キャラメリゼ ワンルーム
この間から、なんだか変だ。
「怜ちゃん、起きてー」
「んー……だから…かってに…はいんな……」
このやりとりが定番化してしまっているが、怜が起きてこないのだから仕方がない。それに起こす時以外は部屋には入っていないのだから、やはり怜が悪い。
怜がくるまっている布団の上には、いつも部屋着の上に羽織っているグレーのパーカーがくしゃりとくるまっている。
そりゃ確かに、寝る時は脱ぐか。そりゃそうだよね。
「ねーご飯できるー」
「んんー…さむい…」
「だからクーラーの温度が低いんだってば!下げすぎ!」
布団を少しだけ剥ぐと、怜が両手で自分を抱きしめるようにして丸まった。
その腕がちらりと見えて、しばらく目線がそこに落ちる。
二の腕には筋がうっすらと見えていて、細いのに鏡で見る自分のものとは違う。
「起きた?起きたね?私行くよ!」
「…おきた…おきたから…」
怜がそう言ったのを見届けて、部屋から出た。
布団を剥ぎ取った時に一瞬だけ漏れた、怜の体温で温められた柔軟剤と微かな体温の匂いが、楓の鼻をかすめていった。
洗面所に入って、夜に怜がスイッチを押してくれていた洗濯物が乾いているのを確認しながら、畳んでいく。
ふわりと柔軟剤の香りが鼻をくすぐり、まだほんのり温かいタオルなどを洗面所の棚に入れていく。
次に引っ張り出したのは怜のTシャツで、昨日コンビニに行った時に来ていたものだった。さすがにくたびれたもので外に行こうとは思わないらしく、着替えていた。
「……」
畳むために広げると自分の肩幅よりも広がって、そういえば以前勝手に借りたTシャツも大きかった気がする、と思い、それを自分の身体に当てる。
自分の胸元に当ててみると、裾が太もものあたりまで届き、首周りのリブが驚くほど横に広い。首筋に触れた布のわずかなザラつきが、急に恥ずかしくなって指先が強張った。
「…なにしてんの?」
「アッ、えっ、おっきいなって思って!」
音もなく洗面所を除いた怜が、楓の姿を見てそう言った。
起きたばかりの顔は眉間に皺が寄っていて、目もいつもの半分しか開いていない。
楓は思わず後退りをしながら脳を通らないままに言葉が口から漏れていく。
「ほら、怜ちゃんってそんなに大きくないのにTシャツは大きめが多いじゃんっ」
「そんな大きくないってなんだ、百七十五くらいはあるわ多分」
怜が洗面所に入ってきて顔を洗い出す。
このあとは歯磨きをすると知っているので、洗濯物は途中やりだが洗面所から出ていく。
今日はお弁当を持っていく予定で作っていたおかずを弁当箱に詰めていると、怜がワイシャツの袖を捲りながらリビングにやってきた。
見ていない、腕まくりなんていつもしているじゃないか。
「…今日は出社なの?」
「そう、めんどい」
「…お弁当、怜ちゃんも持っていく?」
「え?そんなすぐ作れんの?できるなら作って」
「ゆ、夕飯の残りとかになるけど…」
キッチンに入ってきた怜が、「照り焼き美味かったし最高じゃん、ありがと」と言いながら、コーヒーメーカーで落としていたコーヒーをマグカップに注いだ。
肘まで捲り上げられた袖口から覗く腕の、浮き出た腱がカップを持つたびにピクリと動く。
朝食は和食だったり洋食だったりと色々だが、今日はスタジオの健太郎が試食で焼いていた食パンが余っていたのでもらって帰ってきていた。
「なに?今日のごはん、普通の食パンじゃないじゃん」
「デニッシュだよ。卵とかバター入ってて美味しいの」
「ふうん、うまそ」
「…先、食べてていいから」
棚からもう一つ弁当箱を取り出した楓がそう言うと、怜は素直に「いただきます」と手を合わせて皿に乗っていたデニッシュパンを口にした。
「なにこれ、うま」
「美味しいよね!健太郎さんのオリジナルレシピなんだけど、健太郎さんのレッスンは人気すぎて取れないってクレーム入って、優先的に予約取れる健太郎チケットが発売されたくらいなんだよ」
「健太郎チケット。ふ、おもしろ」
怜がパンを口に運びながら、笑った。
その伏し目がちな目元につい視線がいってしまって、楓は残っていた卵焼きを急いで詰めた。
ネギとツナを入れた卵焼きは、入れるだけで色鮮やかになってくれて、ちゃんと作ってよかった、と思いながら炊飯ジャーを開けた。
「私は今はまだ過去の人気レシピのレッスンをしてるんだけど、いつかレシピ開発とかもして、オリジナルレッスンしてみたいんだー」
「できるでしょ」
「…そんなサラッと言ってさぁ」
ちらりと視線を上げると、怜はなんてことないかのようにコーヒーを飲んでいた。
パンはいつの間にかなくなっていて、小さめとは言えやはり美味しかったのだろう。
「楓ならなんでもできるよ」
「…コンサルなのに、そんな根拠ないこと言っていいの」
楓がそう言うと、怜はチラリとこちらを向いて笑った。
静かに、落とすように、口元を少しだけ緩ませるその顔に、少しだけ目線が離せなかった。
「楓だから」
「…なにそれ」
持っていた菜箸の先がわずかに震えた。
髪の毛、今日はしっかりセットしてるの?
白いワイシャツから捲れる腕が、細いくせにちゃんと男の人で。
だから、なんだか変に見えるのかな。
怜ちゃんの妹だからってこと?
怜ちゃんが優秀だから、私もそうだって?
血が繋がってないのに?
「美味そう。なにこれ?なに入ってんの?」
ぼうっと、手元にあるブロッコリーの細かい粒に視線を送っていた。
いつの間にか皿を持ってシンクに来た怜が、楓の手の中の弁当箱に視線を送っていた。
「っあ、…よく冷凍食品にあるでしょ、エビのグラタン。たくさん作って冷凍しておいて、お弁当に入れる前にちょっと解凍して入れるの」
「すーごいな、本当に。ありがと」
そう言って怜はレバーを上げて水道を開けた。
ジャー、と勢いよく流れた水が、シンクにぶつかって少しだけ楓の手元に当たった。
「ううん…」
小さく聞こえた自分の声は、朝のテレビと水道の音にかき消されていった。
背後のコーヒーメーカーが、保温を終了させる音を鳴らした。
怜が洗い終わった皿をカゴに伏せて、リビングを出ていった。
早く保温プレートから外して、私も朝ごはんを食べなきゃ。
いつもと同じ朝なのに、どこか違う。
やっぱりこの間から、なんか変だ。