しだけざわついた。
「なんで…?」
聞くつもりはなかった。
でも、気づいたら口から出ていた。
彼は少しだけ首を傾けて、優しく言う。
「好きな子のこと、知りたいって思うの、変?」
その言い方が、あまりにも自然で。
否定する方が、間違っている気がしてしまう。
“恋人なら普通”
“隠し事がないなら見せられるはず”
そんな言葉が、頭の中に浮かんでくる。
彼は何も責めていない。
ただ、当たり前のことを言っているだけ。
そう思えば思うほど――
断る理由が、見つからなかった。
「……ちょっとだけだよ?」
気づけば、そう言っていた。
自分で選んだように見せかけて、
実際はもう選択肢なんてなかったのに。
「ありがと」
彼は嬉しそうに微笑んで、私の手からスマホを受け取る。
その仕草は、いつも通り優しくて。
だからこそ――
違和感に、名前をつけられなかった。
■~優しさのまま一線を越える~
彼は何の迷いもなく、スマホのロックを解除した。
指紋認証。
パスコード。
全部、彼は知っている。
それは“信頼している証拠”だと思っていた。
むしろ、嬉しいとさえ思っていたはずなのに。
――どうしてだろう。
今は少しだけ、落ち着かない。
彼の指が、画面の上を滑っていく。
トーク履歴。
連絡先。
アプリ。
ひとつひとつを、ゆっくり確認するみたいにスクロールしていく。
ただ見ているだけ。
それだけのはずなのに。
部屋の空気が、少しだけ重くなった気がした。
無言の時間が、やけに長く感じる。
テレビの音が、遠くに聞こえる。
「……あ」
小さな声。
その一言で、心臓が強く跳ねた。
彼の指が、ある名前の上で止まっている。
「これ、誰?」
振り向きもせず、画面を見たまま聞いてくる。
声は穏やかで、いつも通り。
責めているわけでも、怒っているわけでもない。
それなのに。
逃げられない、と思った。
「えっと…高校のときの友達で…」
説明しながら、自分でも分かる。
言い訳みたいな口調になっていることに。
「へぇ」
彼は軽く相槌を打つ。
そのまま、数秒間、画面を見つめる。
たったそれだけの時間なのに、息が詰まりそうになる。
「男だよね?」
やっぱり来た。
そう思った。
「……うん」
小さく頷くしかなかった。
否定できる理由はないし、隠す必要もない。
なのに――
なぜか、怖かった。
少しの沈黙のあと、彼はふっと笑った。
「そっか」
安心したような顔。
それで終わると思った。
本当に、そう思ったのに。
「じゃあ、消そっか」
頭の中が、一瞬で真っ白になる。
「……え?」
反応が遅れる。
彼は当たり前みたいに続ける。
「連絡先。もういらないでしょ?」
その言葉は、あまりにも自然だった。
正しいことを言っているように聞こえるくらいに。
でも。
何かがおかしい。
「でも…」
言葉が続かない。
何が引っかかっているのか、自分でも分からない。
彼は怒らない。
責めない。
ただ、静かに私を見つめている。
「ねぇ」
名前を呼ばれる。
それだけで、体が強張る。
「どっちが大事?」
優しい声だった。
でも、その優しさの奥にあるものを、私は感じてしまった。
「俺?」
「それとも、その男?」
選ばせているようで。
答えは、ひとつしかない問い。
喉が乾く。
息が浅くなる。
それでも、答えなきゃいけない。
「……あなた」
やっとの思いで、そう言った。
その瞬間、彼は満足そうに微笑んだ。
「ありがと」
そして――
何の躊躇もなく、その連絡先を削除した。
画面から、名前が消える。
それはただのデータのはずなのに。
取り戻せないものを、一つ失った気がした。
■~違和感→息苦しさ~
「これで安心した」
彼はそう言って、スマホを私に返した。
まるで、何事もなかったみたいに。
さっきまでの出来事が、
ただの“日常の一コマ”だったかのように。
私はスマホを受け取る。
画面を、見ないまま。
「ほら」
そのまま、ぐっと腕を引かれる。
バランスを崩して、彼の方へ倒れ込む。
気づけば、いつもと同じ距離。
いつもと同じ、腕の中。
「好きだよ」
耳元で、優しく囁かれる。
その声は、さっきと何も変わらない。
あたたかくて、安心できる声。
――のはずなのに。
なぜか。
ほんの少しだけ。
息が、しづらい。
「ねぇ」
彼が、静かに続ける。
「これでさ」
少しだけ間があく。
その“間”が、妙に長く感じた。
「余計な心配、しなくていいでしょ?」
心配。
誰の?
