5倍に薄める幸せ

CONCENTRATE‐濃縮液‐

 カツ……カツ……!
「ヤバいヤバい……!遅れるぅ……!」
 私の名前は夢野 澪(ユメノ ミオ)(25歳)。化粧品商社、『ルミエール商事』に勤めるただのOLよ。たった今私は大事な会議に遅れそうで都会の雑踏の中、慣れないヒールでダッシュしている。昨日の飲み会なんて断ればよかった……
 カツ……カツ……!ぶつっ!ドサッ……!
「いたっ……!?いったぁい……!」
「だ……大丈夫ですか!?お怪我を……」
「大丈夫です……!すみません、ちょっと急いでて……!」
「あぁちょっと!」
 もう人にかまっている余裕なんてない!ぶつかって怪我したのは私だけだからとりあえず大丈夫。
「ちょっと待ってください!」
「何ですかもう!?私マジで急いでるんですけど!」
 謝罪なら後日するからとにかく今は勘弁してほしいわ……
「お急ぎなら僕が送りますよ!近くに車停めてますから」
「送る……!?」
 会議が始まるまで20分しかないし走って着く距離ではない。でも遅れるよりマシか……それとも印象悪くなる覚悟で上司に連絡を入れるか……いやぁやっぱり会議の資料は全部私が持っているしなぁ……
「場所、どこですか?」
「ルミエール商事です」
「ルミエール商事さんか!昔僕もお世話になりましたよ!わかりました、とりあえず乗ってください!」
 男に誘導されるまま辿り着いた先には何と――
「これって、マセラティ?」
「はい、マセラティ・レヴェンテです」
 まだ若そうなのにマセラティを乗りこなしているのか。確かに着ている服がハイブランドだし裕福そう……表情もかなり余裕がありそうだし。
「シートベルトOKですか?じゃあ行きます」
「お願いします」
 ガチャ……ブルルン……ブーン……!
 幸い道は混んでいなくて、余裕を持って間に合った。このまま自分の足で向かっていたら確実に間に合わなかっただろう。
「ここで降ろしてください!」
「ここですか?」
「はい!」
 バフッ!カツ……カツ……!
 よかった間に合う!会議が始まるまであと7分。
 バタンッ!
「大変お待たせしました!」
「夢野さんおはよう!全然待たせてないから大丈夫だよ」
「ふぅ~」
 私はバッグから会議の資料を出すと、社員さんに1枚ずつ配布する。今回私がアピールする商品は自信作、うまくいけば来週には全国のドラッグストアに並ぶ。
「では時間だな。はいそれでは、ルミエール商事社員会議を始めます!早速PRから行きましょうか……夢野さん!」
「はい!」
 トップバッターは私。私がPRする商品は日焼け止めと化粧水の効果を兼ね備えた美容液、『AQUASTYLE』。特に日差しが強くなる時期には欠かせない一品だ。私は資料を基に性能と期待できる効果をアピールする。
「素晴らしい商品じゃないか!」
「そうねぇ。私も使ってみたい」
「では私からのPRは以上になります!ありがとうございました!」
 パチパチパチ!
 その後他社員の皆様も自社商品をPR。どれも画期的で魅力的な商品が多い中、決まったのは――
「では今回の会議の結果、夢野澪さんのAQUASTYLEを採用します!また宮阪 聖(ミヤサカ ヒジリ)さんのミルルウォーターも商品として検討させていただきます!」
 パチパチパチパチ!
