君が終わる夏
夢を見た。陽炎揺らめく視界の中、薄らと浮かぶ2つの人影。顔は視認出来ず、何を話しているのかも分からない。だがその光景に、言い知れぬ懐かしさを感じ、手を伸ばしたところで目が覚めた。
2025年7月20日、夏休み初日。それが今日の日付だ。あの日、一ノ瀬の自殺を止めた7月14日、あれからもう6日が経過している。彼女は現在普通に生活しており、今日も会う約束をしている。やはり時間のループを止める鍵は一ノ瀬の生死なのだろう。一体どういう理屈なのだろうか。今起きたばかりの冴えない頭で考えてみたところで分かるはずもないが(かと言ってこんな非科学的な事を冴えた頭で考えてみたところで結果は同じだろう)、俺はベッドの上でひたすらウーンと唸り声を上げながら思考していた。だがそれも、突如鳴った腹の虫に遮られるのだった。
早々に朝食を済ませ、時計を見遣る。午前11時過ぎ、まだ一ノ瀬との約束の時間まで約2時間もある。俺は支度をしながら次こそは冴えた頭で思考を巡らせた。それはもう1つの疑問、何故一ノ瀬は"夏の終わりまでに生きたいと思わせて欲しい"等と言ってきたのかについてだ。わざわざ"夏の終わり"と期間を設けているのにはきっと深い理由があるに違いない。勿論これに関しては本人に直接聞いてみた。聞いてみたのだが、いつも笑ってはぐらかされて終わった。どうやら理由を話すつもりはないらしい。そもそも自殺の理由すら未だ不明のままなのだ。
……何だよ、俺は一応協力者なのに……。
自殺の理由については未だ分からず終いだが、この"夏の終わり"については、実は少なからず思い当たる節はあるのだ。それは俺達が住んでいるこの土地に関係している事なのだが、しかしそれが関係しているのかはあくまで俺の想像であって、真相についてはやはり本人に直接聞くしか無いのが現状だ。だが本人が答えない以上、少しずつ探りを入れていくしかないのかもしれない。そしてこの俺の不思議な力、タイムリープについても少しずつ考えていかなければならない。
……もっとも、この不思議な力に関しても、思い当たる節はあるのだが……。
――
午後1時、俺は一ノ瀬との待ち合わせ場所であるカフェテリアに来ていた。俺達が住んでいるのは青滝村という田舎なのだが、皆が思い描くようなThe・昔の村という訳でもなく、それなりにおしゃれな店もまぁまぁある。そのおしゃれな店の中でも、ここは特に学生達には人気のスポットだ。と言っても俺のような冴えない男には縁も所縁もない場所だったため、今回初めて利用する事になる。店内に入ってみれば、やはり……というべきか、同じ学校の女子グループがそこかしこに居た。その中には少数だが男も混ざったグループが存在していたが、俺とは明らかに違う陽のオーラを放っていて、俺は忽ち居たたまれなくなった。だがそんな俺をまったく気にする事なく、一ノ瀬は同じクラスの女子グループを見つけてはにこやかに歩み寄っていく。女子達と楽しそうに会話をする一ノ瀬からは、あの日初めて会話した時に感じた仄暗い雰囲気等一切無い。クラスの人気者だしあり得ないとは思いつつ、一応脳内会議で一ノ瀬の死にたい理由の1つに"いじめ"を候補として挙げていたのだが、その線はやはり薄いのだろうか。
しばらく一ノ瀬達の様子を眺めていると、背後からいきなり声を掛けられた。
「よぉ!天谷じゃん!こんな所で会うなんて奇遇だな!」
「なぁなぁ、お前一ノ瀬と一緒に店入ってきたよな?もしかしてお前、一ノ瀬と付き合ってんの!?」
あまりにも大きな声で発せられた2人組の男子の声に、店内は一気に静まり返った。意図せず注目の的となってしまった俺は益々萎縮してしまったのだが、そんな事はお構いなしに囃し立てる声は尚も止まらない。
「……その反応、やっぱそうなの!?すげーじゃんお前!あの一ノ瀬となんて!」
「なぁ一ノ瀬!お前天谷のどこに惚れたの!?」
まったく仲良くもない、ましてや別のクラスの男子2人組に馴れ馴れしく一ノ瀬との関係性について聞かれる。俺はもうこの時点で既に帰りたかったが、一ノ瀬に付き合うと約束した手前、彼女を置いて帰る訳にはいかなかった。それに俺と一ノ瀬は交際している訳ではない。その誤解も今ここで解いてやらないと、さすがに一ノ瀬が可哀想に思えた。俺が誤解を解くために口を開こうとした瞬間、一足早く一ノ瀬が口を開いた。
「んーそうだね……実はまだ惚れる程一緒に居る訳じゃないし、むしろ話もそんなにした事無いから天谷君の事全然知らないんだけど、でも天谷君と居るの、悪い気がしないんだよね……。だからこれから好きになれたらいいなって思ってるよ!」
その言葉を聞いた一同は、物凄く微妙な顔をしていた。ただ「おめでとう」とか「頑張れ」とか適当な言葉を俺達に投げ掛けて、例の男子2人に至っては俺の肩を黙って叩いた。俺は顔から火が出そうだった。なぜ……何故俺達は交際していない事をこの場で告げてくれなかったのか。しかもその言い方だと俺からこいつに告白したみたいじゃないか。俺が一方的にこいつの事が好きで告白して、一ノ瀬がお試し感覚でOKしたみたいじゃないか。確かにこいつには俺から話し掛けた。しかし交際では無いが付き合ってくれと頼んできたのは一ノ瀬の方だ。俺はこいつの相手を後1ヶ月もしなきゃいけないのか?もうこの時点でギブアップ寸前だ。振り回される未来しか見えない。最悪な未来予想をして一気に気分が悪くなった俺は、一旦トイレへと逃げ込む事にした。
トイレから出ると、また最初のように騒がしい店内に戻っていた。一ノ瀬は勿論、賑わう会話の中心人物の1人となっている。俺は元々大勢の会話の中に入っていく度胸も無いような奴なので、隅っこの席に1人座って飲み物を注文する事にした。"生きたいと思わせて"なんて言われたが、彼女とまともに会話すらしていない。しかし今の俺にはどうする事も出来ず、しばらくメニュー表を眺めていた。
すると突然、俺の前の席に誰かが座ったのだ。一ノ瀬か?と思い顔を上げると、そこには別の女が座っていた。
「よ、天谷。寂しそうだったから来てあげたよ」
そいつは俺と同じクラスの女子、広瀬美琴だった。こいつはさっき俺と一ノ瀬の関係性について耳にしたばかりだと言うのに、お構いなしに俺と1対1で会話を試みようとしている。仮初とは言え一応"彼女"が近くに居るというのに、なんて神経の図太い奴だ。
「別に……寂しくないけど?」
「それ、ホントかな~?」
「ホントだって!全然1人で大丈夫だから、広瀬も皆と盛り上がって来いよ。皆何だか楽しそうだぞ」
「……これ、皆に内緒ね?ぶっちゃけ皆の高いテンションに付いていけず疲れてきちゃってて、どうしよっかな~って思ってたのよ。そしたら丁度天谷が戻って来てくれたから、こっそり抜け出してこうして駄弁りに来たってのが本音」
「……」
「まぁ本当に寂しそうだなと思ったのもあるけどね」
「だから寂しくねーって」
「はいはい、てかそんな事より天谷に聞きたい事があるんだけど」
「聞きたい事?何?」
「一ノ瀬さんと付き合ってるって本当?」
「……お前、さっきのが本音じゃなくて、それを聞きたくて俺の所に来た事こそが本音だろ」
「へへ、バレた?」
相変わらず、誰と誰が付き合ってるなんてどうでもいい話が大好きな奴だ。俺と広瀬はクラスでは席が隣同士だし、こいつは人見知りをしないタイプらしいので結構話し掛けてはくるのだが、話す内容はそういうしょうもない噂話ばかりだ。俺自身そんなもの興味無いが、こいつはとにかくゴシップが大好きらしく、あの人があーだのこーだの毎度ベラベラ喋ってくる。だからこそ俺と一ノ瀬の事もスクープだと考えているのだろう。根掘り葉掘り聞かれては最終的に学年中に広まる……そんな未来が見えた。しかしだからと言って、俺と一ノ瀬が本当は付き合ってない等と弁解するのも躊躇われた。弁解したとして、その噂も学年中に流され、一ノ瀬が謎の嘘を吐いたと白い目で見られるなんて事があっては堪らない。俺はとにかく、一ノ瀬の精神に異常をきたすような事はなるべく避けたかった。だから俺は、広瀬の言葉に適当に相槌を打つ事を決めた。
「で、実際どうなの?」
「どうなのって、さっきのやり取りお前も見てただろ……」
どうにかこうにか、俺は察しろと言わんばかりの言葉を紡いだ。この返事で広瀬が納得するとは到底思っていない。きっと深く俺達の事を聞いてくる、そう思っていたのだが。しかし予想に反した反応を彼女は見せた。
「うん、見てたけどさ……なんか違和感。さっきの発言で一ノ瀬さんが天谷をどう思ってるかは分かったけど、天谷が一ノ瀬さんをどう思ってるのかが分からないって言うか……」
「……それ、どういう意味?」
驚いた俺がそう聞き返すと、広瀬は身を乗り出して俺に耳打ちをしてきた。
「間違ってたらごめんね?なんか天谷もさ、一ノ瀬さんの事そんなに好きじゃなさそうだなって」
……広瀬美琴、どうやらこいつは俺が思っているよりもずっと鋭い女らしい。だが何でそう思ったんだ?そんな疑問の声は無意識の内に口から出ていた。
「うーん……なんとなく?皆は天谷が一ノ瀬さんに猛アタックして、優しい一ノ瀬さんが仕方なく付き合ってあげてるくらいにしか思ってないみたいだけど、どうもあたし的にはそんな感じには見えなくて。だからと言って一ノ瀬さんの言ってる事が嘘とも思えないし……不思議な関係だなぁって……」
「……広瀬」
「?何?」
「お前さ、一ノ瀬がどういう奴だか知ってる?」
「え、何それ。しかも質問を質問で返してるし」
「ごめん、でも一ノ瀬の事で何か知ってたら教えてほしい。そうしたらお前の質問にもちゃんと答えるから」
「な、何かって……例えば?」
「その……一ノ瀬がすごい落ち込む事とか知らないかなって。例えば……無いとは思うけど、いじめにあってるとかさ」
「いじめ!?あの一ノ瀬さんが!?ないない!絶対無い!人気者の一ノ瀬さんがいじめのターゲットとかありえんて!そんな噂聞いた事無いし、むしろ良い噂しか聞かんて!あたしも少しだけ話した事あるけど、可愛いだけじゃなくてすっごく優しいしさ!だから絶対ないない!」
