【大河ドラマ】忙しい人のための新・安倍晴明物語
第7話 剪紙成兵術
天慶六年(943)春、三月最初の巳の日、夜の鴨川では陰陽師が貴族の穢れを祓っている。賀茂保憲は丹波康頼の依頼で、彼の穢れを祓っている。その間、晴明も懐から形代を取り出して玉屑に渡した。玉屑は「私の体は清らかで穢れなどない」と言い張る。しかし、晴明には思うところがあって、形代を手に取り玉屑の体を撫でていった。彼女を抱きしめるような体勢になったので、周囲にいた人々からあらぬ誤解を受けた。
驚きのあまり絶句する玉屑をよそに、晴明は形代を川に流した。玉屑は形代の行方が気になると言って、晴明のそばを離れて川の流れに沿って歩いていく。晴明もその後を追う。形代を追っているうちに、保憲たちがいる場所から随分と離れて、鴨川と桂川の合流地点まで来てしまった。晴明は玉屑に追いつき、彼女の手をつかむ。玉屑は思わず晴明のほうを振り向き、形代を見失ってしまった。周囲に人の気配はなく、晴明と玉屑の二人だけである。
二人がいる場所は庶民が葬送される地で賽の河原とも呼ばれており、死のにおいであふれている。鴨川に穢れを祓いに来たはずが、かえって穢れにまみれてしまった。歩き疲れた玉屑は、穢れなど気にせず川岸に座り込む。晴明は彼女の隣に座り、忘川での出会いを回顧した。玉屑も晴明のことを覚えていた。そのとき、二人はあの出会いが夢ではなく現実の出来事だと知った。二人の間に微妙な空気が流れるなか、保憲と康頼が追いかけてきた。玉屑は我に返り、晴明の制止も聞かず一人で先に帰宅した。
翌日、陰陽寮では晴明と玉屑の噂で持ちきりだった。晴明は、噂は本当だと認め、玉屑とは恋仲だと主張する。そう言えば、玉屑に手を出す者は誰もいないし、彼女が危険な目に遭うこともないと考えたからだ。晴明は式神と愛し合った初めての人間だと畏れられた。
夜、晴明は密かに玉屑の部屋を訪れた。彼女は、這子のような人形を抱きしめて床に就いていた。それは、上巳の祓で川に流された形代にも似ていた。剪紙成兵術で作り出したものだ。玉屑は生まれてこのかた一人で寝たことがなく、寂しさに耐えられなかったのだ。晴明は何か月もの間玉屑に孤独を感じさせていたことを詫びた。
晴明は剪紙成兵術について玉屑に教えを乞う。玉屑は紙を蝶の形に折り、霊蝶を生み出した。霊蝶は彼女の命令に従い、屋敷の庭を一周して戻ってきた。そして、移動中の光景を映し出した後、光の粒となって消えた。唐土では、諜報活動に使われていた術である。今の晴明には、霊蝶程度のものしか操れないという。
退出するとき、晴明は玉屑を天文観測に誘った。曇天の日を除き、晴明は就寝前に天象を記録している。彼は玉屑の貞操を守るため共寝はしないが、一人で心細ければ共に星空を眺めることはできる。しかし、玉屑は晴明の誘いに乗ることなく、その夜も人形と共に過ごした。
翌朝、晴明が陰陽寮に出勤すると、枇杷の木にカラスが留まっている。晴明は、その中の一羽が何となく気になり、霊蝶に命じて追跡させた。退勤時間になると、霊蝶が戻ってきた。カラスはしばらく都を飛び回った後、群れの中で塵となり雲散した。普通ではありえない光景だった。晴明は、それとなく玉屑に剪紙成兵術でカラスを作ったか尋ねる。彼女は何もしていなかった。霊蝶はすでに消えており、玉屑に実際の光景を見せることはできなかった。
晴明は、剪紙成兵術の使い手が他にも存在する可能性について考える。そこで、自分もその術を使えるということは伏せて、忠行や保憲にも相談してみた。しかし、心当たりのある者はいなかった。この頃は怪異もなく、術者が人に危害を加える目的で傀儡を使役していないのなら、捨て置いて構わないという結論に達した。
その夜は曇天だったので、晴明は剪紙成兵術でカラスを生み出せるか試すために人知れず紙を折っていた。そこへ、玉屑がやってきた。彼が無茶をしないか心配したのである。晴明は紙を小鳥の形に折った。白い紙を用いたので、白い鳩が生み出された。特に何の目的もなかったが、紙を無駄にもできないので、この辺りを一周するよう命じた。晴明はさまざまな色紙を鳥の形に折っていく。玉屑は退屈そうにその様子を見ている。紙と同じ色の鳥が生み出された。晴明はそれぞれ都の主要な通りへ飛ばした。
晴明は、カラスを生み出すには黒い紙が必要なのだと推し量る。しかし、彼は人生で黒い紙など目にしたことがない。晴明が思案していると、玉屑は庭に落ちていた葉を手に取り、息を吹きかけた。すると、カラスが生み出された。カラスは二人の周りを飛び回った後、塵となって消えた。その消え方は、晴明が目にした光景とまったく同じだった。実は、想像力を働かせれば葉っぱでも傀儡を生み出せるのだという。玉屑は、初心者の晴明のために紙で教えただけだった。晴明はからかわれたような気がして、不機嫌になった。
