私の帰る場所
Vol.11
大地さんに遙さん。そして私と数匹の犬は真っ暗な山道を登っていた。二人とも怪訝そうな顔をしながらも、私が言うペガサスの居場所を信じてくれた。
冷え込む山道を走る私たちの吐く息が宙へと消えていくのを見ていると、私の夢もこうして儚く消えていくのだと思った。
でも、今はそんなことを考えるよりもやらなければいけないことがある。先ずはペガサスを見つける。それが私に託された役目のひとつなのだ。
「こっちです。この先にある小さな小川のところです」
来たこともない山道の先頭を走る私を見て、彼等は狐につままれたような表情で後ろをついてくる。
「どうしてこの先に小川があることを知っているの?」
息を弾ませながら遙さんが尋ねてきた。
答えたい気持ちにかられたが、今はまだ言うべきではない。
「……」
私は聞こえないふりをして只、走り続けた。
何も答えないことで私たちの間には気まずい沈黙だけが漂う。側を並走しているシリウスだけがキュンキュンと物悲しそうな鳴き声を上げ、時折私の顔を切なそうな瞳で見上げていた。
四、五分で裏山にある小さな小川のほとりに着いた。
息を切らしながら私は懐中電灯で辺りを照らす。すると、何故だか仄かに光る大きな岩が目に映った。
― ペガサスの命の灯火が教えてくれている。
私は後ろを振り向き、その大きな岩を指差した。
「あそこです。あの岩陰の奥にきっとペガサスはいます」
その言葉を聞いた大地さんと遙さんは懐中電灯を手に走り出していた。
彼等は岩陰の奥に懐中電灯の明かりを差し込み、注意深く中を覗いている。その様子を私はシリウスを抱きしめながら見つめていた。
「いた‼ ペガサスだ。ペガサスがいたぞ」
遙さんの悲鳴に似た叫び声が聞こえた。と、同時に大地さんが岩陰に腕を突っ込んでいた。
二人はあっという間に岩陰の隙間にいたペガサスを引き上げていた。
遙さんの腕に抱きかかえられたペガサスはぐったりとし、ぴくりとも動かない。しかし、濡れた黒い艶のある毛だけはビロードのように美しく輝いていた。
「いかん、衰弱しすぎている。瞳孔も開いたままで意識もない。これは……もう」
悲痛な声で大地さんが呟いた。
隣で遙さんが唇を噛み締めている。私は手で顔を覆い、涙ぐんだ。
― ごめんね。ごめんなさい。私がもっと早く思い出せていたら。
心の中で呟いたが、もう何の声も聞こえては来なかった。
「早く家に戻ろう。強心剤を打ってマッサージだ。ペガサスはまだ助かる。俺は絶対に諦めないぞ」
遙さんはペガサスを腕に抱いたまま脱兎の如く駆け出した。シリウスは彼を励ますように大きく吠えながら後を追う。後に残された私の肩を大地さんがそっと抱き寄せた。
「あかりさん。ペガサスを見つけてくれてありがとう。遙に代わってお礼を言うよ。ほんとうにありがとう」
涙を拭い、私は彼に向かって力なく微笑んだ。
「お礼を言うのは私のほうです」
大地さんが強く肩を抱いてくれた。
私は思わず彼の胸にしがみつくと、堪え切れずに大きな声を上げて泣いていた。
大地さんに支えられ家に戻ると、玄関先で遙さんがペガサスにタオルを掛けて酸素吸入とマッサージをしているところだった。
ペガサスの周りには何本もの注射器やたくさんの薬品が散らばっている。そして犬や猫たちも心配そうにそれを見つめていた。
懸命になってペガサスの名を呼びながら心臓マッサージを続ける彼を見るだけで涙がとめどなく溢れてくる。
大地さんはペガサスの胸に手を当てると、哀しそうに首を横に振った。
「嫌だ。ペガサスはいつだって俺の傍にいたんだ。ペガサスは、ペガサスは……」
彼は零れ落ちる涙を拭うこともせず、必死にマッサージを続ける。
― 遙さん、あなたはほんとうに優しいのね。獣医ならペガサスの命が尽きようとしていることは分かっているはずなのに
もう充分だった。
もうこれ以上、彼の哀しむ顔を見ていたくはなかった。私はマッサージを続けている遙さんの手を制し、ペガサスの傍にしゃがみ込んだ。そして、そっと彼女の首筋を撫でながら耳元で囁いた。