何の?
分からない。
でも、その問いに対して。
“分からない”と答えることは、許されない気がした。
「……うん」
小さく頷く。
それが正解だと分かっているから。
彼は満足そうに微笑んで、もう一度私を抱きしめる。
「大丈夫」
優しい声。
優しい手。
優しい温度。
「俺が全部、守るから」
その言葉に、ほんの一瞬。
安心してしまった。
――それが、いけなかったのかもしれない。
ふと、手の中のスマホに視線を落とす。
さっきまであった名前が、そこにはもうない。
ただ、それだけのこと。
ただの連絡先。
それなのに。
胸の奥が、少しだけ、きゅっと痛む。
取り戻せない気がした。
何を失ったのかは、分からない。
でも、“何か”が消えたことだけは、分かる。
――でも。
それを“おかしい”と思うこと自体が、間違っている気がした。
だって彼は、優しいから。
私のことを、大切にしてくれているから。
そう考えれば考えるほど。
違和感に、ふたをする理由が増えていく。
考えるのを、やめた。
彼の腕の中にいれば。
それでいい気がした。
――そのときの私は、まだ知らなかった。
これが。
ただの出来事じゃなくて。
“始まり”だったということを。
■第1話 完。
🍀.*第2話🍀.*
「返事、なんで遅いの?」
数分、返さなかっただけだった。
それだけなのに、責められている気がした。
このとき、まだ“普通”だと思ってた。
🍀.*第2話🍀.*
「返事、なんで遅いの?」
■~日常の中の違和感~
――ピコン
静かな部屋に、小さな通知音が響いた。
私は何気なくスマホに手を伸ばす。
画面に表示されていたのは、彼の名前だった。
『何してる?』
短い一文。
いつも通りのメッセージ。
さっきまで一緒にいたばかりなのに、と思いながら、私は自然と返信を打つ。
『家だよ』
送信。
すぐに既読がつく。
……でも、返信は来ない。
「まあ、いっか」
小さく呟いて、スマホをテーブルに置いた。
本当に、ただそれだけのことだった。
ほんの数分。
それだけのはずなのに――
――ピコン
もう一度、通知が鳴る。
私は再びスマホを手に取った。
『さっきの、なんで遅かったの?』
指が止まる。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
遅い?