 やった!私のAQUASTYLEが採用された。結果発表まで冷や汗が止まらなかった中、これで私の自信作が全国展開されると考えたらまた汗が出てしまう。おかげで今日はよく眠れそう……

 数分後のお昼休憩。私は昨日の余り物で簡単に作った弁当を食べていた。食べているばかりじゃ喉も渇く。自販機で飲み物でも買おうかとスーツのポケットを探り、小銭入れを出した瞬間――
 パサッ……
「?」
 ポケットから何か小さい紙が落ちた。こんなもの入れていたっけな?私は紙を拾うと――
「これ名刺?こんな人と会ったっけな……?」
 私には見覚えのない名前と会社名だった。少なくとも同業ではない。名刺には『ヘリオス・ジャパン株式会社 専務取締役 橘優真』。でも名刺の裏面には――
「迷惑じゃなければ俺とデートしませんか?連絡待ってるよ」
「ちょっと待って誰これ……?」
 私はわけがわからず自販機の前に突っ立っていた。
「どうしたの澪?」
「あぁ椎名先輩……?」
「あれ?その名刺ってヘリオス・ジャパンじゃん!?いつそんなとこ行ったの?」
「いや。行ったっていうか……ちょっとわけわかんないんですよ」
 話を聞けばヘリオス・ジャパンとは外資系企業の中でも有名らしく、新入社員でも年収1500万円に上るという。私はやりたい仕事が今の仕事だから、外資系企業なんて注目もしなかった。でも昨日までポケットの中に名刺なんて入っていなかった。だとしたらいつ?私は仕事中にもそんなことを考えていたら退勤時間を迎えた。

 バタンッ……
「ふぅ~疲れたぁ~」
 昨日の余りものはひじきの煮物と、大根とワカメの味噌汁。女の一人暮らしならこれで十分。
 チンッ!
 冷凍しておいたご飯を温めて茶碗に盛りつける。いつもスマホでYouTubeのスカッとする動画を観ながらダラダラと食事をし、お酒を飲むのが私のルーティン。けれど私はお酒に弱い方だ。そんなとき、私はふと名刺に書かれている携帯番号を見てしまった。元々高校のときから男性と付き合っていなかった私は、酔った勢いでその番号にかけてしまった……
 プルプル……プルプル……
「出ないな……」
 プルプル……プルプル……
 今日は諦めた方がいいか?もう20時だしお風呂でも入っている時間帯だろう。そう思って私は電話を切ろうとしたその瞬間……
「もしもし?」
「あっ!えぇっと……」
「あれ?もしかしてルミエール商事の人かな?名刺見てくれた?」
「今日、送ってくれた人ですよね?」
「そうそう!俺橘 優真(タチバナ ユウマ)っていうんだ!君は?」
「夢野澪です……」
「澪ちゃんか?」
 男性にしては少し甲高い声。電話越しだが少しうるさい。
「澪ちゃんって休みの日いつかな?」
「明後日です」
「明後日か?じゃあデートしようよ?俺迎えに行くからさ」
 迎えに来るとしたらあのマセラティか?けれど25の私がマセラティの助手席に乗ってあまり浮きたくない気持ちもある。断ることも考えたけど、特に理由もなかった私は――
「じゃあ明後日……」
「了解了解!じゃあ楽しみに待っててね?できれば澪ちゃん自慢の服装で来てよ?思い出に残しておきたいからさ!」
「自慢の服ですか?はい……わかりました」
「じゃあ待っててね」
 プツッ……
 デートの約束が決まって酔いが一気に覚めたような感覚になった。まさかこんな軽い感じで自分から誘ってしまうとは……楽しみと不安が完全に入り混じる。私もそうだが、橘という男は私のことを狙っているとしか考えられなかった。
「はぁ~……」
 プシャッ……ゴクゴク……
 また酔って忘れるしかなくなった。恋愛したい欲に任せて連絡してしまったことを今さらながら後悔する。なぜメッセージを書いた名刺を所持しているのかと考えれば、何人かの女性に渡して接近を試みていることくらいわかる。
「まぁいっか……はぁ~!」
 
 2日後。私はクローゼットの中から服装を選んでいた。自慢の服装と言われたため、下は白のワイドパンツにハイヒールブーツ。黒のブラウスにベージュのコートを選んだ。髪型も普段のポニーテールからゆる結びに変えてみた。待ち合わせ場所は駅から歩いて5分の喫茶店『余白』の店前。
 ピピピ……!
 突然バス停の方からクラクションが鳴る。一体誰が鳴らしたんだ?周囲を見渡してもマセラティの姿はない。
 ピピピピ!