天慶六年(943)夏、数か月が過ぎたが、陰陽寮にカラスの怪異は報告されていない。晴明が奇妙なカラスを目撃したのも、あの一度きりだった。民衆は干ばつに苦しみ、陰陽寮は朝廷から五龍際を修するよう命じられる。
驚きのあまり絶句する玉屑をよそに、晴明は形代を川に流した。玉屑は形代の行方が気になると言って、晴明のそばを離れて川の流れに沿って歩いていく。晴明もその後を追う。形代を追っているうちに、保憲たちがいる場所から随分と離れて、鴨川と桂川の合流地点まで来てしまった。晴明は玉屑に追いつき、彼女の手をつかむ。玉屑は思わず晴明のほうを振り向き、形代を見失ってしまった。周囲に人の気配はなく、晴明と玉屑の二人だけである。
二人がいる場所は庶民が葬送される地で賽の河原とも呼ばれており、死のにおいであふれている。鴨川に穢れを祓いに来たはずが、かえって穢れにまみれてしまった。歩き疲れた玉屑は、穢れなど気にせず川岸に座り込む。晴明は彼女の隣に座り、忘川での出会いを回顧した。玉屑も晴明のことを覚えていた。そのとき、二人はあの出会いが夢ではなく現実の出来事だと知った。二人の間に微妙な空気が流れるなか、保憲と康頼が追いかけてきた。玉屑は我に返り、晴明の制止も聞かず一人で先に帰宅した。
翌日、陰陽寮では晴明と玉屑の噂で持ちきりだった。晴明は、噂は本当だと認め、玉屑とは恋仲だと主張する。そう言えば、玉屑に手を出す者は誰もいないし、彼女が危険な目に遭うこともないと考えたからだ。晴明は式神と愛し合った初めての人間だと畏れられた。
夜、晴明は密かに玉屑の部屋を訪れた。彼女は、這子のような人形を抱きしめて床に就いていた。それは、上巳の祓で川に流された形代にも似ていた。剪紙成兵術で作り出したものだ。玉屑は生まれてこのかた一人で寝たことがなく、寂しさに耐えられなかったのだ。晴明は何か月もの間玉屑に孤独を感じさせていたことを詫びた。
晴明は剪紙成兵術について玉屑に教えを乞う。玉屑は紙を蝶の形に折り、霊蝶を生み出した。霊蝶は彼女の命令に従い、屋敷の庭を一周して戻ってきた。そして、移動中の光景を映し出した後、光の粒となって消えた。唐土では、諜報活動に使われていた術である。今の晴明には、霊蝶程度のものしか操れないという。
退出するとき、晴明は玉屑を天文観測に誘った。曇天の日を除き、晴明は就寝前に天象を記録している。彼は玉屑の貞操を守るため共寝はしないが、一人で心細ければ共に星空を眺めることはできる。しかし、玉屑は晴明の誘いに乗ることなく、その夜も人形と共に過ごした。
翌朝、晴明が陰陽寮に出勤すると、枇杷の木にカラスが留まっている。晴明は、その中の一羽が何となく気になり、霊蝶に命じて追跡させた。退勤時間になると、霊蝶が戻ってきた。カラスはしばらく都を飛び回った後、群れの中で塵となり雲散した。普通ではありえない光景だった。晴明は、それとなく玉屑に剪紙成兵術でカラスを作ったか尋ねる。彼女は何もしていなかった。霊蝶はすでに消えており、玉屑に実際の光景を見せることはできなかった。
晴明は、剪紙成兵術の使い手が他にも存在する可能性について考える。そこで、自分もその術を使えるということは伏せて、忠行や保憲にも相談してみた。しかし、心当たりのある者はいなかった。この頃は怪異もなく、術者が人に危害を加える目的で傀儡を使役していないのなら、捨て置いて構わないという結論に達した。
その夜は曇天だったので、晴明は剪紙成兵術でカラスを生み出せるか試すために人知れず紙を折っていた。そこへ、玉屑がやってきた。彼が無茶をしないか心配したのである。晴明は紙を小鳥の形に折った。白い紙を用いたので、白い鳩が生み出された。特に何の目的もなかったが、紙を無駄にもできないので、この辺りを一周するよう命じた。晴明はさまざまな色紙を鳥の形に折っていく。玉屑は退屈そうにその様子を見ている。紙と同じ色の鳥が生み出された。晴明はそれぞれ都の主要な通りへ飛ばした。
晴明は、カラスを生み出すには黒い紙が必要なのだと推し量る。しかし、彼は人生で黒い紙など目にしたことがない。晴明が思案していると、玉屑は庭に落ちていた葉を手に取り、息を吹きかけた。すると、カラスが生み出された。カラスは二人の周りを飛び回った後、塵となって消えた。その消え方は、晴明が目にした光景とまったく同じだった。実は、想像力を働かせれば葉っぱでも傀儡を生み出せるのだという。玉屑は、初心者の晴明のために紙で教えただけだった。晴明はからかわれたような気がして、不機嫌になった。
天慶六年(943)夏、数か月が過ぎたが、陰陽寮にカラスの怪異は報告されていない。晴明が奇妙なカラスを目撃したのも、あの一度きりだった。民衆は干ばつに苦しみ、陰陽寮は朝廷から五龍際を修するよう命じられる。