さっきのメッセージから、まだ数分しか経っていない。
それでも。
なぜか、胸の奥がざわついた。
『ごめん、気づくの少し遅れた』
そう打って、すぐに送信する。
既読。
間を置かずに、次のメッセージが届く。
『そっか』
たった一言。
それだけなのに。
なぜか、少しだけ。
責められている気がした。
⬛︎~監視が始まる~
それから。
ほんの少しだけ。
やり取りが増えた。
『今なにしてる?』
『どこにいるの?』
『誰かといる?』
最初は、全部答えていた。
だって。
心配してくれているだけだと思ったから。
彼は優しいし、私のことを大事にしてくれている。
それに、隠すことなんて何もない。
――そう思っていた。
でも。
ある日。
『今なにしてる?』
そのメッセージに、すぐ気づけなかった。
ただそれだけ。
ほんの少し、手が離せなかっただけ。
数分後。
スマホを開いた瞬間――
『ねぇ』
『なんで返事ないの?』
『見てるよね?』
通知が並んでいた。
心臓が、一気に強く打ち始める。
「……っ」
急いで返信を打つ。
『ごめん、今気づいた』
送信。
既読。
数秒の沈黙。
そのあと。
『ふーん』
たった一言。
それだけなのに。
空気が、一気に冷たくなる。
『忙しかった?』
優しい言い方。
でも。
逃げ場がない。
『うん、ちょっとだけ』
そう返した瞬間。
『何してたの?』
すぐに返ってくる。
指が止まる。
ただの会話のはずなのに。
“説明しなきゃいけない”感じがする。
なぜか。
答えないといけない気がする。
■~日常の中の違和感~
――ピコン
静かな部屋に、小さな通知音が響いた。
私は何気なくスマホに手を伸ばす。
画面に表示されていたのは、彼の名前だった。
『何してる?』
短い一文。
いつも通りのメッセージ。
さっきまで一緒にいたばかりなのに、と思いながら、私は自然と返信を打つ。
『家だよ』
送信。
すぐに既読がつく。
……でも、返信は来ない。
「まあ、いっか」
小さく呟いて、スマホをテーブルに置いた。
本当に、ただそれだけのことだった。
ほんの数分。
それだけのはずなのに――
――ピコン
もう一度、通知が鳴る。
私は再びスマホを手に取った。
『さっきの、なんで遅かったの?』
指が止まる。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
遅い?
さっきのメッセージから、まだ数分しか経っていない。
それでも。
なぜか、胸の奥がざわついた。
『ごめん、気づくの少し遅れた』
そう打って、すぐに送信する。
既読。
間を置かずに、次のメッセージが届く。
『そっか』
たった一言。
それだけなのに。
なぜか、少しだけ。
責められている気がした。
■~監視が始まる~
それから。
ほんの少しだけ。
やり取りが増えた。
『今なにしてる?』
『どこにいるの?』
『誰かといる?』
最初は、全部答えていた。
だって。
心配してくれているだけだと思ったから。
彼は優しいし、私のことを大事にしてくれている。
それに、隠すことなんて何もない。
――そう思っていた。
でも。
ある日。
『今なにしてる?』
そのメッセージに、すぐ気づけなかった。
ただそれだけ。
ほんの少し、手が離せなかっただけ。
数分後。
スマホを開いた瞬間――
『ねぇ』
『なんで返事ないの?』
『見てるよね?』
通知が並んでいた。
心臓が、一気に強く打ち始める。
「……っ」
急いで返信を打つ。
『ごめん、今気づいた』
送信。
既読。
数秒の沈黙。
そのあと。
『ふーん』
たった一言。
それだけなのに。
空気が、一気に冷たくなる。
『忙しかった?』
優しい言い方。
でも。
逃げ場がない。
『うん、ちょっとだけ』
そう返した瞬間。
『何してたの?』
すぐに返ってくる。
指が止まる。
ただの会話のはずなのに。
“説明しなきゃいけない”感じがする。
なぜか。
答えないといけない気がする。
■~監視→感情固定~
――プルルル
突然、スマホが震えた。
画面を見ると、彼からの着信。
少しだけ、息が止まる。
……出なきゃ。
そう思って、指で通話ボタンを押した。
「……もしもし」
自分でも分かるくらい、声が小さかった。
『今日さ』
彼の声は、いつも通り優しい。
それなのに。
どこか、逃げられない感じがする。