「あぁうるさいなもう!?」
 コツコツ……
「澪ちゃん!こっちだよ」
「えっ?た……橘さん!?」
「ほらこっちおいで!」
「う……うん!」
 どこを見てもマセラティは見つからない。だが歩いてすぐに橘の車が停まっていた。その車が何と……
「フェラーリ……!?これ橘さんの車ですか!?」
「そうだよ。さっき鳴らしてたの気づかなかった?」
「いや……わかってたけどマセラティだと思ったから……けどこれ……」
「気にしないで!さぁ乗って!」
 先ほどクラクションを何度も鳴らしていたあのフェラーリが橘の車だった。それよりただでさえ人が多い場所でクラクションは勘弁してくれ……そんなことを言葉で言えるはずもなく、私は右側の助手席に乗り込んだ。ふかふかのレザーシートから高級車の匂いが漂う。
「その前にこれ、プレゼント」
「えっ!?そんないきなりプレゼントだなんて……ってこれ!?」
 何とプレゼントボックスの中に入っていたのは16万円はするハイブランドのハイヒール。まだ会って二度目なのかわからないのに、急な高額プレゼントに開いた口が塞がらない。
「こんなの受け取れませんよ!?」
「いいからいいから!お近づきの印だよ。お願いだから受け取ってくれないか!?」
「……」
 私は橘さんの凄い圧に逆らえず、受け取りを拒否することができなかった。今日は履かなくても一旦は受け取って足元に置くと――
「次のデートのときに履いてくれたらなぁと思ってね!それじゃ早速どこ行こっか?」
「……」
「どうしたの?体調悪い?」
「いえ……何でもないです」
「じゃあお腹も空いただろうし、寒彫でも行こうか?」
「寒彫……そこって予約なしじゃ入れないところじゃ!?」
 寒彫とは都内にある高級焼肉店のことで、毎年多くの有名人も訪れる超人気店。
「心配しなくても俺はそこのオーナーと友達なんだ。俺の名前を出せばすぐ案内してくれるよ」
「そそ……そうは言っても、あそこって超高級店」
「俺とデートするときは値段なんか気にしなくていいの!ほら行こう」
「ちょ……ちょ!」
 ブーン……!
「キャッ……!?」
 もう何なのよ!?私の意見なんて完全に無視じゃない!それに制限速度50キロの公道で、メーターは80を示している。完全に出しすぎでしょ!?やっぱりこの男を誘ってしまったのは間違いだったのか?私の意見は聞かないし強引に押し切ろうとするし……
「さあ着いたよ」
「う……うん!」
 いや本当に寒彫に着いちゃったよ……テレビで取り上げられるくらいの超有名店を前に私は息を呑む。
「いらっしゃいませ……あぁ~優真さん!お待ちしてましたよ!どうぞどうぞ!」
「……?」
 開店したばかりなのかな?全然お客さんがいる気配がない。やっぱり高級店だから庶民からしたらお財布が痛いのかもね。
「どうしたの?」
「いや……」
「さあ行こっ!」
 案内されたテーブルは個室。モダンな店内と落ち着いた音響が高級店の雰囲気を醸し出す。
「ご注文は?」
「とりあえず特上の盛り合わせと海鮮の盛り合わせをいただこうか。酒飲むか?」
「お酒は大丈夫……私シーザーサラダとか」
「ちょっとぉ……サラダなんか食べたらメインのお肉が食べられなくなるだろ?今日は肉どんどん食べてほしいし!」
「かしこまりました。少々お待ちください……」
 サラダなしでお肉はキツい……数分待っていると現れたのは上の肉フルコース。これだけでいくらするんだと疑わずにいられない。
 ジュー……ジュー……
「さあさあ!遠慮せず食べろ!」
「う……うん」
 パク……モグモグ……
 口の中でとろける……味は最高級に美味だけど気を遣わずにいられなくて箸が進まない。それでも彼は一切メニューの値段を見ることなくQRコードから高級肉に冷麺、クッパなどをどんどんと頼む。食べ切れるのかよ……?
 ガツガツ……ガツガツ……
「ウップ……!苦しぃ……!」
「はぁ~食った食った……!」
 少しでも動いたらもう吐きそうなくらいお腹がはち切れそう……それなのに彼は――
「さあ早いとこ行くか」
「ちょっと待って……苦しくて吐きそう!」
「大丈夫だ!俺の家でゆっくりしようよ」
 やっぱり私の訴えは無視。強引にお姫様抱っこして車に乗せると――
 ブーン……!
「今度は、どこへ?」
「俺の家だよ。夜は出前でも取ってゆっくりしようか?」
「家!?」
 ブーン……!