「頑張ったね。ほんとうにありがとう」
その声が届いたのか、ペガサスの体がびくりと震えると同時に、私の胸に痛みが走った。
ペガサスの本体と同調したのだと理解出来た。
苦しくて息も出来ないほどの痛み。こんな苦しみに耐えていてくれたペガサスのことを思うと、私は絶対に役目を果たさなければいけないと感じていた。
私はペガサスをそっと胸に抱くと二人に深々と頭を下げて言った。
「大地さん、遙さん。今までほんとうにありがとうございました。私はとても幸せでした。お二人が大好きでした。でも、もうお別れです」
胸の痛みに耐え、歯を食いしばりながら平静さを装う。
「あかり? 何を……言っているんだ」
遙さんは涙に濡れた目を丸くして私を見つめた。大地さんも呆然とした顔で私を見つめている。
私に寄り添っていたシリウスが顔をペロリと舐め、切なく哀しそうな鳴き声をひとつ上げた。
きっとシリウスだけがほんとうのことを知っていたのだろう。
「遙さん。あなたがペガサスを見つけたとき、お母様も一緒だった。あなたがペガサスに手を差し出したとき、車のクラクションに驚いたペガサスは咄嗟に道路に飛び出してしまった」
「……どうしてそんなことを」
遙さんも大地さんも顔を見合わせ、息を潜めている。彼等には思い出したくない過去だと分かっている。
でも、二人には話しておかなければいけないことなのだ。私は遙さんの質問には答えず、自分の言葉だけを続けた。
「お母様はペガサスを助けようとして車に撥ねられた。ペガサスはお母様の形見のようなもの。あなたは母親を見守るかのようにペガサスを慈しんだ。そして大地さんは、医師として星さんを救えなかったことを悔やみ、星さんが助けたペガサスを大切にしようと獣医に転身した」
そこまで言葉を紡いだとき、大地さんが目に涙を溜めて呟いた。
「あなたは……星の生まれ変わりなのか?」
私は小さく首を横に振り、彼を見つめ微笑んだ。だけど、目からは涙が零れ落ちてくる。
もう時間がない。胸の痛みがそれを教えてくれていた。
冷え込む山道を走る私たちの吐く息が宙へと消えていくのを見ていると、私の夢もこうして儚く消えていくのだと思った。
でも、今はそんなことを考えるよりもやらなければいけないことがある。先ずはペガサスを見つける。それが私に託された役目のひとつなのだ。
「こっちです。この先にある小さな小川のところです」
来たこともない山道の先頭を走る私を見て、彼等は狐につままれたような表情で後ろをついてくる。
「どうしてこの先に小川があることを知っているの?」
息を弾ませながら遙さんが尋ねてきた。
答えたい気持ちにかられたが、今はまだ言うべきではない。
「……」
私は聞こえないふりをして只、走り続けた。
何も答えないことで私たちの間には気まずい沈黙だけが漂う。側を並走しているシリウスだけがキュンキュンと物悲しそうな鳴き声を上げ、時折私の顔を切なそうな瞳で見上げていた。
四、五分で裏山にある小さな小川のほとりに着いた。
息を切らしながら私は懐中電灯で辺りを照らす。すると、何故だか仄かに光る大きな岩が目に映った。
― ペガサスの命の灯火が教えてくれている。
私は後ろを振り向き、その大きな岩を指差した。
「あそこです。あの岩陰の奥にきっとペガサスはいます」
その言葉を聞いた大地さんと遙さんは懐中電灯を手に走り出していた。
彼等は岩陰の奥に懐中電灯の明かりを差し込み、注意深く中を覗いている。その様子を私はシリウスを抱きしめながら見つめていた。
「いた‼ ペガサスだ。ペガサスがいたぞ」
遙さんの悲鳴に似た叫び声が聞こえた。と、同時に大地さんが岩陰に腕を突っ込んでいた。
二人はあっという間に岩陰の隙間にいたペガサスを引き上げていた。
遙さんの腕に抱きかかえられたペガサスはぐったりとし、ぴくりとも動かない。しかし、濡れた黒い艶のある毛だけはビロードのように美しく輝いていた。