「やっぱりそうだよな……でも可愛いからこそ嫉妬されていじめられるとか、ワンチャンあるかなって」
「天谷、あんた漫画の見過ぎ。例外もあるけど、現実では可愛い女の子は女子からも割と好かれて憧れの的となります」
「そ、そうなのか?」
「そうそう。お勉強になって良かったね」
少し馬鹿にされてる感が鼻に付くが、ゴシップ好きの広瀬がこう言っているのだ。やはりいじめの線は無いと見ていいだろう。これで1つ、一ノ瀬の自殺に関する候補が消えた。
「……それで、そろそろあたしの質問にも答えてくれる?」
「ああ、俺と一ノ瀬が本当に付き合ってるか、だよな。正解はお前が思ってる通り、本当は俺達付き合ってなんかいません。お互いに好意もありません」
「やっぱそうでしょ~!?あたしってすげー!……でもさ、だったら何で一ノ瀬さん、付き合ってないって否定しないんだろうね?」
「俺が知るかよ……。なんか俺、あいつのパシリって感じになっちゃったし、振り回して楽しんでんじゃね?」
「パシリ!?何でそんな事になっちゃったの!?」
「……話すのは本当に色々と大変だから割愛」
「えぇ~?聞かせてくれないんだ……」
「大人の事情ってやつだよ。でもこのパシリ契約も、後1ヶ月程で契約解除だから、それまで俺は何とか耐えるしかないって訳」
「何それ……意味分からない。本当にめちゃくちゃ気になるやつじゃん……」
そう言ってむくれた顔をして見せた広瀬だったが、しかしすぐに嬉しそうな顔を俺に向けてきた。
「……何だよ、ニヤついて気持ち悪いな」
「だって、すごく嬉しいんだもん」
「は?何が?」
「天谷が、一ノ瀬さんと付き合ってない事が……嬉しくて」
「……え?ひ、広瀬……?待って、それどういう……」
見つめた広瀬の顔はいつの間にか真顔で、頬は紅潮していた。俺の顔は焼けるように熱かった。多分、俺の顔も真っ赤に違いない。
「……そ、それって……もしかして……あの、その……」
「……」
「……もしそうなら、展開……早くね……?さすがに冗談だよな……?」
「……」
広瀬は無言だった。ただ真っ直ぐ俺の目を見つめている。その目の真剣さに、嘘や冗談を言っているようにはとても思えなくて。次第に顔を合わせる事も出来なくなり、ただテーブルを見つめる。今広瀬はどこを見て、どんな顔をしているのだろうか。少しだけ顔を上げて確認しようとした時、こちらに近づいてくる足音に気付いた。
「天谷君、皆と話し込んじゃってごめんね?そろそろ私とお話しますか!」
足音の正体は一ノ瀬だった。正直気まずい空気だったのでここでの登場は非常に有難かったのだが、普通じゃない空気を察した一ノ瀬は俺と広瀬を交互に見てニヤニヤしながら「私、邪魔?もっかい席外す?」等と言ってきた。周りから付き合っていると見做されているのに、彼氏(仮)と別の女を2人きりにしようとするとは……この女も広瀬同様神経の図太い女である。
「ううん、大丈夫。あたしが向こうに行くからさ、一ノ瀬さんは天谷とお話して」
「ひ、広瀬、あの……」
「じゃあね天谷、また今度」
広瀬は未だに赤い顔を下に向けながら、他の女子生徒達の所へ去って行った。そんな広瀬の様子を見て動揺を隠せない俺だったが、きっと気のせいなのだろうと思い直す。広瀬が俺の事を好きだなんて、これはよくあるモテない男の勘違いというやつに違いない。うん、きっとそうだ。心の中でそう繰り返して、未だ飲み物を注文出来ていない俺は、置いてあったお冷でカラカラの喉を潤した。
「ふーん、広瀬さんって天谷君の事好きなんだね」
一ノ瀬がそう呟いた瞬間、水が変な所に入ってむせた。吹き出さなかっただけマシだろう。
「ちょ、天谷君大丈夫……?」
「おまっ……がっ……変な事っ、言うからっ……!!」
「いやどう見たってそうじゃん!分かり易過ぎるよ!」
一ノ瀬の言葉を聞き、もしかしたら俺の勘違いではない、という事に少しばかり安堵する。しかし広瀬との出来事が"夏の終わりまで一ノ瀬と過ごす"という事への障害になりそうな予感がして、俺は戸惑った。その証拠に、せっかく一ノ瀬と2人きりで会話しているというのに、結局彼女の自殺の真相や夏の終わりという期限について何も探りを入れられず、それどころか一ノ瀬との会話はまったくと言っていいほど記憶に残らなかった。
ただ俺はその日、ずっと広瀬の事ばかり考えていた。
――
あれから4日後の7月24日、俺は大きな公園に来ていた。子供達の騒ぐ声を背に、ただ只管待ち合わせ相手が来るのを待っている。その相手というのは一ノ瀬詩音と……広瀬美琴だ。
20日の日、カフェテリアから出る直前、一ノ瀬はいきなり広瀬を呼び寄せた。一体何してんだこいつと思いながらその光景を眺めていると、なんと一ノ瀬は24日の日にこの3人でどこかへ遊びに行かないかと言い出したのだ。俺も広瀬も驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。勿論広瀬は遠慮をし断りを入れてきた。そりゃそうだ。さすがにあの広瀬でも、俺と一ノ瀬の関係が偽りだと知っていてもさすがに割って入るのは気が引けたのだろう。しかし俺の顔をしきりに伺う広瀬の本心を察してしまった俺は「まぁ、もし広瀬が嫌じゃないのなら……」なんて曖昧な言葉を投げかけたのだ。これに関してはハッキリしなかった俺自身も悪い。だが俺のその曖昧な言葉を聞いた広瀬は、俯きながら少しばかり顔を綻ばせ「じゃあ……行こうかな」と、普段の彼女からは想像も出来ないような畏まった態度でボソッと呟いた。そんな広瀬を見て、彼女を拒める男が居るのなら見てみたいな……と、自分を正当化するには十分だった。
こうして俺達3人は24日に遊びに行く事になった訳なのだが、その場所として候補に挙がったのがこの公園だ。なんでも一ノ瀬曰く、デートなら手始めにカフェで良いのだが、友達としてまだそんなに親交を深めていない間柄なら、まずは公園が妥当ではないかとの事だ。あいつの理論はまぁ、よく分からんが……。
ちなみにこのデートというのは、偽りとはいえ一応周りの人間から付き合っていると見做されている俺と一ノ瀬……ではなく、どうやら俺と広瀬がするために一ノ瀬が用意したものらしい。はっきり言って意味不明だ。この女は何を考えているのだろうか?理解を超えた事ばかりする一ノ瀬に対して苛立ちばかりが募る。当然訳の分からない状況なのだから会話等弾む訳もなく、俺たちはただ大きな公園を散歩していた。
「……」
「……」
「……」
沈黙が、痛い……。
勿論会話を盛り上げる努力はした……が、生憎俺は話すのが得意ではない。俺と違って人気者の一ノ瀬が率先して会話を盛り上げてくれればいいのに、当の本人は俺と広瀬の少し後ろを歩いている。どうやら俺と広瀬に対して余計な気を回しているらしい。俺は一ノ瀬の行動に対して更に苛立ちを覚え、遂に拳を握り締めた。
一方の広瀬は一ノ瀬程ではないが俺よりも圧倒的に友達が多いし、特段口下手でもない。しかし……自分で言うのもなんだが、どうやら俺の事を意識していて上手く喋れないようなのである。カフェでの告白の一件以来ずっとこんな調子だ。それ以前の彼女からは想像もつかない変貌ぶりで、だからこそ俺も余計に意識してしまう。広瀬に対するこの感情がどういったものなのか、まだ判別するのは難しい。だが、少なくとも悪いものではないという事は確かだった。
しばらく経った頃、突然広瀬がトイレに行きたいと言い出した。本当に行きたい気持ちもあるだろうが、この沈黙に耐えかねたというのが大きいだろう。宛てのない散歩からトイレ探しへと変更になった訳だが、しかしいくら清潔な公園といっても公衆トイレを使いたいとはあまり思えない。
「ねぇ、コンビニ寄っていい?公園のトイレは、ちょっとね……」
どうやら広瀬も俺と同じ意見だったらしい。俺達は公園から出て近くのコンビニへと向かう事にした。
コンビニに到着し、広瀬が店内に入っていくのを見送った俺は店の前で待機……するつもりだったのだが、一ノ瀬に背中を押され、図らずも入店する羽目になってしまった。
「おい!俺は外で待つって!」
「いいじゃんせっかく来たんだし!ジュースとかアイスとか買おうよ!何でそんなに嫌がるの?暑いんだからバテちゃうじゃん!」
「だからいいって!だって俺金持ってきてねーもん!公園しか行かないと思って!」
「いいよそんなの気にしなくて!私が奢ってあげるから!」
「そんな……一応仮とはいえ、彼女に奢ってもらうとか……」
「カフェの時奢ってくれたじゃん!こんなのただのお返しだって!」
しばらくすったもんだしたが俺は結局根負けし、2人でジュースやらアイスやらを物色する事にした。
「天谷君はどういうアイス食べるの?」
「えっと……チョコレートのやつとか」
「もしかして甘党?意外だね。抹茶とか好きそうだと思ってた」
「抹茶はあんまり得意じゃないな……」
「ふーん……ならこのアイスは?」
「ああ、それでいい」
「じゃあ後は私と広瀬さんの……あ、広瀬さんにどのアイスにするか聞いてないや。困ったなぁ……」
「何で?別に戻ってきた時に何食べるか聞けばいいじゃん」
「いやいや、それじゃあ私の奢りだってバレるでしょ。天谷君が奢ってくれたよって言った方がかっこつくし、広瀬さんも喜ぶって」
一ノ瀬はそう言って、また俺と広瀬に気を遣う発言をした。
店内に人は疎らで、俺達の声ばかりが響く。ここは真剣な話なんてまったく似つかわしくない空間だ。
それなのに、俺はずっと彼女に対して抱いていた苛立ちが、等々我慢ならないものになっている事に気付いた。なんせ、広瀬は今ここには居ないのだ。俺を止められるであろう者が今、この場に。
そう思うと、自然と俺は口を開いていた。
「……一ノ瀬」
「ん?なぁに天谷君」
アイスから視線を逸らす事なく返される返事に、更に苛立ちを覚えた。
「お前は一体、何がしたいんだ」
少し語気の強いその言葉で、彼女はようやくアイスから視線を外し、俺の目を見た。
