【大河ドラマ】忙しい人のための新・安倍晴明物語
第6話 美しき琴の調べ
天慶五年(942)秋、晴明は賀茂邸の庭に生えている菊を摘み、玉屑に献上した。菊の花は、陽気が豊富だと言い伝えられているからだ。晴明は未だに採陽補陰とはどのようなものか分からないため、彼なりに陽気を採る方法を考えたのである。晴明は念入りに菊を水洗いしていたが、玉屑から花など食べないと突き返された。それに、玉屑は現世に来てから一度も採陽補陰をしていないにもかかわらず、至って健康だったのだ。
家族と離れて心細い玉屑を元気づけるため、晴明は彼女を赤山禅院に案内する。地獄の火炎かと思うほど真っ赤な紅葉を見た玉屑は冥界で過ごした日々を思い出し、しみじみと感じ入る。晴明は玉屑の心の中を読むことはできなかったが、不思議と彼女の気持ちが伝わってくるような気がした。
赤山禅院の本堂で、晴明は泰山府君を拝もうとする。しかし、玉屑は「泰山府君は衆生に興味などないから、祈りに耳を貸すことはない」と一蹴し、本堂から退出した。一人残された晴明は泰山府君を信じ「玉屑の加護によって、豊かな暮らしができますように」と祈願した。彼は玉屑の力を借りて、錦衣玉食や栄耀栄華を手にすることを望んでいたのである。
晴明が本堂を出ると、玉屑が紅葉を拾い集めて懐にしまっていた。寺院を訪れた記念にするという。彼女の手が汚れないように、晴明も拾うのを手伝った。紅葉を集めた後、玉屑は境内をくまなく散策した。炳霊帝君の姿を探しているのだ。境内の木々の上ではカラスがたくさん鳴いている。カラスは冥界の使者ともいわれており、紅葉とあいまって、本当に地獄のような光景である。カラスの鳴き声をうるさく感じた晴明は、玉屑を連れて足早に帰った。
帰宅後、晴明は玉屑に疑問を投げかける。妖神に対処すれば家族のもとに帰れるはずなのに、この数か月間彼女はまるで妖神を探していない。すると、晴明にとっては驚くべき答えが返ってきた。玉屑はすでに妖神を見つけ出しており、その者が善人かどうか観察している段階だというのだ。
天慶五年(942)冬、陰陽寮は大晦日に行う追儺の儀の準備をする時期に入った。祭文を唱えるのは文武兼の役目であり、鬼退治役である方相氏は大舎人が務める。ところが、当日になって大舎人の懈怠により欠員が生じ、晴明と保憲が代わりに方相氏を務めることになった。
追儺では、殿上人が魔除けのために桃の木の弓矢を使用する。晴明が弓矢を手に取ると、手が焼けるような感覚に襲われた。慌てて手を離すと、軽いやけどをしていた。原因は分からないが、人に知られるわけにはいかないので、晴明は弓矢を持ち、殿上人たちの所まで運んだ。弓矢を持っている時間が長いほど、やけども悪化していく。晴明は痛みに耐えながら、平気なふりをして彼らに弓矢を配った。
追儺の儀が終わると、見物に来ていた玉屑が晴明を迎えに来た。晴明は玉屑に手を引かれ、方相氏の装束を着たまま陰陽寮へ連れて行かれた。玉屑は保憲に水桶を準備させ、晴明は彼女の案内で人気のない木陰に移動した。
玉屑は晴明の火傷した手を水桶に浸し、法術をかけて癒した。桃の木には、妖魔を除ける力がある。晴明は玉屑にそれとなく、自分こそ妖神ではないかと疑問を投げかけた。玉屑は曖昧な態度を取り、肯定も否定もしない。晴明自身も、己の中にそこまで強大な力が秘められているとは信じられなかった。
火傷は癒えたものの、晴明は後遺症で発熱してしまった。玉屑は周囲に火傷のことを隠し、晴明は風邪を引いたと告げた。晴明が床に臥している間、玉屑は傍らでずっと看病していた。玉屑は手巾で晴明の汗を拭いながら、冥界での日々を回顧する。全身汗だくだが沐浴に行く気力のない玉屑に対し、炳霊が手巾で彼女の汗を拭ったのである。とはいえ、神仙が病気になることはない。晴明は、玉屑が汗をかくのはどのようなときか気になった。そして、ふと採陽補陰が頭に浮かんだ。彼女は頬を赤らめて、修行をした後は汗をかくものだとぎこちなく答えた。その反応を見て、晴明は彼女の指す修行が採陽補陰のことだと察する。しかし、ぎこちない態度の理由は分からなかった。
天慶六年(943)春、保憲は造暦の功績を評価され、暦得業生と陰陽師を兼ねることになった。陰陽師としての最初の仕事は、三月の最初の巳の日に鴨川で貴族の穢れを祓うことである。その際、人の形をした形代を用いるので、事前に準備しておかなければならない。
晴明が保憲のために形代を作っていると、玉屑が口を挟んできた。人間の穢れは、紙切れで取り除けるものではないらしい。とはいえ、祓えが気休めにすぎないことは晴明も薄々気づいていた。彼は玉屑に意見を述べる。陰陽師にとっての祓えとは、穢れを祓うのではなく、貴族との繋がりを深めるためにあるのだと。