「いかん、衰弱しすぎている。瞳孔も開いたままで意識もない。これは……もう」
悲痛な声で大地さんが呟いた。
隣で遙さんが唇を噛み締めている。私は手で顔を覆い、涙ぐんだ。
― ごめんね。ごめんなさい。私がもっと早く思い出せていたら。
心の中で呟いたが、もう何の声も聞こえては来なかった。
「早く家に戻ろう。強心剤を打ってマッサージだ。ペガサスはまだ助かる。俺は絶対に諦めないぞ」
遙さんはペガサスを腕に抱いたまま脱兎の如く駆け出した。シリウスは彼を励ますように大きく吠えながら後を追う。後に残された私の肩を大地さんがそっと抱き寄せた。
「あかりさん。ペガサスを見つけてくれてありがとう。遙に代わってお礼を言うよ。ほんとうにありがとう」
涙を拭い、私は彼に向かって力なく微笑んだ。
「お礼を言うのは私のほうです」
大地さんが強く肩を抱いてくれた。
私は思わず彼の胸にしがみつくと、堪え切れずに大きな声を上げて泣いていた。
大地さんに支えられ家に戻ると、玄関先で遙さんがペガサスにタオルを掛けて酸素吸入とマッサージをしているところだった。
ペガサスの周りには何本もの注射器やたくさんの薬品が散らばっている。そして犬や猫たちも心配そうにそれを見つめていた。
懸命になってペガサスの名を呼びながら心臓マッサージを続ける彼を見るだけで涙がとめどなく溢れてくる。
大地さんはペガサスの胸に手を当てると、哀しそうに首を横に振った。
「嫌だ。ペガサスはいつだって俺の傍にいたんだ。ペガサスは、ペガサスは……」
彼は零れ落ちる涙を拭うこともせず、必死にマッサージを続ける。
― 遙さん、あなたはほんとうに優しいのね。獣医ならペガサスの命が尽きようとしていることは分かっているはずなのに
もう充分だった。
もうこれ以上、彼の哀しむ顔を見ていたくはなかった。私はマッサージを続けている遙さんの手を制し、ペガサスの傍にしゃがみ込んだ。そして、そっと彼女の首筋を撫でながら耳元で囁いた。
「頑張ったね。ほんとうにありがとう」
その声が届いたのか、ペガサスの体がびくりと震えると同時に、私の胸に痛みが走った。
ペガサスの本体と同調したのだと理解出来た。
苦しくて息も出来ないほどの痛み。こんな苦しみに耐えていてくれたペガサスのことを思うと、私は絶対に役目を果たさなければいけないと感じていた。
私はペガサスをそっと胸に抱くと二人に深々と頭を下げて言った。
「大地さん、遙さん。今までほんとうにありがとうございました。私はとても幸せでした。お二人が大好きでした。でも、もうお別れです」
胸の痛みに耐え、歯を食いしばりながら平静さを装う。
「あかり? 何を……言っているんだ」
遙さんは涙に濡れた目を丸くして私を見つめた。大地さんも呆然とした顔で私を見つめている。
私に寄り添っていたシリウスが顔をペロリと舐め、切なく哀しそうな鳴き声をひとつ上げた。
きっとシリウスだけがほんとうのことを知っていたのだろう。
「遙さん。あなたがペガサスを見つけたとき、お母様も一緒だった。あなたがペガサスに手を差し出したとき、車のクラクションに驚いたペガサスは咄嗟に道路に飛び出してしまった」
「……どうしてそんなことを」
遙さんも大地さんも顔を見合わせ、息を潜めている。彼等には思い出したくない過去だと分かっている。
でも、二人には話しておかなければいけないことなのだ。私は遙さんの質問には答えず、自分の言葉だけを続けた。
「お母様はペガサスを助けようとして車に撥ねられた。ペガサスはお母様の形見のようなもの。あなたは母親を見守るかのようにペガサスを慈しんだ。そして大地さんは、医師として星さんを救えなかったことを悔やみ、星さんが助けたペガサスを大切にしようと獣医に転身した」
そこまで言葉を紡いだとき、大地さんが目に涙を溜めて呟いた。
「あなたは……星の生まれ変わりなのか?」
私は小さく首を横に振り、彼を見つめ微笑んだ。だけど、目からは涙が零れ落ちてくる。
もう時間がない。胸の痛みがそれを教えてくれていた。