「……何が?」
「とぼけるなよ。お前俺に"生きたいと思わせて"なんて言ってきたくせに、何で自分そっちのけで俺と広瀬の仲を縮めようとしてるんだよ。やってる事意味分かんねぇだろ」
「……ここ、コンビニだよ。そんな話する場所じゃないんじゃないかな」
「おい、誤魔化すなよ」
俺から距離を取ろうとする一ノ瀬の腕を強引に掴む。何事かと他の客や店員が怪訝な顔で見ていたが構いやしなかった。
「ちょっと……天谷君、痛いってば」
「お前俺をおちょくってたのか?あの言葉は真剣に悩んで出た言葉じゃなかったのか!?」
抑えられない苛立ちを、この似つかわしくない場で彼女にぶつけた。
"生きたいと思わせて"というこいつのあの言葉。あの言葉があるから、俺はこいつの無理難題に付き合っているのだ。勿論俺にも付き合わなければいけない理由があるからなのだが、それでも真剣に応えようとしている俺に対して一ノ瀬が言う事と言えば広瀬の事ばかりなのだ。別の女と俺の仲を取り持とうだなんて、真剣に悩んでいる女のする事なのだろうか。そう思えばまた、俺の怒りは更に増した。
しかし対する一ノ瀬は怯む事なく、冷静に口を開いた。
「なに……?まるで私の方から天谷君を頼ったみたいな言い方に聞こえるんだけど。最初に私に接触して来たのは天谷君の方でしょ?」
「お前こそ何だよその言い方……大体俺がお前に話し掛けなかったら、お前はあの時……!」
「……飛び降りたよ。何で止めたの?君には何も関係のない事だったじゃん」
「目の前で飛び降りようとしてるのに、関係ないから放っておけってか!?」
興奮した俺は、まるで善意で一ノ瀬を助けたかのような口ぶりで捲し立てる。自分の中の矛盾に対し胸がチクリと痛んだ。だがそんな事を知る由もない一ノ瀬は、俺の仮初の善意に釘を刺す。
「そうだよ、放っておけばよかったって言ってるんだよ。実際君は"良い事"したせいで、私にこうやって迷惑掛けられまくってるじゃん。むやみに他人の事に首突っ込むべきじゃなかったんだよ」
「だったら"生きたいと思わせて"なんて最初から言うなよ!俺をおちょくるにしても、もっと別の事を……!」
「あ、あの……お客様……ここは店内ですので……」
見兼ねた店員が俺達に割って入ろうとする。しかし俺の口はそれでも止まらなかった。
「俺は真剣なんだよ!本気でお前を止めたくてお前に付き合ってるんだ!なのに少しも理由を話さないし、それどころか俺に対して広瀬の事ばかり……!もういい加減に――」
「何喧嘩してるの、2人共」
背後から掛けられた声に、ゆっくりと振り返った。いつの間にかトイレを済ませた広瀬が驚いた顔で立っていた。
俺はここでやっと我に返った。
「あの……すみませんでした……」
店員に向き直り、か細い声で謝罪をするも、店員の怪訝な顔は変わらずである。俺は居た堪れなくなってすぐさまコンビニを出ようとしたが、さっきとは真逆で今度は俺が一ノ瀬に強引に腕を掴まれた。
「何勝手に出ようとしてるの。まだアイスもジュースも買ってないじゃん」
「いや、だって……こんな状況で……」
「いいからほら、アイスはこれでしょ?なら次ジュース好きなの選んで。広瀬さんも、私が奢ってあげるからアイスとジュース選んで」
「え、いいの?」
「うん、いいよ」
一ノ瀬はまるで何事も無かったかのようにまた商品を物色し始めた。俺には無いメンタルの強さだ。飛び降りをしようとしていた奴だなんて未だに信じられない。他の客や店員から向けられる視線に俺と広瀬は萎縮するも、一ノ瀬だけは相変わらず何食わぬ顔で買い物を済ませ店内を後にしたのだった。
先ほどの公園に戻り、俺達は無言のままベンチに腰を下ろした。アイスを袋から開ける音だけが俺達の間に響く。俺が発端で気まずさを増したこの空気を何とかせねばと考えていたが、相変わらず言葉が出てこない。しかし、こんな時でも想像を超える言動をするのはやはり一ノ瀬だった。
「見て!アイス当たりだよ!すごくない!?またアイス食べられる!やった!」
さっきの事など一切気にしていないのか、一ノ瀬は俺に当たり棒を自慢げに見せてきた。
「あ……うん、すげーじゃん……」
「てか一ノ瀬さん、アイス食べるの早くない?うちらまだ食べ始めたばかりなんだけど……」
「うん、今日も相変わらず暑いから、アイス一気に食べちゃった!」
ほんと夏だよねぇ……なんて呑気な物言いでおどけてみせる。さっきの重苦しい雰囲気を一ノ瀬が破ってくれたおかげで、広瀬も徐々に口を開き始めた。
「ありがとね、一ノ瀬さん。今度はあたしが奢るから」
「今度って事は、また一緒に遊んでくれるの?さっきコンビニですごいもの見せちゃったから、もう私達に付き合ってくれないかと思ってた」
「あ……そういえば、2人とも何で喧嘩してたのか、聞いても大丈夫?何かあった……?」
「……」
俺は何も言う事が出来ずに一ノ瀬を見た。彼女は何と答えるのだろうか。本心を言わない彼女の事だ、きっと本当の事は話さないだろう。
「……すっごく下らない事で申し訳ないんだけど、実はどっちが奢るかで揉めちゃったんだよね~。ほら、前にカフェで天谷君に奢って貰ったからさ、今度は私が奢るって言ったんだけど……まぁ天谷君も男の子だからね。全然譲らなくて、お互い何時の間にかヒートアップしてああなっちゃったんだよね……。見苦しいもの見せちゃってごめんね?広瀬さん」
やはり俺の予想は当たっていて、彼女はまたおどけながら答えた。だが、その言い訳はさすがに無理があった。
「嘘だよね、一ノ瀬さん。そんな理由での喧嘩じゃないでしょ」
「……あは、やっぱバレた?」
嘘が見透かされているというのに、相変わらずの飄々とした態度だった。だが嘘がバレても一ノ瀬が広瀬に本当の事を話すとはとても思えない。だから俺は2人の間に割って入った。
「俺が一ノ瀬に嫌な事を言っちゃったんだよ。理由は……ごめん、詳しくは話せないけど……。でもとにかく、あんな場所で気まずい思いさせてごめんな、2人とも」
「いやいや、冷静に考えれば事の発端は私だし、こっちこそごめんね」
「まぁ、よく分からないけど……2人とも仲直り出来たし、いいんじゃない?」
どうやら上手く事を収める事が出来たみたいだ。しかしこんな最悪な時間を過ごさせてしまったのだ。一ノ瀬はともかく、広瀬はもう付き合ってはくれないだろう。
そう思っていたのだが……。
「よし、じゃあ仲直りしたし、今度は3人で海に行こうか!」
「お!いいね!行こ行こ!」
なんと広瀬から海のお誘いときた。対する一ノ瀬もかなり乗り気だ。当初は会話なんてものはまったく無かったのに、気付けば女子2人は盛り上がって会話に熱中していた。こういう時の女子は本当に不思議だ。
その様子を戸惑いながらしばらく眺めていたら、何時の間にか俺のアイスは溶けて地面に落ちていた。
会話に熱中している女子達よりも早くジュースを飲み干し、1人目当てのゴミ箱へと向かう。ゴミ箱はベンチから離れた指定の場所にあるから歩かなければならず面倒なのだが、しかし今は1人になりたかったのでとても都合がよかった。
これから俺はどうしたものか……。
2人から離れ早速物思いに耽る。"生きたいと思わせて"なんて言われたというのに、実際まだ何も進展していないというのが現状だ。それどころか一ノ瀬は何時の間にか広瀬と打ち解けている。だがそれでいいのかもしれない。俺じゃなきゃ駄目なんて事はないのだ。このままもっと広瀬と打ち解けて、広瀬が彼女を救ってくれるのならそれは願ってもない事だ。
そんな事を頭の中でぐるぐる考えていたせいか、背後から聞こえてくる足音に気付く事が出来なかった。
「どーん」
「!?」
背中に何かがいきなりぶつかった。いや、声で分かる。一ノ瀬だ。一ノ瀬が俺の背中に勢いよく突っ込んできたのだ。
「おい……どうしたんだよいきなり。お前俺にそんな事するような奴だったか?」
「え?何その言い方。もしかして私達、まだ喧嘩中だった?」
相変わらず飄々としている。もう見慣れてしまった態度で、突っ込むのも馬鹿らしい。
「で?何しに俺の所に来た?広瀬はどうしたんだよ」
「んー?天谷君と話あるから待っててって言って置いてきた。さっきの事、軽い謝罪で終わらせちゃったけど、私からもっとちゃんと謝りたいからってさ」
「いいって、もう終わった話だろ。大体広瀬にそんな言い方したら変に勘繰られるだろ。自分が想像してた以上の喧嘩内容だったんじゃ、とか」
「だって終わった話じゃないじゃん。コンビニで話す内容じゃないから拒否ったけどさ、あの話はなぁなぁにしていい話じゃないでしょ。まぁ、何より私もあの時は冷静じゃなかった……アイスを食べて頭冷やした事だし、お互い冷静になった今もう一度話し合おうか」
確かにこいつの言う通りだった。ここで曖昧にしてしまえば、こいつとは今後腹を割って話せなくなる気がする。何かあってこいつにまた死なれては困るのだ。せっかく一ノ瀬自身が話し合いの機会を与えてくれたのだし、冷静になった今もう一度彼女に問い質してみる事にした。
「じゃあもう一度聞くけど、何でお前は俺と広瀬の仲を取り持とうとしてるんだ?周りから付き合ってると思われてるのは俺とお前だぞ?お前が皆の前で付き合ってないってちゃんと言わなかったからだ。なのにずっと自分そっちのけで俺と広瀬の事ばかり……やってる事がめちゃくちゃだろ。あの時、屋上で俺に言った言葉は本心じゃなかったって事か?」
「……本心だよ。あの場面でふざけて言う訳ないでしょ。あと、付き合ってるのを否定しなかったのは別にそう思われてもいいと思ったから」
「そう思われてもいいって……どういう事だ?」
「そのままの意味だよ。別に不快じゃないから。天谷君なら本当に好きになれるかもしれないでしょ。今の所全然好きじゃないけどね」
「……そ、そうか……」
只でさえ暑いのに、一段と体温が上がった気がする。最後の一言はまぁ、余計だったが……。
「天谷君と広瀬さんを近づけようと思ったのはね、私が2人にとって邪魔なんじゃないかって思ったからだよ」
