終わりから始まる恋を、君と
プロローグ
夜の森は、息をひそめていた。

枝葉の重なり合う影の奥で、かすかな光が揺れる。

松明だ。

「いたぞ!」

鋭い声が響いた瞬間、静寂は砕け散った。

数人の男たちが森の中へ踏み込んでくる。

農具を削ったような剣、腰に下げた小瓶、首からぶら下げた小さな十字架。

誰もが荒い呼吸をしながら、それでも足を止めなかった。

彼らの視線の先に、ひとりの青年が立っていた。

細身の体躯。

乱れた銀色の髪。

人間と変わらない姿――

ただ一つ、暗闇の中で異様に光る赤い瞳を除いて。

「……吸血鬼だ」

誰かが呟く。

青年は何も言わなかった。

剣を取ることも、逃げることもせず、ただそこに立っている。

一瞬だけ、躊躇いが走った。

近くで見ると、あまりにも普通の、人間の顔だったからだ。

若く、どこか疲れたような目をしていて、獣のような凶暴さはない。

――本当に、殺す必要があるのか。

だがその迷いは、すぐに掻き消された。

「何をしてんだ! 早く!」

背後から怒号が飛ぶ。

「そいつが人の皮を被ってるだけだって、分かってるだろ!」

小瓶の栓が抜かれる音。

次の瞬間、清められた塩水――聖水が宙を舞った。

青年の肩にそれがかかる。

じゅ、と嫌な音がして、白い煙が上がった。

「――っ!」

低く、押し殺した息が漏れる。

それでも青年は、叫ばなかった。

男たちはそれを見て、安堵したように息を吐く。

「ほらな。やっぱり化け物だ」

「迷うなよ。今殺さなきゃ、俺たちが殺されるんだ」

剣が振り上げられる。

青年は、ただ目を伏せた。

逃げない。

抵抗しない。

その姿に、ほんの一瞬だけ誰かの手が止まった。

だが次の瞬間、その手は別の誰かに押される。

――疑うな。

――ためらうな。

――これは正しいことだ。必要なことだ。

そう言い聞かせる声が、森に満ちていく。

赤い瞳が、かすかに揺れた。

まるで、人の痛みを思い出すように。

そして夜は、何事もなかったかのように、再び静まり返った。
< 1 / 106 >

この作品をシェア

pagetop