君が終わる夏
2025年7月14日
 それは、例年よりも暑い夏の日の出来事だった。

 とある教室の一番奥、窓際にある席で暑さに項垂れる俺は授業に集中出来ずにひたすら窓の向こう側を眺めていた。見えたものは陽炎(かげろう)が揺らめく中、体育の授業に励む下級生達の姿。……可哀想に。日差しが強くなる前に体育の授業が終わった俺達はまだマシな方だった。この項垂(うなだ)れる暑さの中で授業に集中なんか当然出来るはずもなく、そのまま俺は可哀想な下級生達を眺めていた。
 しかし本当に暑い。暑さのせいで幻覚でも見てしまうんじゃないかと思える程だ。さすがに水分補給をするべきなんじゃないか?いや、授業は後数十分で終わる。だが我慢出来るだろうか?なんて自問自答をひたすら繰り返していた。そうしていよいよ喉の乾きに我慢が出来なくなり、それを訴えるために視線を窓の向こう側から教師へと移そうとした。

 そんな時だった。女と目が合ったのは。
 
 窓1枚隔てた向こう側、俺の居る3階の教室からお互いをはっきり視認する事が出来る程の至近距離、真っ逆さまに落ちていく女と。俺は呆然としながらも数秒後響いたパーンという音にハッとした。
 起こった出来事に対して、脳が追いつかない。
 やはり暑さにやられて幻覚を見聞きしてしまったのだろうか。そうだ、きっと幻覚だ。そう思い込もうとしても俺は腰が引けて席から立つことが出来なかった。授業中にも関わらず、何が起きたか分からない他の生徒や教師は何事かと音のした方向へと歩み寄る。そして、事を理解した生徒の口から漏れ出る悲鳴と、生徒達を落ち着かせようと必死な教師の声で教室は溢れかえった。
 飛び降り自殺、それが真っ逆さまな女のしでかした事だった。パーンという音は、人と地面が衝突した時に響く音らしい。ドン!とかダン!じゃないんだな……と、腰が引けていた割には冷静な頭でそう思った。しかし学校自体は当然混乱しており、急遽体育館に集められた俺達は教師からしばらくの間学校閉鎖をすると言い渡された。今は夏休み目前なので、学校再開は夏休み明けとなるのだろう。教師の話が終わるとそのまま一斉に下校する事となり、例に漏れず俺も最悪な気分のまま帰宅する事となった。

 しかし何故女は自殺なんかしたのか。
 女は別のクラスの生徒だったからあまり詳しい事は分からないが、俺の記憶が正しければ、

 あの女は、クラスの人気者だったはずだ。

 一ノ瀬詩音(いちのせしおん)、確かそれが彼女の名前だった。美人で友達も多く成績もトップだったとかなんとか……。そんな奴が何故飛び降りなんかしたのか。外見も友達の人数も成績も全て平凡な俺、天谷怜(あまやれい)とは別世界の人間だ。だからこそ俺には知る由もないし、正直追求する程の興味は無かった。
 暑さのせいか今日見た光景のせいか、その夜はあまり眠る事が出来なかった。

 次の日、突然の訃報で急遽学校閉鎖となり与えられた休日。その日の朝はいきなり部屋にやってきた母に叩き起こされるところから始まった。
「怜!いつまで寝てんの!学校に遅刻するよ!!」
 それが母の第一声だ。はぁ……昨日何聞いてたんだよ、生徒の訃報により学校はしばらく閉鎖だって言っただろ。
「学校はしばらく休みだよ。登校は夏休み明けだ。昨日話しただろ?」
「はぁ?そんな事聞いてないけど?」
 ……マジで何言ってんだ?今起きたばかりの俺より寝ぼけてんのか?
「何で学校閉鎖になったのさ?」
「だから!昨日生徒が1人飛び降り自殺したからだって説明しただろ!」
「……あんた、何言ってんの?そんな話初めて聞いたけど」
「……はぁ?母さんが何言ってんの!?昨日ニュースにもなってて何で自殺なんかしたんだろうねって話したじゃん!」
「ニュース?そんなもん知らないよ。夢でも見たんじゃないの?」
「い、意味分かんねぇ……」
「寝ぼけてないで早く学校行く準備しな!遅刻するよ!」
 ドタドタと騒がしい母は一階へと降りて行った。
 どういう事だ?本当に夢だったのか?俺は混乱しながらスマホを取り出して時間を確認した。そこに表示されている日付に驚愕する。