「……え?じゃ、邪魔って……?」
「ねぇ、もうやめようか?この関係」
想定外の言葉に今度は体温が下がったようだった。俺はただ間抜けな顔で彼女を見た。
「私と君の契約は今日で終わり。君は晴れて私から解放されるよ」
「や、やめるって……そんな急に……。ていうか今ここでやめたら、お前はどうなるんだよ」
「……」
「おい、なんとか言えよ!」
彼女は何も答えなかった。吹き出る汗が止まらない。暑さのせいなのか、それとも……。
「……お前が死ぬつもりではなく、ただ俺との関係を断ちたいって言うなら俺は止めない。俺じゃなくて広瀬の方が相談し易いからって言うならそれでもいいんだ。あいつなら俺よりもちゃんと相談に乗ってくれるはずだ。でも、やっぱり死にたいからっていう理由なら話は別だ!」
「そんなに私が死ぬのを止めたいの?」
「当たり前だろ!ていうかやっぱりまだ死ぬ事考えてるんだな!」
「うん、考えてるよ」
「なっ……そ、それなら何で俺に生きたいと思わせてなんて――」
「ねぇ天谷君、どうして?」
「え?」
「どうして私が死ぬのを止めたいの?」
「どうしてって、そんなの前も答えただろ……死のうとしてる奴が居たら止めるのは当たり前だからって……」
「……やっぱりさ、何となくそんな理由で止めたとは思えないんだよね」
図星を突かれて心臓が飛び跳ねる。嘘を見抜かれたが正直に説明した所で信じて貰えないだろう。"繰り返す夏を脱するためです"なんて、頭のおかしい人間の妄言と思われても不思議ではない。
「やっぱり私の事が好きだからとかじゃないの?」
返答に困っていたため答えを推測してくれるのは有難いのだが、しかし相変わらずズレた回答だ。
「それも前答えたはずだけど。……正直悪いが、一ノ瀬の事はまだそんなに……」
「ふーん……じゃあ広瀬さんの事は?」
「な、何でそこで広瀬が!」
「いいから、ねぇ広瀬さんの事は?」
「ひ、広瀬は……その……」
「やっぱり広瀬さんに気があるんじゃん。だからもっと2人を近づけようと思ったのにさ。ていうか、私に構ってる暇があるなら広瀬さんともっと交流しなよ」
「そ、それはお前との約束を果たした後でだ」
「……真面目だね」
「そんな事より、いい加減少しくらい教えろ。何でお前死のうとしてるんだ。あまり他人の事に口出すのは良くないって分かってるけど、協力者として少しくらい聞く権利はあるはずだ。辛いなら詳しくは話さなくていい。だけどせめて、ほんの少しだけでも……」
「……そうだね、じゃあ少しだけ話そうか」
またどうせはぐらかされる。そう予想してのダメ元の問だったのだが、しかしそうではなかった。
彼女の死の真相に迫れる――
俺はただ、じっと彼女の目を見据えて言葉の続きを待った。
「私ね、会いたい人がいるの」
彼女は静かに、それだけを告げた。
それって、つまり……
「……死ななきゃ会えない人がいるって事か……?」
「うん、そうだよ」
だってもう、こっちに来ているはずだから。
彼女が続けたその言葉に強い既視感を覚えた。あれは、いつの日の出来事だっただろうか。
俺は遠い昔、祖母と交わしたある会話を唐突に思い出した。
『ねぇばあちゃん、外もう暗くなってきたよ。まだ家に入らないの?』
俺はあの時、家の前で微動だにしない祖母を不審に思い声を掛けたんだ。
祖母は俺を振り返る事なく、まっすぐ前を見つめてこう返した。
『ばあちゃん、あの人に会いたいのさ。こっちに来ているはずだからね』
『……あの人って?』
『あんたのお爺さんさ。一昨日初夏祭り、やっただろう?だからもうその季節なのさ』
『じいちゃんが来てる……?あ、もしかしてお盆ってやつ?』
『いいや、違うよ。お盆と似てるけど、また別さ。この村の夏はね、特別なんだよ』
ここ青滝村では、夏の始まりを告げる"初夏祭り"の日に死者が戻ってくる。そして夏の終わり、"晩夏祭り"が終わると共に彼らはまたあの世へと帰っていく。
そうだ、俺が"この村の夏"の事を知ったのは、確かこの時だったはずだ。
「……やっぱり、そういう事なのか」
"夏の終わり"という期限の意味は、俺の予想した通りこの村に関係していたのだ。ようやく知り得た情報だったが、それでも疑問はまだある。
俺の祖母は所謂視える人だった。だが一ノ瀬はそうではないのだろう。だからこそ死を選び、会いたい人の元へ……そう考えているのではないだろうか。しかし、そうであればやはり"生きたいと思わせて"という言葉が疑問に残る。もしやその人の事を諦めさせてほしいという事なのだろうか?
「……」
その問いに一ノ瀬からの返答はなかった。今日はもうこれ以上この話をするつもりはないのだろう。
この時、俺はそれ以上深く聞く事をやめた。また後日、話したくなった時に聞かせてくれればいい。俺達は最初と同じようにただ黙って公園内を歩き、広瀬が待つベンチへと戻った。
――
「じゃあ私はここで。次は27日、3人で海だからね」
「うん、じゃあね一ノ瀬さん」
「じゃあな」
時間は午後6時。辺りは暗くなりようやく帰路に就く。その途中、一ノ瀬と別れ俺と広瀬の2人きりとなった。彼女を意識してしまうせいか、一ノ瀬と2人きりの時よりも気まずい時間が流れる。しばらくお互い無言だったが、広瀬が口を開いた。
「天谷……今日は、誘ってくれてありがとう。楽しかったよ」
「本当にそう思ってるか?最初は無言の散歩、次はコンビニでの喧嘩目撃……嫌な場面の方が多かったように思うけど」
「まぁ、最初は気まずかったけど、最後は割と打ち解けてたじゃんか」
「お前と一ノ瀬はな」
何気なく発した一言に、広瀬の足取りが止まった。俺は異変を感じ振り返る。失言だっただろうか。
「一ノ瀬さんと天谷にとって、あたし邪魔じゃなかった?」
驚いた。広瀬も一ノ瀬と同じように自分が邪魔になっているのではと感じているだなんて、思ってもみなかったのだ。
「いや、別に……なってないけど。そもそも俺が一ノ瀬をそこまで好きなように見えないって言ったのお前だろ」
「でもなぁ、やっぱり気にしちゃうよ。これから天谷と一ノ瀬さんが仲良くなっていくかもしれないのに。ノリで海行こうなんて言ったけど、実はちょっと後悔しちゃってるんだよね。てかカフェの後で一ノ瀬さんに誘われた時も、初めから断っておけばよかったかな……とかも考えたしさ。だって今日の2人の喧嘩、あたしが原因なんでしょ?広瀬の事がどうのこうのって天谷が言ってるの、聞こえちゃったし」
「ち、違う!誤解だ!あの喧嘩に広瀬は一切……いや……とにかく、広瀬のせいじゃないから!」
彼女の予想外の発言に慌てて"一切関係ない"と言おうとしたのだが、喧嘩内容を思い出し途中しどろもどろになってしまう。広瀬が一切関係ないかと言われればそうではないのだ。
あの時、一ノ瀬に問い質した内容は"何故俺と広瀬の仲を取り持とうとしているのか"が主なのだから。
「言い淀んだ……アンタも嘘が下手だね天谷」
案の定広瀬には嘘を見破られてしまう。彼女に嘘は通じないと嫌でも思い知っているはずなのに、下手な嘘で乗り切ろうとしてしまった俺が悪い。
「……ご、ごめん……でも広瀬が悪いとかじゃないってのは本当だから、信じてほしい。俺はお前を邪魔だとか嫌だとか、全然思ってないから」
諦めて正直な気持ちを白状した。あまり深く考えずに発言したのだが、対する広瀬の反応は予想外なものだった。
「……本当?」
彼女は少し嬉しそうな顔で、けれど俺の言葉が本心かどうか分からないからなのか、不安そうに両手を胸の前で握り締めていた。そこまで彼女の感情を揺さぶる発言をしただろうかと一瞬戸惑ったが、しかし彼女のその姿を見て俺も少しだけ態度を柔らかくする。
「ねぇ天谷……あたし、邪魔じゃないならさ、本当に海行ってもいんだよね?」
「当たり前だろ。てか海行こうって言ったのは広瀬なんだから、お前が行かないのはおかしいだろ」
「そっか……そうだよね……」
また沈黙が流れる。どうしたものかと考えていたら、やはり口を開いたのは広瀬だった。
「あのさ……1ヶ月後、もし天谷が一ノ瀬さんのパシリじゃなくなったらさ。その時……その時は天谷、あたしと……」
まるで内気な少女のようにもじもじとする広瀬。俺はここ最近、今まで想像も出来なかった彼女の姿を何度も見た。俺に対する感情が、さすがに冗談やからかいの類ではないと理解している。
彼女の言いたい事はとっくに予想がついていた。
「……俺のどこがいいの」
消え入りそうな声で呟いたが、彼女の耳にはちゃんと届いたらしい。彼女は少しだけ思考し、ただ一言「何でだろう」と答えた。
「おい、何だその回答は」
「だって、分かんないんだもん。どこがいいか説明出来ないけど、でも気になっちゃう……みたいな?」
恋愛というのは、そんなものなんだろうか。なんせ俺は人を好きになった経験がないのだ。でも、広瀬の言う事は何となくだけど分かる気がする。
「……広瀬、俺さ……正直まだ広瀬をそういう意味で好きかってのは曖昧なんだけど……でも、本音を言うと……俺も何故か、広瀬の事、気になっては……いる……かもしれない……」
我ながら情けない返答だ。だがこれが俺の精一杯なのだ。
恥ずかしさに彼女の顔を見る事が出来なかったのだが、クスっと小さく笑う声が聞こえて、俺はようやく恐る恐る彼女の顔を見た。
彼女は先程よりも嬉しそうな顔で微笑んでいた。あんな曖昧な言葉で返答にもなっていないというのに、それ程嬉しかったのだろうか。
「ごめん……ハッキリしなくて。……でも、まだ広瀬とどうなるかとかは何も考えてなくて……」
「ううん、いいの。気になってくれてるだけで嬉しいから」
それじゃあ真っ暗になる前にさっさと帰ろうか!そう言って広瀬に手を引かれた。女子と手を繋いで歩くなんて小学校低学年以来で、俺の心臓は忙しなく動いた。
俺のこの夏休みは、一ノ瀬の自殺を止めるための、憂鬱と不安だらけの日々になるはずだった。だが広瀬との仲が深まり、俺はこの夏に少しばかりの期待をしてしまっている。
一ノ瀬の死を止める事に集中しなければいけないというのに、情けなくも浮ついてしまったのだ。
