こっちを向いて、ヴェルランド。
Ⅸ【彼の正体】
アルベルトの指示通り、森の中へと逃げ込んだリーリエは徐々に減速していくと一つの幹の前で立ち止まった。
少し走っただけだと言うのに息切れは止まらず、肩で何度も呼吸を繰り返す。
(…)
リーリエは大きな木に背中を預けると、暗い空を見上げる。皮肉な事に雨は上がっており、空には綺麗な三日月が出ている。
「どっちにしろ…、今日は出ていく日だったのね」
リーリエ少し残念そうに瞳を閉じる。今思えばヴェルランドとの屋敷での生活はそれなりに楽しかった。
初めての料理ー。
初めての推理小説ー。
初めての…。
リーリエはヴェルランドの困った様な表情を思い出す。
怖い様でとても優しい人だった。
屋敷に招き入れ、古い卵の見分け方を教え、配送サービスが来ることも教えてくれた。
雷の日には自室へと招き入れ、コーヒーを入れ、大事な本を貸してくれた。
それに、さっきだって…。
リーリエは、両手で顔を覆うとその場に座り込む。アルベルトは北に走れと言っていたけど、一体どこまで走ればいいのか。
走ったところでまたあの男の元へ戻ってしまう。
戻りたくないー。
戻りたくないー。
「ヴェルランド…」
ふと、彼の名を呼んでみる。すると、木陰から微かな物音が響いた。
リーリエは慌ててその場に立ち上がると音がした方を見つめる。
何か来るー。
直感的にそう感じた次の瞬間ー、あたり一面の草木が突風に煽られる様に波打った。
突然吹き荒れた風にリーリエは目を細めると目の前に誰かの気配を感じる。
「ヴェルランドなの…?」
リーリエは少し期待を込めて彼の名を呼んだ。
この気配は以前にも感じたことのある気配、きっと彼に違いないー。
リーリエはそう思って嬉しそうに両の目を開いた。
しかしー、
そこには、見るも恐ろしい姿をした魔獣が牙を剥きながらリーリエを睨みつけていた。
「?!?!」
リーリエはその迫力に思わず腰を抜かす。今までにも魔獣の類は見てきたがここまで大きな魔獣は見たことがない。
魔獣は獲物を追い詰める様にゆっくりとリーリエの方へと近づいていく。
「わ、私は食べても美味しくありません…」
無駄な抵抗と知りながらも、リーリエは出来るだけ優しく魔獣に声をかける。
「ほ、ほら、あっちへお行き」
「うぅっゔ!」
「ほら!いい子だから!」
リーリエは手元に落ちていた木の枝を拾い上げるとそれを魔獣の奥へと放り投げる。しかし、魔獣は先程かリーリエから視線を逸らさない。
「お願い!あっちにいって!」
手元に転がる枝や石を鷲掴みにするとそれらを闇雲に投げていく。
「お願い!」
「お願いよ!」
リーリエは涙ながらに訴える。このままでは魔獣に喰われてしまう。
泣いているのかー?
「え?…」
何故か、この場にいるはずの無いヴェルランドの声が木霊した。