晴明は剪紙成兵術について語りだした。唐土に伝わる術で、形代に命を吹き込み傀儡として使役する。平安京の陰陽師で、この術を使える者はいない。彼は玉屑の指導があれば剪紙成兵術を会得できると考え、彼女に教えを乞う。
家族と離れて心細い玉屑を元気づけるため、晴明は彼女を赤山禅院に案内する。地獄の火炎かと思うほど真っ赤な紅葉を見た玉屑は冥界で過ごした日々を思い出し、しみじみと感じ入る。晴明は玉屑の心の中を読むことはできなかったが、不思議と彼女の気持ちが伝わってくるような気がした。
赤山禅院の本堂で、晴明は泰山府君を拝もうとする。しかし、玉屑は「泰山府君は衆生に興味などないから、祈りに耳を貸すことはない」と一蹴し、本堂から退出した。一人残された晴明は泰山府君を信じ「玉屑の加護によって、豊かな暮らしができますように」と祈願した。彼は玉屑の力を借りて、錦衣玉食や栄耀栄華を手にすることを望んでいたのである。
晴明が本堂を出ると、玉屑が紅葉を拾い集めて懐にしまっていた。寺院を訪れた記念にするという。彼女の手が汚れないように、晴明も拾うのを手伝った。紅葉を集めた後、玉屑は境内をくまなく散策した。炳霊帝君の姿を探しているのだ。境内の木々の上ではカラスがたくさん鳴いている。カラスは冥界の使者ともいわれており、紅葉とあいまって、本当に地獄のような光景である。カラスの鳴き声をうるさく感じた晴明は、玉屑を連れて足早に帰った。
帰宅後、晴明は玉屑に疑問を投げかける。妖神に対処すれば家族のもとに帰れるはずなのに、この数か月間彼女はまるで妖神を探していない。すると、晴明にとっては驚くべき答えが返ってきた。玉屑はすでに妖神を見つけ出しており、その者が善人かどうか観察している段階だというのだ。
天慶五年(942)冬、陰陽寮は大晦日に行う追儺の儀の準備をする時期に入った。祭文を唱えるのは文武兼の役目であり、鬼退治役である方相氏は大舎人が務める。ところが、当日になって大舎人の懈怠により欠員が生じ、晴明と保憲が代わりに方相氏を務めることになった。
追儺では、殿上人が魔除けのために桃の木の弓矢を使用する。晴明が弓矢を手に取ると、手が焼けるような感覚に襲われた。慌てて手を離すと、軽いやけどをしていた。原因は分からないが、人に知られるわけにはいかないので、晴明は弓矢を持ち、殿上人たちの所まで運んだ。弓矢を持っている時間が長いほど、やけども悪化していく。晴明は痛みに耐えながら、平気なふりをして彼らに弓矢を配った。
追儺の儀が終わると、見物に来ていた玉屑が晴明を迎えに来た。晴明は玉屑に手を引かれ、方相氏の装束を着たまま陰陽寮へ連れて行かれた。玉屑は保憲に水桶を準備させ、晴明は彼女の案内で人気のない木陰に移動した。
玉屑は晴明の火傷した手を水桶に浸し、法術をかけて癒した。桃の木には、妖魔を除ける力がある。晴明は玉屑にそれとなく、自分こそ妖神ではないかと疑問を投げかけた。玉屑は曖昧な態度を取り、肯定も否定もしない。晴明自身も、己の中にそこまで強大な力が秘められているとは信じられなかった。
火傷は癒えたものの、晴明は後遺症で発熱してしまった。玉屑は周囲に火傷のことを隠し、晴明は風邪を引いたと告げた。晴明が床に臥している間、玉屑は傍らでずっと看病していた。玉屑は手巾で晴明の汗を拭いながら、冥界での日々を回顧する。全身汗だくだが沐浴に行く気力のない玉屑に対し、炳霊が手巾で彼女の汗を拭ったのである。とはいえ、神仙が病気になることはない。晴明は、玉屑が汗をかくのはどのようなときか気になった。そして、ふと採陽補陰が頭に浮かんだ。彼女は頬を赤らめて、修行をした後は汗をかくものだとぎこちなく答えた。その反応を見て、晴明は彼女の指す修行が採陽補陰のことだと察する。しかし、ぎこちない態度の理由は分からなかった。
天慶六年(943)春、保憲は造暦の功績を評価され、暦得業生と陰陽師を兼ねることになった。陰陽師としての最初の仕事は、三月の最初の巳の日に鴨川で貴族の穢れを祓うことである。その際、人の形をした形代を用いるので、事前に準備しておかなければならない。
晴明が保憲のために形代を作っていると、玉屑が口を挟んできた。人間の穢れは、紙切れで取り除けるものではないらしい。とはいえ、祓えが気休めにすぎないことは晴明も薄々気づいていた。彼は玉屑に意見を述べる。陰陽師にとっての祓えとは、穢れを祓うのではなく、貴族との繋がりを深めるためにあるのだと。
晴明は剪紙成兵術について語りだした。唐土に伝わる術で、形代に命を吹き込み傀儡として使役する。平安京の陰陽師で、この術を使える者はいない。彼は玉屑の指導があれば剪紙成兵術を会得できると考え、彼女に教えを乞う。