だからこそ、この後起こる悲劇に耐える事が出来なかった。
2025年7月20日、夏休み初日。それが今日の日付だ。あの日、一ノ瀬の自殺を止めた7月14日、あれからもう6日が経過している。彼女は現在普通に生活しており、今日も会う約束をしている。やはり時間のループを止める鍵は一ノ瀬の生死なのだろう。一体どういう理屈なのだろうか。今起きたばかりの冴えない頭で考えてみたところで分かるはずもないが(かと言ってこんな非科学的な事を冴えた頭で考えてみたところで結果は同じだろう)、俺はベッドの上でひたすらウーンと唸り声を上げながら思考していた。だがそれも、突如鳴った腹の虫に遮られるのだった。
早々に朝食を済ませ、時計を見遣る。午前11時過ぎ、まだ一ノ瀬との約束の時間まで約2時間もある。俺は支度をしながら次こそは冴えた頭で思考を巡らせた。それはもう1つの疑問、何故一ノ瀬は"夏の終わりまでに生きたいと思わせて欲しい"等と言ってきたのかについてだ。わざわざ"夏の終わり"と期間を設けているのにはきっと深い理由があるに違いない。勿論これに関しては本人に直接聞いてみた。聞いてみたのだが、いつも笑ってはぐらかされて終わった。どうやら理由を話すつもりはないらしい。そもそも自殺の理由すら未だ不明のままなのだ。
……何だよ、俺は一応協力者なのに……。
自殺の理由については未だ分からず終いだが、この"夏の終わり"については、実は少なからず思い当たる節はあるのだ。それは俺達が住んでいるこの土地に関係している事なのだが、しかしそれが関係しているのかはあくまで俺の想像であって、真相についてはやはり本人に直接聞くしか無いのが現状だ。だが本人が答えない以上、少しずつ探りを入れていくしかないのかもしれない。そしてこの俺の不思議な力、タイムリープについても少しずつ考えていかなければならない。
……もっとも、この不思議な力に関しても、思い当たる節はあるのだが……。
――
午後1時、俺は一ノ瀬との待ち合わせ場所であるカフェテリアに来ていた。俺達が住んでいるのは青滝村という田舎なのだが、皆が思い描くようなThe・昔の村という訳でもなく、それなりにおしゃれな店もまぁまぁある。そのおしゃれな店の中でも、ここは特に学生達には人気のスポットだ。と言っても俺のような冴えない男には縁も所縁もない場所だったため、今回初めて利用する事になる。店内に入ってみれば、やはり……というべきか、同じ学校の女子グループがそこかしこに居た。その中には少数だが男も混ざったグループが存在していたが、俺とは明らかに違う陽のオーラを放っていて、俺は忽ち居たたまれなくなった。だがそんな俺をまったく気にする事なく、一ノ瀬は同じクラスの女子グループを見つけてはにこやかに歩み寄っていく。女子達と楽しそうに会話をする一ノ瀬からは、あの日初めて会話した時に感じた仄暗い雰囲気等一切無い。クラスの人気者だしあり得ないとは思いつつ、一応脳内会議で一ノ瀬の死にたい理由の1つに"いじめ"を候補として挙げていたのだが、その線はやはり薄いのだろうか。
しばらく一ノ瀬達の様子を眺めていると、背後からいきなり声を掛けられた。
「よぉ!天谷じゃん!こんな所で会うなんて奇遇だな!」
「なぁなぁ、お前一ノ瀬と一緒に店入ってきたよな?もしかしてお前、一ノ瀬と付き合ってんの!?」
あまりにも大きな声で発せられた2人組の男子の声に、店内は一気に静まり返った。意図せず注目の的となってしまった俺は益々萎縮してしまったのだが、そんな事はお構いなしに囃し立てる声は尚も止まらない。
「……その反応、やっぱそうなの!?すげーじゃんお前!あの一ノ瀬となんて!」
「なぁ一ノ瀬!お前天谷のどこに惚れたの!?」
まったく仲良くもない、ましてや別のクラスの男子2人組に馴れ馴れしく一ノ瀬との関係性について聞かれる。俺はもうこの時点で既に帰りたかったが、一ノ瀬に付き合うと約束した手前、彼女を置いて帰る訳にはいかなかった。それに俺と一ノ瀬は交際している訳ではない。その誤解も今ここで解いてやらないと、さすがに一ノ瀬が可哀想に思えた。俺が誤解を解くために口を開こうとした瞬間、一足早く一ノ瀬が口を開いた。
「んーそうだね……実はまだ惚れる程一緒に居る訳じゃないし、むしろ話もそんなにした事無いから天谷君の事全然知らないんだけど、でも天谷君と居るの、悪い気がしないんだよね……。だからこれから好きになれたらいいなって思ってるよ!」
その言葉を聞いた一同は、物凄く微妙な顔をしていた。ただ「おめでとう」とか「頑張れ」とか適当な言葉を俺達に投げ掛けて、例の男子2人に至っては俺の肩を黙って叩いた。俺は顔から火が出そうだった。なぜ……何故俺達は交際していない事をこの場で告げてくれなかったのか。しかもその言い方だと俺からこいつに告白したみたいじゃないか。俺が一方的にこいつの事が好きで告白して、一ノ瀬がお試し感覚でOKしたみたいじゃないか。確かにこいつには俺から話し掛けた。しかし交際では無いが付き合ってくれと頼んできたのは一ノ瀬の方だ。俺はこいつの相手を後1ヶ月もしなきゃいけないのか?もうこの時点でギブアップ寸前だ。振り回される未来しか見えない。最悪な未来予想をして一気に気分が悪くなった俺は、一旦トイレへと逃げ込む事にした。
トイレから出ると、また最初のように騒がしい店内に戻っていた。一ノ瀬は勿論、賑わう会話の中心人物の1人となっている。俺は元々大勢の会話の中に入っていく度胸も無いような奴なので、隅っこの席に1人座って飲み物を注文する事にした。"生きたいと思わせて"なんて言われたが、彼女とまともに会話すらしていない。しかし今の俺にはどうする事も出来ず、しばらくメニュー表を眺めていた。
すると突然、俺の前の席に誰かが座ったのだ。一ノ瀬か?と思い顔を上げると、そこには別の女が座っていた。
「よ、天谷。寂しそうだったから来てあげたよ」
そいつは俺と同じクラスの女子、広瀬美琴だった。こいつはさっき俺と一ノ瀬の関係性について耳にしたばかりだと言うのに、お構いなしに俺と1対1で会話を試みようとしている。仮初とは言え一応"彼女"が近くに居るというのに、なんて神経の図太い奴だ。
「別に……寂しくないけど?」
「それ、ホントかな~?」
「ホントだって!全然1人で大丈夫だから、広瀬も皆と盛り上がって来いよ。皆何だか楽しそうだぞ」
「……これ、皆に内緒ね?ぶっちゃけ皆の高いテンションに付いていけず疲れてきちゃってて、どうしよっかな~って思ってたのよ。そしたら丁度天谷が戻って来てくれたから、こっそり抜け出してこうして駄弁りに来たってのが本音」
「……」
「まぁ本当に寂しそうだなと思ったのもあるけどね」
「だから寂しくねーって」
「はいはい、てかそんな事より天谷に聞きたい事があるんだけど」
「聞きたい事?何?」
「一ノ瀬さんと付き合ってるって本当?」
「……お前、さっきのが本音じゃなくて、それを聞きたくて俺の所に来た事こそが本音だろ」
「へへ、バレた?」
相変わらず、誰と誰が付き合ってるなんてどうでもいい話が大好きな奴だ。俺と広瀬はクラスでは席が隣同士だし、こいつは人見知りをしないタイプらしいので結構話し掛けてはくるのだが、話す内容はそういうしょうもない噂話ばかりだ。俺自身そんなもの興味無いが、こいつはとにかくゴシップが大好きらしく、あの人があーだのこーだの毎度ベラベラ喋ってくる。だからこそ俺と一ノ瀬の事もスクープだと考えているのだろう。根掘り葉掘り聞かれては最終的に学年中に広まる……そんな未来が見えた。しかしだからと言って、俺と一ノ瀬が本当は付き合ってない等と弁解するのも躊躇われた。弁解したとして、その噂も学年中に流され、一ノ瀬が謎の嘘を吐いたと白い目で見られるなんて事があっては堪らない。俺はとにかく、一ノ瀬の精神に異常をきたすような事はなるべく避けたかった。だから俺は、広瀬の言葉に適当に相槌を打つ事を決めた。
「で、実際どうなの?」
「どうなのって、さっきのやり取りお前も見てただろ……」
どうにかこうにか、俺は察しろと言わんばかりの言葉を紡いだ。この返事で広瀬が納得するとは到底思っていない。きっと深く俺達の事を聞いてくる、そう思っていたのだが。しかし予想に反した反応を彼女は見せた。
「うん、見てたけどさ……なんか違和感。さっきの発言で一ノ瀬さんが天谷をどう思ってるかは分かったけど、天谷が一ノ瀬さんをどう思ってるのかが分からないって言うか……」
「……それ、どういう意味?」
驚いた俺がそう聞き返すと、広瀬は身を乗り出して俺に耳打ちをしてきた。
「間違ってたらごめんね?なんか天谷もさ、一ノ瀬さんの事そんなに好きじゃなさそうだなって」
……広瀬美琴、どうやらこいつは俺が思っているよりもずっと鋭い女らしい。だが何でそう思ったんだ?そんな疑問の声は無意識の内に口から出ていた。
「うーん……なんとなく?皆は天谷が一ノ瀬さんに猛アタックして、優しい一ノ瀬さんが仕方なく付き合ってあげてるくらいにしか思ってないみたいだけど、どうもあたし的にはそんな感じには見えなくて。だからと言って一ノ瀬さんの言ってる事が嘘とも思えないし……不思議な関係だなぁって……」
「……広瀬」
「?何?」
「お前さ、一ノ瀬がどういう奴だか知ってる?」
「え、何それ。しかも質問を質問で返してるし」
「ごめん、でも一ノ瀬の事で何か知ってたら教えてほしい。そうしたらお前の質問にもちゃんと答えるから」
「な、何かって……例えば?」
「その……一ノ瀬がすごい落ち込む事とか知らないかなって。例えば……無いとは思うけど、いじめにあってるとかさ」
「いじめ!?あの一ノ瀬さんが!?ないない!絶対無い!人気者の一ノ瀬さんがいじめのターゲットとかありえんて!そんな噂聞いた事無いし、むしろ良い噂しか聞かんて!あたしも少しだけ話した事あるけど、可愛いだけじゃなくてすっごく優しいしさ!だから絶対ないない!」