『ちょっと寂しかった』
その一言で。
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「……ごめん」
気づけば、そう言っていた。
『ううん、いいよ』
すぐに返ってくる。
やわらかい声。
責めているわけじゃない。
でも――
『たださ』
少しだけ間があく。
その“間”に、呼吸が浅くなる。
『ちゃんと返してほしいなって思っただけ』
優しい言い方。
なのに。
否定できない。
「うん……」
小さく頷く。
電話越しなのに、なぜかそうしてしまう。
『俺さ』
彼が続ける。
『君のこと考えてる時間、長いし』
言葉が、重くなる。
『だからさ』
少しだけ声が近づく。
『同じくらい、大事にしてほしい』
――断れない。
それは、お願いじゃなくて。
ほとんど、答えが決まっている問いだった。
「……うん」
そう答えるしかなかった。
『よかった』
彼が、安心したように笑う。
その声を聞いた瞬間。
少しだけ、ほっとしてしまう自分がいる。
『だってさ』
そのまま、彼が続ける。
『ちゃんと見てたいから』
その言葉に。
胸の奥が、ざわっとする。
“見てたい”
その意味が。
少しずつ、変わってきている気がした。
通話が切れる。
部屋の中に、静けさが戻る。
私はスマホを握ったまま、しばらく動けなかった。
――ピコン
また、通知が鳴る。
画面を見る。
『おやすみ』
短い一言。
いつも通りのはずなのに。
今日は、少しだけ違って見えた。
「……おやすみ」
小さく呟く。
誰に聞かせるでもなく。
そのままスマホを胸に抱える。
さっきまで感じていた緊張が、少しずつほどけていく。
でも。
同時に。
別の感覚が、残っていた。
――ちゃんと返さなきゃ。
――すぐに気づかなきゃ。
――待たせちゃダメ。
そうやって。
自分の中に、ルールが増えていく。
誰に言われたわけでもないのに。
勝手に、作られていく。
ベッドに横になる。
天井を見つめながら、ぼんやりと考える。
さっきの会話。
彼の声。
言葉。
表情。
どれも優しかったはずなのに。
なぜか、頭から離れない。
息を吸う。
ゆっくり吐く。
それでも。
ほんの少しだけ。
胸が苦しい。
――また。
少しだけ。
息がしづらくなった。
■第2話 完。
🍀.*第3話🍀.*
「居場所、全部わかるようにしよ?」
「居場所、全部わかるようにしよ?」
「安心したいだけ」って言われた。
それが、こんな意味だとは思わなかった。
このとき、まだ引き返せたはずだった。
■~違和感→提案~
最近。
ほんの少しだけ。
スマホを見る回数が増えた。
――ピコン
通知が鳴るたびに、
体が勝手に反応する。
『今なにしてる?』
画面に浮かぶ彼の名前。
私はすぐに指を動かす。
『外だよ』
送信。
既読。
それだけで、少しだけ安心する。
――おかしい。
そう思うのに。
やめられない。
---
その日の夜。
私はいつものように彼の部屋にいた。
ソファに座って、特に会話もなく、同じ空間にいるだけの時間。
それだけで落ち着くはずなのに。
今日は少しだけ、落ち着かない。
「ねぇ」
彼が、ふいに声をかけた。
「ん?」
顔を向けると、彼はスマホをこちらに向けていた。
「これ、オンにしよ?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
画面を見る。
そこに表示されていたのは――
位置情報の共有画面だった。
「……え?」
思わず声が漏れる。
「なんで…?」
喉が、少しだけ乾く。
彼は、軽く笑った。
「安心したいだけ」
その言い方は、あまりにも自然で。
まるで、それが正しい理由みたいに聞こえる。
「ほら、最近物騒だし」
「何かあったらすぐ行けるでしょ?」
“守るため”。
その言葉に、少しだけ納得しそうになる。
でも。
どこか、引っかかる。
「でも…」
言葉が、続かない。
“ずっと見られるのは嫌”
そう思ったはずなのに。
うまく言えない。
すると彼は、ほんの少しだけ首を傾けて言った。
「見られるっていうかさ」
優しい声。
「共有だよ?」
その一言で。
またひとつ、断る理由が消える。
■~見える監視~
「俺も見せるし」
彼はそう言って、自分のスマホを差し出した。
画面には、位置情報がオンになっている表示。
確かに、彼の現在地が見える。