 2025年7月14日
 紛れもなく、昨日と同じ日付だった。

 ――

 試しに登校してみると、通学路では生徒達が何事も無く校舎へと向かっていた。閉鎖となったはずの学校も何事も無かったかのように生徒達を受け入れている。面白い事に授業内容は昨日と同じ、友達の言葉や教師の言葉も同じ、そして幻覚でも見てしまいそうなこの項垂れる暑さも全て昨日と同じだった。かったるい授業を終え、遂に下級生達が炎天下の中体育の授業に励む時間帯となった。そろそろだな、なんて思いながら悪趣味にも窓を見つめている自分がいる。
 違う、あの光景をもう一度見たかった訳じゃない。ただ、もしかしたら何事も無く授業が終わるんじゃないか、そう期待しての行動だった。しかしそんな期待とは裏腹に、無情にもまた目が合ってしまったのだ。何の光も宿していない、無機質な目と。そして音が響く……前回聞いた、人と地面がぶつかる音だ。教室がどよめく中、俺は何の接点も無い彼女の顔を思い浮かべていた。
 俺の知ってる彼女は、もっとキラキラした目をしていたはずだ。2度目の出来事だからか、落下する彼女を丁寧に観察し、俺は冷静にそう考えていた。我ながら非情な男だ。いやしかし、"自ら死ぬ"という行動をキラキラした目で行う人間などいないだろうし、その行動をするという事は、やはり何かしらの闇を抱えているという事だろう。だがそれは、彼女と何の接点も無い自分には関係の無い話だ、どうする事も出来ない。そう考えて俺は1日中ボーッと過ごし、2度目の"今日"が終わるのを待った。

 朝になり、スマホを確認する。画面に表示された日付は2025年7月14日……3度目の"今日"だ。自然とため息が漏れる。またあの項垂れる暑さを体験しなければいけないのか、冗談じゃない。行動しなければ。"今日"を終わらせるために違う行動を取らなければ。そうしなければ――……
 
 夏が、終わらない。

 ――

 "今日"を終わらせるためにはまず、前回前々回と違う行動を取らなければならない。それならばと俺が最初にした行動はズバリ、学校をサボる事だった。生まれて初めてのこの行動にはとてつもなく緊張した。なんせ俺は高校に入るまでサボりなんて一度もした事が無いクソがつく程の真面目な生徒だったからだ。
 とりあえず時間を潰せる場所へ行こうと思い立ち、真っ先に向かった先はゲームセンターだ。店に入れば店内は冷房がきいており、これまでの"今日"とは違いとても快適だった。しかし小遣いは少なく、このままでは長居出来そうにない。なので俺は、少ない小遣いで長く遊ぶため、メダルゲームにひたすら没頭する事にしたのだった。
 しばらく経った後でスマホを確認する。担任や母親からの電話が何件か確認出来た。まぁ当たり前だよな、昨日まで真面目だった生徒がいきなり学校をサボるだなんて、事件か何かに巻き込まれたんじゃないかと心配になるに決まってる。そう思いながらも俺は折り返しの電話を掛けるでもなく、ただひたすらボーッとスマホの画面を眺めていた。
 そうするとぴこん、という可愛らしい音と共に画面上部にニュース速報通知が表示された。タップし、ページを開く。今話題のニュースが目白押しだ。ニュースタイトルを1つずつ確認し画面をスクロールしていく。そしてとあるニュースタイトルでスクロールする指を止めた。
 
「◯◯高校の女子生徒が飛び降り自殺」

 特に驚きはない。俺の中で彼女が死んだのはこれで3度目だ。ニュースを確認した後、俺は帰路に就く事にした。
 家に帰れば母親は怒る訳でもなく、ただ血相を変えて俺を出迎えた。泣き出しそうな母親の顔に良心が少しばかり傷んだが、しかしこれは紛れもなく今までとは違う"今日"だ。寝て起きたら明日になっている事を祈りながら、俺は眠りについた。
 