「やっぱりそうだよな……でも可愛いからこそ嫉妬されていじめられるとか、ワンチャンあるかなって」
「天谷、あんた漫画の見過ぎ。例外もあるけど、現実では可愛い女の子は女子からも割と好かれて憧れの的となります」
「そ、そうなのか?」
「そうそう。お勉強になって良かったね」
少し馬鹿にされてる感が鼻に付くが、ゴシップ好きの広瀬がこう言っているのだ。やはりいじめの線は無いと見ていいだろう。これで1つ、一ノ瀬の自殺に関する候補が消えた。
「……それで、そろそろあたしの質問にも答えてくれる?」
「ああ、俺と一ノ瀬が本当に付き合ってるか、だよな。正解はお前が思ってる通り、本当は俺達付き合ってなんかいません。お互いに好意もありません」
「やっぱそうでしょ~!?あたしってすげー!……でもさ、だったら何で一ノ瀬さん、付き合ってないって否定しないんだろうね?」
「俺が知るかよ……。なんか俺、あいつのパシリって感じになっちゃったし、振り回して楽しんでんじゃね?」
「パシリ!?何でそんな事になっちゃったの!?」
「……話すのは本当に色々と大変だから割愛」
「えぇ~?聞かせてくれないんだ……」
「大人の事情ってやつだよ。でもこのパシリ契約も、後1ヶ月程で契約解除だから、それまで俺は何とか耐えるしかないって訳」
「何それ……意味分からない。本当にめちゃくちゃ気になるやつじゃん……」
そう言ってむくれた顔をして見せた広瀬だったが、しかしすぐに嬉しそうな顔を俺に向けてきた。
「……何だよ、ニヤついて気持ち悪いな」
「だって、すごく嬉しいんだもん」
「は?何が?」
「天谷が、一ノ瀬さんと付き合ってない事が……嬉しくて」
「……え?ひ、広瀬……?待って、それどういう……」
見つめた広瀬の顔はいつの間にか真顔で、頬は紅潮していた。俺の顔は焼けるように熱かった。多分、俺の顔も真っ赤に違いない。
「……そ、それって……もしかして……あの、その……」
「……」
「……もしそうなら、展開……早くね……?さすがに冗談だよな……?」
「……」
広瀬は無言だった。ただ真っ直ぐ俺の目を見つめている。その目の真剣さに、嘘や冗談を言っているようにはとても思えなくて。次第に顔を合わせる事も出来なくなり、ただテーブルを見つめる。今広瀬はどこを見て、どんな顔をしているのだろうか。少しだけ顔を上げて確認しようとした時、こちらに近づいてくる足音に気付いた。
「天谷君、皆と話し込んじゃってごめんね?そろそろ私とお話しますか!」
足音の正体は一ノ瀬だった。正直気まずい空気だったのでここでの登場は非常に有難かったのだが、普通じゃない空気を察した一ノ瀬は俺と広瀬を交互に見てニヤニヤしながら「私、邪魔?もっかい席外す?」等と言ってきた。周りから付き合っていると見做されているのに、彼氏(仮)と別の女を2人きりにしようとするとは……この女も広瀬同様神経の図太い女である。
「ううん、大丈夫。あたしが向こうに行くからさ、一ノ瀬さんは天谷とお話して」
「ひ、広瀬、あの……」
「じゃあね天谷、また今度」
広瀬は未だに赤い顔を下に向けながら、他の女子生徒達の所へ去って行った。そんな広瀬の様子を見て動揺を隠せない俺だったが、きっと気のせいなのだろうと思い直す。広瀬が俺の事を好きだなんて、これはよくあるモテない男の勘違いというやつに違いない。うん、きっとそうだ。心の中でそう繰り返して、未だ飲み物を注文出来ていない俺は、置いてあったお冷でカラカラの喉を潤した。
「ふーん、広瀬さんって天谷君の事好きなんだね」
一ノ瀬がそう呟いた瞬間、水が変な所に入ってむせた。吹き出さなかっただけマシだろう。
「ちょ、天谷君大丈夫……?」
「おまっ……がっ……変な事っ、言うからっ……!!」
「いやどう見たってそうじゃん!分かり易過ぎるよ!」
一ノ瀬の言葉を聞き、もしかしたら俺の勘違いではない、という事に少しばかり安堵する。しかし広瀬との出来事が"夏の終わりまで一ノ瀬と過ごす"という事への障害になりそうな予感がして、俺は戸惑った。その証拠に、せっかく一ノ瀬と2人きりで会話しているというのに、結局彼女の自殺の真相や夏の終わりという期限について何も探りを入れられず、それどころか一ノ瀬との会話はまったくと言っていいほど記憶に残らなかった。
ただ俺はその日、ずっと広瀬の事ばかり考えていた。
――
あれから4日後の7月24日、俺は大きな公園に来ていた。子供達の騒ぐ声を背に、ただ只管待ち合わせ相手が来るのを待っている。その相手というのは一ノ瀬詩音と……広瀬美琴だ。
20日の日、カフェテリアから出る直前、一ノ瀬はいきなり広瀬を呼び寄せた。一体何してんだこいつと思いながらその光景を眺めていると、なんと一ノ瀬は24日の日にこの3人でどこかへ遊びに行かないかと言い出したのだ。俺も広瀬も驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。勿論広瀬は遠慮をし断りを入れてきた。そりゃそうだ。さすがにあの広瀬でも、俺と一ノ瀬の関係が偽りだと知っていてもさすがに割って入るのは気が引けたのだろう。しかし俺の顔をしきりに伺う広瀬の本心を察してしまった俺は「まぁ、もし広瀬が嫌じゃないのなら……」なんて曖昧な言葉を投げかけたのだ。これに関してはハッキリしなかった俺自身も悪い。だが俺のその曖昧な言葉を聞いた広瀬は、俯きながら少しばかり顔を綻ばせ「じゃあ……行こうかな」と、普段の彼女からは想像も出来ないような畏まった態度でボソッと呟いた。そんな広瀬を見て、彼女を拒める男が居るのなら見てみたいな……と、自分を正当化するには十分だった。
こうして俺達3人は24日に遊びに行く事になった訳なのだが、その場所として候補に挙がったのがこの公園だ。なんでも一ノ瀬曰く、デートなら手始めにカフェで良いのだが、友達としてまだそんなに親交を深めていない間柄なら、まずは公園が妥当ではないかとの事だ。あいつの理論はまぁ、よく分からんが……。
ちなみにこのデートというのは、偽りとはいえ一応周りの人間から付き合っていると見做されている俺と一ノ瀬……ではなく、どうやら俺と広瀬がするために一ノ瀬が用意したものらしい。はっきり言って意味不明だ。この女は何を考えているのだろうか?理解を超えた事ばかりする一ノ瀬に対して苛立ちばかりが募る。当然訳の分からない状況なのだから会話等弾む訳もなく、俺たちはただ大きな公園を散歩していた。
「……」
「……」
「……」
沈黙が、痛い……。
勿論会話を盛り上げる努力はした……が、生憎俺は話すのが得意ではない。俺と違って人気者の一ノ瀬が率先して会話を盛り上げてくれればいいのに、当の本人は俺と広瀬の少し後ろを歩いている。どうやら俺と広瀬に対して余計な気を回しているらしい。俺は一ノ瀬の行動に対して更に苛立ちを覚え、遂に拳を握り締めた。
一方の広瀬は一ノ瀬程ではないが俺よりも圧倒的に友達が多いし、特段口下手でもない。しかし……自分で言うのもなんだが、どうやら俺の事を意識していて上手く喋れないようなのである。カフェでの告白の一件以来ずっとこんな調子だ。それ以前の彼女からは想像もつかない変貌ぶりで、だからこそ俺も余計に意識してしまう。広瀬に対するこの感情がどういったものなのか、まだ判別するのは難しい。だが、少なくとも悪いものではないという事は確かだった。
しばらく経った頃、突然広瀬がトイレに行きたいと言い出した。本当に行きたい気持ちもあるだろうが、この沈黙に耐えかねたというのが大きいだろう。宛てのない散歩からトイレ探しへと変更になった訳だが、しかしいくら清潔な公園といっても公衆トイレを使いたいとはあまり思えない。
「ねぇ、コンビニ寄っていい?公園のトイレは、ちょっとね……」
どうやら広瀬も俺と同じ意見だったらしい。俺達は公園から出て近くのコンビニへと向かう事にした。
コンビニに到着し、広瀬が店内に入っていくのを見送った俺は店の前で待機……するつもりだったのだが、一ノ瀬に背中を押され、図らずも入店する羽目になってしまった。
「おい!俺は外で待つって!」
「いいじゃんせっかく来たんだし!ジュースとかアイスとか買おうよ!何でそんなに嫌がるの?暑いんだからバテちゃうじゃん!」
「だからいいって!だって俺金持ってきてねーもん!公園しか行かないと思って!」
「いいよそんなの気にしなくて!私が奢ってあげるから!」
「そんな……一応仮とはいえ、彼女に奢ってもらうとか……」
「カフェの時奢ってくれたじゃん!こんなのただのお返しだって!」
しばらくすったもんだしたが俺は結局根負けし、2人でジュースやらアイスやらを物色する事にした。
「天谷君はどういうアイス食べるの?」
「えっと……チョコレートのやつとか」
「もしかして甘党?意外だね。抹茶とか好きそうだと思ってた」
「抹茶はあんまり得意じゃないな……」
「ふーん……ならこのアイスは?」
「ああ、それでいい」
「じゃあ後は私と広瀬さんの……あ、広瀬さんにどのアイスにするか聞いてないや。困ったなぁ……」
「何で?別に戻ってきた時に何食べるか聞けばいいじゃん」
「いやいや、それじゃあ私の奢りだってバレるでしょ。天谷君が奢ってくれたよって言った方がかっこつくし、広瀬さんも喜ぶって」
一ノ瀬はそう言って、また俺と広瀬に気を遣う発言をした。
店内に人は疎らで、俺達の声ばかりが響く。ここは真剣な話なんてまったく似つかわしくない空間だ。
それなのに、俺はずっと彼女に対して抱いていた苛立ちが、等々我慢ならないものになっている事に気付いた。なんせ、広瀬は今ここには居ないのだ。俺を止められるであろう者が今、この場に。
そう思うと、自然と俺は口を開いていた。
「……一ノ瀬」
「ん?なぁに天谷君」
アイスから視線を逸らす事なく返される返事に、更に苛立ちを覚えた。
「お前は一体、何がしたいんだ」
少し語気の強いその言葉で、彼女はようやくアイスから視線を外し、俺の目を見た。
「……何が?」