「ね?」
軽く笑う。
「フェアでしょ?」
――ずるい。
そう思った。
“自分も見せるから”という言い方。
それだけで、断る理由が消えてしまう。
「それに」
彼が少しだけ距離を詰めてくる。
「隠す必要、ある?」
その言葉で。
完全に、言葉を失った。
隠すことなんて、何もない。
それは本当だ。
でも――
見られたくない気持ちは、確かにある。
それを、どう説明すればいいのか分からない。
「……ない、けど」
気づけば、そう答えていた。
その瞬間。
彼は迷いなく、画面に触れる。
「じゃあいいよね」
タップ。
“位置情報を共有しました”
小さな表示が、画面に浮かぶ。
それだけのこと。
たったそれだけのことなのに。
胸の奥が、少しだけ冷たくなる。
---
その日から。
“見られている”感覚が、消えなくなった。
---
――ピコン
『今、ここ?』
スマホを開く。
送られてきたのは、地図のスクリーンショット。
そこには。
今いる場所に、ピンが刺さっていた。
「……」
息が止まる。
『うん、そうだよ』
なんとか返信する。
既読。
すぐに返ってくる。
『なんでそこ?』
ただのコンビニ。
それだけのはずなのに。
説明しなきゃいけない気がする。
『ちょっと買い物』
数秒の沈黙。
『ふーん』
短い返事。
それだけなのに。
“正解だった”と感じてしまう。
---
別の日。
友達と歩いていたとき。
スマホが震えた。
『その隣、誰?』
足が止まる。
思わず、周りを見渡す。
でも――
いない。
彼は、ここにいない。
なのに。
見られている。
「……なんで」
小さく呟く。
『友達だよ』
震える指で送る。
既読。
すぐに返信。
『写真』
胸が、大きくざわつく。
「ごめん、ちょっとだけ…」
友達にそう言って、無理やり笑う。
スマホを向けて、写真を撮る。
送信。
数秒後。
『うん、ならいいや』
その一言で。
やっと、息ができる。
■~逃げ場ゼロの自覚~
夜。
彼の部屋。
いつもと同じ場所。
いつもと同じ距離。
それなのに。
今日は少しだけ、空気が違う気がした。
「ねぇ」
彼が、楽しそうな声で言う。
「これ見て」
スマホを差し出される。
画面に表示されていたのは――
私の行動履歴だった。
「……え?」
思わず声が漏れる。
地図の上に、細かく残された線。
どこに行って。
どれくらい滞在して。
何時に移動したか。
全部、分かるようになっている。
「すごいよね、これ」
彼は、嬉しそうに笑う。
まるで、新しいおもちゃを見せるみたいに。
「ちゃんと分かる」
その言葉に、背筋がぞくっとした。
“ちゃんと分かる”
何が?
どこまで?
考えようとすると、頭が重くなる。
「ねぇ」
彼が、少しだけ近づく。
逃げられない距離。
「変なとこ、行かないでね?」
優しい声だった。
いつもと同じ。
でも。
もう、分かってしまった。
これは。
心配じゃない。
――監視だ。
「俺さ」
彼が、耳元で静かに囁く。
「全部、知ってたいんだよね」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
息が、浅くなる。
逃げたい。
一瞬、そう思った。
でも。
どこに?
どうやって?
その答えが、どこにも見つからない。
スマホを握る手が、わずかに震える。
もう。
隠すこともできない。
逃げることもできない。
全部、見られている。
全部、知られている。
――だったら。
考えない方が、楽かもしれない。
そんな考えが、頭をよぎる。
「ほら」
彼が、優しく頭を撫でる。
「大丈夫」
あたたかい手。
安心する感触。
「俺が見てるから」
その言葉に。
ほんの少しだけ。
安心してしまった自分がいた。
――おかしいのに。
分かっているのに。
やめられない。
「ね?」
彼が、微笑む。
私は。
何も言えなかった。
ただ、小さく頷くだけ。
それが“正解”だと、分かってしまったから。
---
その夜。
一人でベッドに入っても。
頭の中に残っていたのは、あの地図だった。
線で囲まれた、自分の行動。
まるで。
見えない檻の中にいるみたいに。
自由に動いているはずなのに。
どこにも、逃げられない。
――気づいてしまった。
これはもう。
“ただの恋愛”じゃない。
でも。
どうすればいいのかは、分からなかった。
■第3話 完。
