追想と翼望(ついそうとよくぼう)君がいるから僕の時間が動き出す
 旭は演技をしている訳ではない。ドラマや映画に出演していないのだ。強いて言えば、逃げられない人生の舞台に立たされている。

そこには岡田がいた。まるで関係者のようにスーツを着ている。だが、手にはナイフが光、藍の後ろに忍び寄る。

旭は頭で考えるより行動をとった。勢いよく走り出すのだった。

旭の足が速いか、岡田のナイフが藍を貫くのが速いか。全速で走る旭は、追いつくのがやっとだった。藍を抱きしめようと伸ばした手は燃えるように熱い。

あの日の最後のように藍を抱き包み、ナイフの刃を背中で受けた。

藍は潜在意識の中の何かが、崖を飛び降りる瞬間を蘇らせた。思わず旭のスーツの胸のあたりの襟を両手で左右つかんでいた。


会場では、その光景を見た女性たちの叫び声がした。ナイフの刃の形が見えなくなるまで刺さっていた。

岡田は目が覚めたように驚き、刃を抜いてしまった。吹き出すような旭の血潮は床まで赤く染めていた。

力尽きた旭は、藍を傷つけないためにゆっくりと仰向けに倒れた。胸の上に藍を抱いたまま。

その後ろで岡田は手が震えていた。そしてナイフを床に落とした。その直後、警備員が岡田を取り押さえた。会場から連れ出され、警察に引き渡された。その顔は虚ろで魂が抜けたように見えた。

旭は薄れゆく意識の中で、あの時のように藍を救えたことを神に感謝した。そして、この世でも別れが付き纏うのか恨めしく思うのだ。

何の因果だか、あの時で清算されていない試練が、繰り返しているのだろうか。

残酷な神は、まだ旭に付き纏い離さないのだろうと藍を抱いたまま思い巡らせた。この世で夢見た藍との再会、藍への愛の深さを思い知る。

(できるものなら、もう少しだけ藍と過ごしたかった)と心の中で神に縋るのだった。

会場はざわつき携帯で救急車を呼ぶ人がいたり、記事に書こうとする記者たちが動き始めた。

藍は上半身を起こして、止まらない涙も気にせず呼びかけた。血だまりが、更に大きな円を描き出している。

「旭、旭!死なないで」
「死ぬものか。やっと白藍に逢えたのだ」

旭は藍の止まらない涙を人差し指で拭いた。その指に伝わる藍の温もりを感じて意識が遠のいた。

「旭、旭、旭!」

悲痛な声は辺りに響いていた。
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