 起きて直ぐ様スマホを確認する。画面に表示された日付は2025年7月14日……4度目の"今日"。ここまで来ると起き上がるのも億劫だ。
 やはり彼女と接触しなければ"今日"は終わらないのだろうか。他に何か、彼女と接触する以外で明日へ行ける可能性は……いや、さすがに5度目の"今日"が来ればもういい加減おかしくなりそうだ。一番明日へ進める可能性が高い彼女との接触を試みた方がいいのだろうか。俺はベッドの上でしばらくウダウダ考えてから渋々覚悟を決め、ノロノロと学校へ行く準備を始めた。

 授業開始を告げるチャイムの音と共に、頭の中を徐々に埋め尽くす「暑い」の文字。いよいよ例の時間帯となった。
 3度目の"今日"では学校をサボったが、4度目の"今日"では授業をサボる事にした。勿論どこも悪い所など有りはしないが、俺は酷く具合が悪そうな感じで教師に体調不良だと訴えた。すると普段クソ真面目な俺は難なく保健室へ行く事を許されたのだ。こういう時普段クソ真面目だと得をする。しかし、仮病で教師を騙すのはやはり罪悪感が凄まじかった。俺はどうしようもない罪悪感を払うため、頭を乱暴に横に振る。そうしていよいよ屋上へ続く階段を見上げ、恐る恐る足を踏み出した。
 
 屋上へ続く階段を上った先にある扉。その扉はいとも簡単に開いた。普通なら鍵が閉まっているはずなのに……どうやって鍵を手に入れたんだろうか?疑問が頭に浮かんだが、今それは重要ではない。浮かんだ疑問を頭の隅にやり、慎重に扉を開ける。すぐさま目当ての人物を見つけ、ゆっくりと歩を進めた。
 足が重い。心臓が煩い。息も荒い。それらは彼女に近づく程に酷くなっていく。そして彼女との距離が3m程になった頃、彼女は俺の存在に気付き、こちらを見た。
 口から、心臓が飛び出そうだ。情けない事に俺は肩で息をしていた。どうやって切り出せばいい。彼女に飛び降りをどうやめるよう伝えたらいい。赤の他人が、それも別に人生充実してる訳でもない俺が、美人で友達も多くて成績もトップな彼女をどうやって救えばいいんだ。というか、まだ飛び降りる素振りもないのに飛び降りをやめろだなんて言い出したら物凄くおかしいんじゃないか?覚悟を決めたはずなのに、頭の中ではあれこれ余計なことを考え出す始末だ。そうして近づいておきながら何も言えないでいる俺を前に彼女、一ノ瀬はゆっくりと口を開いた。
「どうしたの。今授業の時間だけど……君もサボり?」
「え!?あ、ああ……そうだよ、サボり」
「ふーん……」
「……」
「……」
 
 …………。気まずい沈黙が流れる。こういう時、どうすればいいんだ。

「あ、あのさ……君、ここで何してるの」
 しばらくして沈黙に耐えかねた俺は、無理矢理言葉を紡いだ。
「……サボりだけど。君もサボりって、さっき聞いたよね?」
「あ……そう、だったな……」
 だが駄目だ、あまりにも会話能力が無さ過ぎる。
 また沈黙が始まろうとした時、不意に彼女が口を開いた。
 