「とぼけるなよ。お前俺に"生きたいと思わせて"なんて言ってきたくせに、何で自分そっちのけで俺と広瀬の仲を縮めようとしてるんだよ。やってる事意味分かんねぇだろ」
「……ここ、コンビニだよ。そんな話する場所じゃないんじゃないかな」
「おい、誤魔化すなよ」
俺から距離を取ろうとする一ノ瀬の腕を強引に掴む。何事かと他の客や店員が怪訝な顔で見ていたが構いやしなかった。
「ちょっと……天谷君、痛いってば」
「お前俺をおちょくってたのか?あの言葉は真剣に悩んで出た言葉じゃなかったのか!?」
抑えられない苛立ちを、この似つかわしくない場で彼女にぶつけた。
"生きたいと思わせて"というこいつのあの言葉。あの言葉があるから、俺はこいつの無理難題に付き合っているのだ。勿論俺にも付き合わなければいけない理由があるからなのだが、それでも真剣に応えようとしている俺に対して一ノ瀬が言う事と言えば広瀬の事ばかりなのだ。別の女と俺の仲を取り持とうだなんて、真剣に悩んでいる女のする事なのだろうか。そう思えばまた、俺の怒りは更に増した。
しかし対する一ノ瀬は怯む事なく、冷静に口を開いた。
「なに……?まるで私の方から天谷君を頼ったみたいな言い方に聞こえるんだけど。最初に私に接触して来たのは天谷君の方でしょ?」
「お前こそ何だよその言い方……大体俺がお前に話し掛けなかったら、お前はあの時……!」
「……飛び降りたよ。何で止めたの?君には何も関係のない事だったじゃん」
「目の前で飛び降りようとしてるのに、関係ないから放っておけってか!?」
興奮した俺は、まるで善意で一ノ瀬を助けたかのような口ぶりで捲し立てる。自分の中の矛盾に対し胸がチクリと痛んだ。だがそんな事を知る由もない一ノ瀬は、俺の仮初の善意に釘を刺す。
「そうだよ、放っておけばよかったって言ってるんだよ。実際君は"良い事"したせいで、私にこうやって迷惑掛けられまくってるじゃん。むやみに他人の事に首突っ込むべきじゃなかったんだよ」
「だったら"生きたいと思わせて"なんて最初から言うなよ!俺をおちょくるにしても、もっと別の事を……!」
「あ、あの……お客様……ここは店内ですので……」
見兼ねた店員が俺達に割って入ろうとする。しかし俺の口はそれでも止まらなかった。
「俺は真剣なんだよ!本気でお前を止めたくてお前に付き合ってるんだ!なのに少しも理由を話さないし、それどころか俺に対して広瀬の事ばかり……!もういい加減に――」
「何喧嘩してるの、2人共」
背後から掛けられた声に、ゆっくりと振り返った。いつの間にかトイレを済ませた広瀬が驚いた顔で立っていた。
俺はここでやっと我に返った。
「あの……すみませんでした……」
店員に向き直り、か細い声で謝罪をするも、店員の怪訝な顔は変わらずである。俺は居た堪れなくなってすぐさまコンビニを出ようとしたが、さっきとは真逆で今度は俺が一ノ瀬に強引に腕を掴まれた。
「何勝手に出ようとしてるの。まだアイスもジュースも買ってないじゃん」
「いや、だって……こんな状況で……」
「いいからほら、アイスはこれでしょ?なら次ジュース好きなの選んで。広瀬さんも、私が奢ってあげるからアイスとジュース選んで」
「え、いいの?」
「うん、いいよ」
一ノ瀬はまるで何事も無かったかのようにまた商品を物色し始めた。俺には無いメンタルの強さだ。飛び降りをしようとしていた奴だなんて未だに信じられない。他の客や店員から向けられる視線に俺と広瀬は萎縮するも、一ノ瀬だけは相変わらず何食わぬ顔で買い物を済ませ店内を後にしたのだった。
先ほどの公園に戻り、俺達は無言のままベンチに腰を下ろした。アイスを袋から開ける音だけが俺達の間に響く。俺が発端で気まずさを増したこの空気を何とかせねばと考えていたが、相変わらず言葉が出てこない。しかし、こんな時でも想像を超える言動をするのはやはり一ノ瀬だった。
「見て!アイス当たりだよ!すごくない!?またアイス食べられる!やった!」
さっきの事など一切気にしていないのか、一ノ瀬は俺に当たり棒を自慢げに見せてきた。
「あ……うん、すげーじゃん……」
「てか一ノ瀬さん、アイス食べるの早くない?うちらまだ食べ始めたばかりなんだけど……」
「うん、今日も相変わらず暑いから、アイス一気に食べちゃった!」
ほんと夏だよねぇ……なんて呑気な物言いでおどけてみせる。さっきの重苦しい雰囲気を一ノ瀬が破ってくれたおかげで、広瀬も徐々に口を開き始めた。
「ありがとね、一ノ瀬さん。今度はあたしが奢るから」
「今度って事は、また一緒に遊んでくれるの?さっきコンビニですごいもの見せちゃったから、もう私達に付き合ってくれないかと思ってた」
「あ……そういえば、2人とも何で喧嘩してたのか、聞いても大丈夫?何かあった……?」
「……」
俺は何も言う事が出来ずに一ノ瀬を見た。彼女は何と答えるのだろうか。本心を言わない彼女の事だ、きっと本当の事は話さないだろう。
「……すっごく下らない事で申し訳ないんだけど、実はどっちが奢るかで揉めちゃったんだよね~。ほら、前にカフェで天谷君に奢って貰ったからさ、今度は私が奢るって言ったんだけど……まぁ天谷君も男の子だからね。全然譲らなくて、お互い何時の間にかヒートアップしてああなっちゃったんだよね……。見苦しいもの見せちゃってごめんね?広瀬さん」
やはり俺の予想は当たっていて、彼女はまたおどけながら答えた。だが、その言い訳はさすがに無理があった。
「嘘だよね、一ノ瀬さん。そんな理由での喧嘩じゃないでしょ」
「……あは、やっぱバレた?」
嘘が見透かされているというのに、相変わらずの飄々とした態度だった。だが嘘がバレても一ノ瀬が広瀬に本当の事を話すとはとても思えない。だから俺は2人の間に割って入った。
「俺が一ノ瀬に嫌な事を言っちゃったんだよ。理由は……ごめん、詳しくは話せないけど……。でもとにかく、あんな場所で気まずい思いさせてごめんな、2人とも」
「いやいや、冷静に考えれば事の発端は私だし、こっちこそごめんね」
「まぁ、よく分からないけど……2人とも仲直り出来たし、いいんじゃない?」
どうやら上手く事を収める事が出来たみたいだ。しかしこんな最悪な時間を過ごさせてしまったのだ。一ノ瀬はともかく、広瀬はもう付き合ってはくれないだろう。
そう思っていたのだが……。
「よし、じゃあ仲直りしたし、今度は3人で海に行こうか!」
「お!いいね!行こ行こ!」
なんと広瀬から海のお誘いときた。対する一ノ瀬もかなり乗り気だ。当初は会話なんてものはまったく無かったのに、気付けば女子2人は盛り上がって会話に熱中していた。こういう時の女子は本当に不思議だ。
その様子を戸惑いながらしばらく眺めていたら、何時の間にか俺のアイスは溶けて地面に落ちていた。
会話に熱中している女子達よりも早くジュースを飲み干し、1人目当てのゴミ箱へと向かう。ゴミ箱はベンチから離れた指定の場所にあるから歩かなければならず面倒なのだが、しかし今は1人になりたかったのでとても都合がよかった。
これから俺はどうしたものか……。
2人から離れ早速物思いに耽る。"生きたいと思わせて"なんて言われたというのに、実際まだ何も進展していないというのが現状だ。それどころか一ノ瀬は何時の間にか広瀬と打ち解けている。だがそれでいいのかもしれない。俺じゃなきゃ駄目なんて事はないのだ。このままもっと広瀬と打ち解けて、広瀬が彼女を救ってくれるのならそれは願ってもない事だ。
そんな事を頭の中でぐるぐる考えていたせいか、背後から聞こえてくる足音に気付く事が出来なかった。
「どーん」
「!?」
背中に何かがいきなりぶつかった。いや、声で分かる。一ノ瀬だ。一ノ瀬が俺の背中に勢いよく突っ込んできたのだ。
「おい……どうしたんだよいきなり。お前俺にそんな事するような奴だったか?」
「え?何その言い方。もしかして私達、まだ喧嘩中だった?」
相変わらず飄々としている。もう見慣れてしまった態度で、突っ込むのも馬鹿らしい。
「で?何しに俺の所に来た?広瀬はどうしたんだよ」
「んー?天谷君と話あるから待っててって言って置いてきた。さっきの事、軽い謝罪で終わらせちゃったけど、私からもっとちゃんと謝りたいからってさ」
「いいって、もう終わった話だろ。大体広瀬にそんな言い方したら変に勘繰られるだろ。自分が想像してた以上の喧嘩内容だったんじゃ、とか」
「だって終わった話じゃないじゃん。コンビニで話す内容じゃないから拒否ったけどさ、あの話はなぁなぁにしていい話じゃないでしょ。まぁ、何より私もあの時は冷静じゃなかった……アイスを食べて頭冷やした事だし、お互い冷静になった今もう一度話し合おうか」
確かにこいつの言う通りだった。ここで曖昧にしてしまえば、こいつとは今後腹を割って話せなくなる気がする。何かあってこいつにまた死なれては困るのだ。せっかく一ノ瀬自身が話し合いの機会を与えてくれたのだし、冷静になった今もう一度彼女に問い質してみる事にした。
「じゃあもう一度聞くけど、何でお前は俺と広瀬の仲を取り持とうとしてるんだ?周りから付き合ってると思われてるのは俺とお前だぞ?お前が皆の前で付き合ってないってちゃんと言わなかったからだ。なのにずっと自分そっちのけで俺と広瀬の事ばかり……やってる事がめちゃくちゃだろ。あの時、屋上で俺に言った言葉は本心じゃなかったって事か?」
「……本心だよ。あの場面でふざけて言う訳ないでしょ。あと、付き合ってるのを否定しなかったのは別にそう思われてもいいと思ったから」
「そう思われてもいいって……どういう事だ?」
「そのままの意味だよ。別に不快じゃないから。天谷君なら本当に好きになれるかもしれないでしょ。今の所全然好きじゃないけどね」
「……そ、そうか……」
只でさえ暑いのに、一段と体温が上がった気がする。最後の一言はまぁ、余計だったが……。
「天谷君と広瀬さんを近づけようと思ったのはね、私が2人にとって邪魔なんじゃないかって思ったからだよ」
「……え?じゃ、邪魔って……?」
「ねぇ、もうやめようか?この関係」