 数分後。お腹が落ち着いた頃に彼の家に辿り着いていた。問題の家はマンションの最上階。
「さあゆっくりしてってくれ」
「うん……」
 一見何の変哲もない部屋だが、白すぎてまるで豆腐にコーティングされた部屋にしか見えなかった。お金は持っているのに部屋に置いてあるのは必要最低限の家具のみ。なぜか私は何とも言えない恐怖に襲われる。
「俺ちょっと電話してくるから、ゆっくりメニュー(出前の)でも見ててくれ」
「わかったわ……」
 彼はどこかへと電話をかけてそのまま部屋を出た。
「……」
 彼が部屋を去ると私は探索せざるを得なかった。姿が見えなくなったのを確認すると棚の一番上に乗っていた1冊のファイルを手に取る。私は1ページ開いて息を呑んだ。
「えっ……これって……!?」
 何とファイルにあるのは女性の水着、いやこの感じは明らかに下着だ。直立した写真や際どいポーズを取った写真など、それは何枚にも及んでいる。さらに名前の他年齢、身長に体重、スリーサイズまでこと細かに記されている。人それぞれ体型なども千差万別。共通しているのは、全員の表情が歪んでいることだ。これって、全部橘さんが撮影した写真なの?さすがに気味が悪い……
「お待たせ!」
「……!?」
 パタッ……!
 私は慌ててファイルを閉じてそのまま隠した。けどとっさに隠した程度ではバレないはずもなく……
「あぁ~それね、いつか澪ちゃんにもモデルになってもらいたいなと思ってるんだ」
「モ……モデル!?」
 もうわけがわからない。下着の写真が何枚もコレクションされているし、まさか私もコレクションの一部になってしまうってこと……!?
「悪いけど、今日はモデルになってもらうまで帰したくないからさ……それに今日はお肉いっぱい食べたでしょ?たるんだお腹が最高の画になると思うんだ!」
 嫌だ怖い!それにたるんだお腹って何よ!?鳥肌を通り越して全身、それ以上に身の毛もよだつ……
「言っておくけど、ここら辺じゃタクシーも捕まらないよ?写真撮ったら返してあげるからさ、お腹たるんでるうちに早く撮らせてよ?」
 どうしたらいいかわからなくなってしまった。逃げたくても、私は学生時代運動部に入ったこともなければ体育の成績は万年低い。金と権力がある男に迫られた私は拒否なんかできず……
「……」
「ほぉ~!?このたるんだお腹……最高だ!さあさあ萎む前に撮らせてくれ!」
 私は動きやすさ重視でTバックを履いていることが多い。今日はただデートするだけとしか思っていなかったためTバック姿を晒すことになる……私は見たこともない高性能カメラのような機材を向けられ――
「右脚をクロスさせて両脇を上げるように」
「うぅ……!」
 カシャ……カシャ……!
「最高だ!次は四つん這いになってもらおうか!」
「四つん這い……!?」
「もう少し撮ったら帰らせてあげるからさ!」
「うぅ……!?」
 裸になれとは言われなかったものの、私は何枚も下着姿の写真をそれぞれのポーズで撮影され続けた。そしてファイルのトップページに私の写真と名前が刻まれてしまう。夢野澪、25歳。ルミエール商事勤務。身長163cm、体重46kg。スリーサイズ87・55・84……私は恥ずかしさと自分から誘ってしまった愚かさに後悔して涙が溢れた。
「フフフ……君のコレクションができた!これからも俺が、誰よりも愛してあげるよ……!君のことは全部俺で埋めてあげるから……ハハハ!」
「もういいでしょ?」
「今日はこれでいいよ。ハハハ……次はもっともっとたるんだお腹を撮らせてもらおっかな……肉つきがよくなった背中も悪くない!」
「……!」
 私はとんでもない男と関わってしまった!この男は私をコレクションにするつもりなんだ!家に帰っても恐怖心と不安が頭から離れなかった……するとスマホのメッセージアプリには――
「うぅ……そんな……!?」
 送られた写真はさっき撮られた下着姿、恥ずかしくて際どい姿など細かく送られていた。メッセージには呪いのような文面が送られている。
「澪ちゃんは本当に最高傑作だよ……」
「一生俺のものにしてあげるよ」
 私は悟った。この男が持つ愛情は濃いレベルではない。濃縮された愛なのだと……
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