「ねぇ、ここから飛び降りたらどうなるかな?」
 
「……は?」
「ねぇ、どうなると思う?」
 いきなり何だ。そんな事、人に聞かなくたって分かりきっているじゃないか。
「……大怪我するか、最悪……死ぬか」
「やっぱり、そうだよね……」
「……何でそんなこと聞くんだよ……?」
「……」
 俺の言葉に彼女は何も答えない。彼女の様子に、俺は咄嗟に口を開いた。
「だ、駄目だからな?飛び降りとかそんな事、もし考えてるなら絶対にやっちゃ駄目だ」
「どうして?」
「どうしてって……そりゃ痛いし、飛び降りの瞬間を見た人はトラウマになるだろ……」
 言葉にして、飛び降りたこいつと2度目が合っている事実を思い出す。周りの反応からして、俺は普段と様子があまり変わっていないようだが、少なくともふとした瞬間にあの光景を思い出すくらいには衝撃を受けている。ただ、今日を繰り返してる事実の方に気を取られているため、あの光景に滅入ってトラウマになったと表現していいのかどうかは微妙なところだった。
 もし仮に俺の脳内を覗き見れる人間が居たとしたら、そいつはきっとあんな光景を2度も目の当たりにしておきながらその程度の精神状態で済むなんて、なんて冷淡な奴なんだと俺のことを蔑むだろう。
 そんな絶対にあり得ない事を思考していた俺は、彼女との会話中だった事を思い出し、慌ててそれを中断し再び彼女に向き直る。
「あと飛び降りが駄目な理由は……死体とか、片付ける人が大変だし、もし下に人が居れば巻き込んでしまうかもしれないじゃんか……だから絶対、良くないって」
「……そう、だね……確かに君の、言う通り……かも……」
 彼女はどもりながらそう答えた。俺の言葉に納得した彼女を見て、少しずつ緊張が解れていくのを感じる。
「そうだ……だから飛び降りなんて辞めとけ――」

「なら人に迷惑が掛からない方法にするべきかな」

「……は?」
 さっきもしたな……この反応。だがそれも仕方がない事だ。
 だってこの女……俺が止めたのに……まだ……!
「君、ありがとう。参考になったよ」
 そう言って一ノ瀬は俺との会話を終わらせ校内に戻ろうとした。さっきまでの緊張は何だったのか、今は沸々と怒りが沸き上がる。
 俺はイラつきを隠しもしないで彼女の方を向き声を荒らげた。
 「おい待てよ!!今のどういう意味だよ!!」
 「え?」
 「俺はお前が死ぬのを一生懸命止めてんだよ!なのに今の……あ、あり得ないだろ!」
 「……ねぇ、私と君って初対面だよね?」
 「そ、そうだけど……!何だよ……初対面なら自殺を止めちゃ駄目なのか……?」
 「……いや、驚いちゃって。まさか初対面の人にここまで言われるなんてさ。ねぇ、どうしてそんなに止めてくれるの?もしかして私の事、好きとか?」
 「んなわけないだろ!今日初めて話したのに!」
 「ん~じゃあ正義感でって事?そうなら理解出来ないなぁ……だってこれ、私が言うのもなんだけど、どう考えたって面倒事じゃん。私だったら死にたいのには何か理由があるだろうからって考えて、絶対助けたりなんかしないし」
 「お、お前っ……」
 咄嗟に言葉を紡ごうとして、言葉に詰まった。そうだ、俺は二度こいつを見捨ててる。一度目は"今日"じゃないという確証を得るためだが、二度目は完全に救う事を放棄しての行動だった。俺が彼女に薄情だなんだと綺麗事を言う資格なんて無いのだ。だって俺がこいつを救うのは明日へ、"前へ"進むためなのだから。適当に死んではいけない理由をいい感じの言葉で羅列して、結局は善意でもなんでもない。むしろ薄情なのは俺の方だろう。
 だがここで彼女の行動を止めなければ、また"今日"が始まるだけだ。前へ進むことは出来ない。一体どういう原理なのかは分からないが、またこの暑さを体感するのだけはご免だ。