想定外の言葉に今度は体温が下がったようだった。俺はただ間抜けな顔で彼女を見た。
「私と君の契約は今日で終わり。君は晴れて私から解放されるよ」
「や、やめるって……そんな急に……。ていうか今ここでやめたら、お前はどうなるんだよ」
「……」
「おい、なんとか言えよ!」
彼女は何も答えなかった。吹き出る汗が止まらない。暑さのせいなのか、それとも……。
「……お前が死ぬつもりではなく、ただ俺との関係を断ちたいって言うなら俺は止めない。俺じゃなくて広瀬の方が相談し易いからって言うならそれでもいいんだ。あいつなら俺よりもちゃんと相談に乗ってくれるはずだ。でも、やっぱり死にたいからっていう理由なら話は別だ!」
「そんなに私が死ぬのを止めたいの?」
「当たり前だろ!ていうかやっぱりまだ死ぬ事考えてるんだな!」
「うん、考えてるよ」
「なっ……そ、それなら何で俺に生きたいと思わせてなんて――」
「ねぇ天谷君、どうして?」
「え?」
「どうして私が死ぬのを止めたいの?」
「どうしてって、そんなの前も答えただろ……死のうとしてる奴が居たら止めるのは当たり前だからって……」
「……やっぱりさ、何となくそんな理由で止めたとは思えないんだよね」
図星を突かれて心臓が飛び跳ねる。嘘を見抜かれたが正直に説明した所で信じて貰えないだろう。"繰り返す夏を脱するためです"なんて、頭のおかしい人間の妄言と思われても不思議ではない。
「やっぱり私の事が好きだからとかじゃないの?」
返答に困っていたため答えを推測してくれるのは有難いのだが、しかし相変わらずズレた回答だ。
「それも前答えたはずだけど。……正直悪いが、一ノ瀬の事はまだそんなに……」
「ふーん……じゃあ広瀬さんの事は?」
「な、何でそこで広瀬が!」
「いいから、ねぇ広瀬さんの事は?」
「ひ、広瀬は……その……」
「やっぱり広瀬さんに気があるんじゃん。だからもっと2人を近づけようと思ったのにさ。ていうか、私に構ってる暇があるなら広瀬さんともっと交流しなよ」
「そ、それはお前との約束を果たした後でだ」
「……真面目だね」
「そんな事より、いい加減少しくらい教えろ。何でお前死のうとしてるんだ。あまり他人の事に口出すのは良くないって分かってるけど、協力者として少しくらい聞く権利はあるはずだ。辛いなら詳しくは話さなくていい。だけどせめて、ほんの少しだけでも……」
「……そうだね、じゃあ少しだけ話そうか」
またどうせはぐらかされる。そう予想してのダメ元の問だったのだが、しかしそうではなかった。
彼女の死の真相に迫れる――
俺はただ、じっと彼女の目を見据えて言葉の続きを待った。
「私ね、会いたい人がいるの」
彼女は静かに、それだけを告げた。
それって、つまり……
「……死ななきゃ会えない人がいるって事か……?」
「うん、そうだよ」
だってもう、こっちに来ているはずだから。
彼女が続けたその言葉に強い既視感を覚えた。あれは、いつの日の出来事だっただろうか。
俺は遠い昔、祖母と交わしたある会話を唐突に思い出した。
『ねぇばあちゃん、外もう暗くなってきたよ。まだ家に入らないの?』
俺はあの時、家の前で微動だにしない祖母を不審に思い声を掛けたんだ。
祖母は俺を振り返る事なく、まっすぐ前を見つめてこう返した。
『ばあちゃん、あの人に会いたいのさ。こっちに来ているはずだからね』
『……あの人って?』
『あんたのお爺さんさ。一昨日初夏祭り、やっただろう?だからもうその季節なのさ』
『じいちゃんが来てる……?あ、もしかしてお盆ってやつ?』
『いいや、違うよ。お盆と似てるけど、また別さ。この村の夏はね、特別なんだよ』
ここ青滝村では、夏の始まりを告げる"初夏祭り"の日に死者が戻ってくる。そして夏の終わり、"晩夏祭り"が終わると共に彼らはまたあの世へと帰っていく。
そうだ、俺が"この村の夏"の事を知ったのは、確かこの時だったはずだ。
「……やっぱり、そういう事なのか」
"夏の終わり"という期限の意味は、俺の予想した通りこの村に関係していたのだ。ようやく知り得た情報だったが、それでも疑問はまだある。
俺の祖母は所謂視える人だった。だが一ノ瀬はそうではないのだろう。だからこそ死を選び、会いたい人の元へ……そう考えているのではないだろうか。しかし、そうであればやはり"生きたいと思わせて"という言葉が疑問に残る。もしやその人の事を諦めさせてほしいという事なのだろうか?
「……」
その問いに一ノ瀬からの返答はなかった。今日はもうこれ以上この話をするつもりはないのだろう。
この時、俺はそれ以上深く聞く事をやめた。また後日、話したくなった時に聞かせてくれればいい。俺達は最初と同じようにただ黙って公園内を歩き、広瀬が待つベンチへと戻った。
――
「じゃあ私はここで。次は27日、3人で海だからね」
「うん、じゃあね一ノ瀬さん」
「じゃあな」
時間は午後6時。辺りは暗くなりようやく帰路に就く。その途中、一ノ瀬と別れ俺と広瀬の2人きりとなった。彼女を意識してしまうせいか、一ノ瀬と2人きりの時よりも気まずい時間が流れる。しばらくお互い無言だったが、広瀬が口を開いた。
「天谷……今日は、誘ってくれてありがとう。楽しかったよ」
「本当にそう思ってるか?最初は無言の散歩、次はコンビニでの喧嘩目撃……嫌な場面の方が多かったように思うけど」
「まぁ、最初は気まずかったけど、最後は割と打ち解けてたじゃんか」
「お前と一ノ瀬はな」
何気なく発した一言に、広瀬の足取りが止まった。俺は異変を感じ振り返る。失言だっただろうか。
「一ノ瀬さんと天谷にとって、あたし邪魔じゃなかった?」
驚いた。広瀬も一ノ瀬と同じように自分が邪魔になっているのではと感じているだなんて、思ってもみなかったのだ。
「いや、別に……なってないけど。そもそも俺が一ノ瀬をそこまで好きなように見えないって言ったのお前だろ」
「でもなぁ、やっぱり気にしちゃうよ。これから天谷と一ノ瀬さんが仲良くなっていくかもしれないのに。ノリで海行こうなんて言ったけど、実はちょっと後悔しちゃってるんだよね。てかカフェの後で一ノ瀬さんに誘われた時も、初めから断っておけばよかったかな……とかも考えたしさ。だって今日の2人の喧嘩、あたしが原因なんでしょ?広瀬の事がどうのこうのって天谷が言ってるの、聞こえちゃったし」
「ち、違う!誤解だ!あの喧嘩に広瀬は一切……いや……とにかく、広瀬のせいじゃないから!」
彼女の予想外の発言に慌てて"一切関係ない"と言おうとしたのだが、喧嘩内容を思い出し途中しどろもどろになってしまう。広瀬が一切関係ないかと言われればそうではないのだ。
あの時、一ノ瀬に問い質した内容は"何故俺と広瀬の仲を取り持とうとしているのか"が主なのだから。
「言い淀んだ……アンタも嘘が下手だね天谷」
案の定広瀬には嘘を見破られてしまう。彼女に嘘は通じないと嫌でも思い知っているはずなのに、下手な嘘で乗り切ろうとしてしまった俺が悪い。
「……ご、ごめん……でも広瀬が悪いとかじゃないってのは本当だから、信じてほしい。俺はお前を邪魔だとか嫌だとか、全然思ってないから」
諦めて正直な気持ちを白状した。あまり深く考えずに発言したのだが、対する広瀬の反応は予想外なものだった。
「……本当?」
彼女は少し嬉しそうな顔で、けれど俺の言葉が本心かどうか分からないからなのか、不安そうに両手を胸の前で握り締めていた。そこまで彼女の感情を揺さぶる発言をしただろうかと一瞬戸惑ったが、しかし彼女のその姿を見て俺も少しだけ態度を柔らかくする。
「ねぇ天谷……あたし、邪魔じゃないならさ、本当に海行ってもいんだよね?」
「当たり前だろ。てか海行こうって言ったのは広瀬なんだから、お前が行かないのはおかしいだろ」
「そっか……そうだよね……」
また沈黙が流れる。どうしたものかと考えていたら、やはり口を開いたのは広瀬だった。
「あのさ……1ヶ月後、もし天谷が一ノ瀬さんのパシリじゃなくなったらさ。その時……その時は天谷、あたしと……」
まるで内気な少女のようにもじもじとする広瀬。俺はここ最近、今まで想像も出来なかった彼女の姿を何度も見た。俺に対する感情が、さすがに冗談やからかいの類ではないと理解している。
彼女の言いたい事はとっくに予想がついていた。
「……俺のどこがいいの」
消え入りそうな声で呟いたが、彼女の耳にはちゃんと届いたらしい。彼女は少しだけ思考し、ただ一言「何でだろう」と答えた。
「おい、何だその回答は」
「だって、分かんないんだもん。どこがいいか説明出来ないけど、でも気になっちゃう……みたいな?」
恋愛というのは、そんなものなんだろうか。なんせ俺は人を好きになった経験がないのだ。でも、広瀬の言う事は何となくだけど分かる気がする。
「……広瀬、俺さ……正直まだ広瀬をそういう意味で好きかってのは曖昧なんだけど……でも、本音を言うと……俺も何故か、広瀬の事、気になっては……いる……かもしれない……」
我ながら情けない返答だ。だがこれが俺の精一杯なのだ。
恥ずかしさに彼女の顔を見る事が出来なかったのだが、クスっと小さく笑う声が聞こえて、俺はようやく恐る恐る彼女の顔を見た。
彼女は先程よりも嬉しそうな顔で微笑んでいた。あんな曖昧な言葉で返答にもなっていないというのに、それ程嬉しかったのだろうか。
「ごめん……ハッキリしなくて。……でも、まだ広瀬とどうなるかとかは何も考えてなくて……」
「ううん、いいの。気になってくれてるだけで嬉しいから」
それじゃあ真っ暗になる前にさっさと帰ろうか!そう言って広瀬に手を引かれた。女子と手を繋いで歩くなんて小学校低学年以来で、俺の心臓は忙しなく動いた。
俺のこの夏休みは、一ノ瀬の自殺を止めるための、憂鬱と不安だらけの日々になるはずだった。だが広瀬との仲が深まり、俺はこの夏に少しばかりの期待をしてしまっている。
一ノ瀬の死を止める事に集中しなければいけないというのに、情けなくも浮ついてしまったのだ。
だからこそ、この後起こる悲劇に耐える事が出来なかった。