 ――何故ならこの暑さは、俺に嫌な事を思い出させる。
 何としても"今日"を、暑い夏の日を終えなければ。だから手段なんて選んでいられないのだ。

 「……君は、どうして死にたいんだ?」
 
 一方的に顔を知ってるくらいの相手、しかも死のうとしている相手に、いきなり踏み込んだ質問をした。我ながらなんて不躾な男だ。
 対する相手は少し驚いた顔をしつつ、しかし冷静に言葉を返した。
 「教師や友達にさえ話した事無いのに、初対面の君にそんな事、話すと思う?普通」
 まったくその通りだ。首を何度も縦に振りたい衝動に駆られる。だが今はなりふり構っていられないのだ。少し強引にでも、彼女に自殺を止めて貰わねば。
 「い、いやっ……信頼している教師や仲の良い友達じゃないからこそ、ワーっと好き放題感情をぶちまけられたり、とか……しないかな?」
 いや、しねーよ。心の中で自分自身にツッコみを入れざるを得ない。自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
 「……」
 彼女は無言になってしまった。こいつ何言ってるんだろう、なんて思っているんじゃなかろうか。そんな顔をしている気がする。咄嗟にこれは失敗だと思った。彼女の自殺を止められず、また"今日"を繰り返す事になるに違いない。本当に最悪だ。
 意気消沈している俺に向かって、彼女はゆっくりと口を開いた。

 「君の言う事、一理ある……かも……。深い仲じゃないからこそ、本心を見せられるかもしれない……」
 「……は?」
 俺のこの反応、これで三度目だな。まさか俺のめちゃくちゃな理論を、この頭の良い女が納得するとは。
 アホ面を晒しているであろう俺の事など気にも留めず、彼女は勢いよく俺に迫ってきた。
 「な、おい!いきなり何だよ!」
 「ねぇ君、名前は?」
 「……天谷……怜……」
 「天谷君……か。私は一ノ瀬詩音、今日からよろしくね」
 「きょ、今日からよろしくって……何だよ……?」
 「だって、君には今日から私に付き合って貰わなきゃだから」
 「……は?」
 「はい、天谷君今日4度目の "……は?" だね!」
 数えていたのか、こいつも。いやそんな事は今どうでもよくて!
 「つ、付き合うって……え?今日初めて話した俺とお前が!?」
 何なんだこいつ。訳が分からない。付き合えと言われたって、いきなりそんなの無理に決まっている。だってそりゃそうだろう。いくら美人だからって、今日初めて話した相手とだなんて。
 「ぶっ……ハハッ!!」
 目に見えてパニックになってる俺を見て、彼女は耐えきれないとばかりに吹き出した。何なんだよ本当に。俺は怪訝な顔で彼女を凝視する。
 「ごめんごめん、勘違いさせちゃったね。付き合うってその……交際するとかの方じゃなくてさ。用事に付き合うとかそっちのやつ」
 「え……あ……」
 心臓がまたうるさい。だが、今俺の心臓を速めているのは緊張ではなくあまりにも激しい羞恥心だ。走って逃げ出したいが、しかしここで彼女を置いていってはまた悲劇が繰り返されるだけだろう。俺は羞恥に耐えながら彼女の言葉をひたすら待つ。
 「えっとね……ほら、もうすぐ夏休みが始まるでしょ?その夏休みの期間……つまり、天谷君の時間を私にくれないかなって」
 「……?よく分からないな……どういう事だ?」
 「毎日じゃなくていいから、なるべく一緒に過ごしてほしいんだ、私と。お買い物行ったり、遠くへお出掛けしたりしてさ。ねぇ、駄目かな?」
 「……」
 それは、男女の交際と何が違うのか、俺には分からなかった。もしかしたらさっきの俺の勘違いは別段恥じる必要なんて無かったのかもしれない。だが彼女的には全然意味合いが違うのだろう。俺は敢えてツッコまずに話を聞いた。
 「私、知っての通り死にたいんだ。だから今日飛び降りるためにここへ来たの。そしたら君が突然現れて、一生懸命止めに入って来てさ……。最初は何こいつって思ったけど、話している内に、何でかな……君と過ごせばこの"死にたい"を"生きたい"に変えられそうな気がしたからさ。……なんか、私ちょっとクサくてハズい事言っちゃってるね……」
 そう言って彼女は口籠る。視線も下を向いている。だけど次第に落ち着きを取り戻した彼女は、ゆっくりと視線を上げ、俺の目を真っ直ぐ見ながらはっきりとした口調でこう言った。
 「天谷君……夏の終わり……その時が、来るまで……」
 
 私に"生きたい"と思わせて
 
 俺は悟った。その言葉を聞いた"今日"こそが始まりなのだと。夏の終わりまで、彼女の生を終わらせないための……。
 これがようやく始まった"今日"、2025年7月14日……例年よりも暑い、夏の日の出来事だった。
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